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pier6 恋の香りはドネルケバブ

 



 葛西臨海公園から西なぎさへと延びる橋のたもとには、道を挟むようにして二台の移動販売車が店を構えている。一方はドネルケバブ、もう一方はタコライスを売っている店のようだが、行列をなす客の多くはメイン商品ではなく、そのついでに看板に書かれているソフトクリームやかき氷の方に熱っぽい視線を注いでいた。この猛暑では無理もあるまい。厳しさを増す午後の陽ざしに顔をしかめつつ、里花子は持参した財布を握りしめた。出番もなくグルグル回り続けているケバブの肉塊がなんだか哀れでシュールだった。


「すごーい! 何この食感! ソフトクリームなのになんで伸びるんだろっ」

「かき氷、歯に効く……」

「虫歯なんじゃないの?」

「健康診断でそんなこと言われたかも」

「ちょっと! 歯医者さん行きなよ麻希! かき氷なんか食べてる場合じゃないよ」

「悠紀こそ、春の健康診断で太った太ったって騒いでたくせに、ソフトクリーム食べてる場合じゃないんじゃないの」

「ね────! それ秘密って言ってたじゃん! もうアレだから、あとで顔面水鉄砲の刑だから!」


 一足先にソフトやかき氷を買ってもらった悠紀たちが、ウミネコの群れみたいに盛り上がりながら獲物を頬張っている。出資者は言わずもがなである。怜菜は里花子の分も買うといって聞かなかったが、さすがに里花子にもプライドというものがあるので丁重にお断りさせていただき、自腹でソフトクリームを購入した。なるほど悠紀の言うとおり、粘り気がある独特の食感だ。おまけに三〇〇円と、観光地にしては価格も安い。

 騒ぐ同級生ふたりをよそに、瑛子は無言でかき氷を食べている。食べているというより、無心で口に運んでいるように見えた。現に氷のかけらがぽろぽろ口元から転げ落ちているが、まったく気づく気配がない。


()()()()()()()のね」


 買い物を終えて戻ってきた怜菜が、里花子の隣で微笑した。その手がケバブを握っていることに里花子は思わずツッコミを入れかけたが、違う、と深呼吸で落ち着きを取り戻した。別に炎天下でケバブを食べたっていいじゃないか。ただ少し、絵面が面白いだけ。色々な意味で。


「怜菜でもそのへんの機微は分かるんだね」

「分かるわよ、私を何だと思ってるの。これでも名作恋愛映画は色々と鑑賞してきた方よ。ローマの休日、タイタニック、オペラ座の怪人……」


 揃いも揃って結ばれないオチの作品なのは怜菜の趣味か。深堀りするのがためらわれて、里花子は口をつぐんだ。


「いいな、アバンチュール。私も憧れちゃう」


 熱々のケバブを頬張りながら、ソフトクリーム食べたい、程度の軽いノリで怜菜がのたまう。不意の発言に驚いたあまり、里花子はソフトクリームを足元に落としかけた。


「後先とか考えずに勢いだけで恋愛するのって素敵だと思わない? 私には恋の経験がないから、余計に楽しそうだなって思っちゃうのかしら」

「私も経験はないけど、別に憧れないよ……」

「里花子は意外と安定志向なのね」

「水遊びはともかく火遊びは趣味じゃないから」


 中学生の頃、好きだった男子に告白を挑んで振られてしまって以来、里花子の恋愛経験値は蓄積が進んでいない。大学受験を見据えて進学塾へ通い始め、周囲に男子生徒がいる環境にも慣れてきたが、正直、勉強と仕事に追われて恋愛どころじゃないという気持ちもある。あるいは恋愛そのものを無意識に忌避しているのかもしれない。それこそ深堀りする気にはなれなかった。


「恋愛って、大人になるための通過儀礼みたいなものだと思うの。たとえそれが破れても成し遂げられても、心の成長には大きく役立つでしょ? 他人との距離の取り方とか、アプローチの仕方とか、恋愛から学べることってきっとたくさんある。そういうものを経験せずに大人の仲間入りを果たしたくないの、私」

「あのさ、怜菜の気持ちは分かるけど、恋愛って実利を求めてするもんじゃないからね?」

「そうね。分かってる。だからこれはただの子供っぽい憧れ」


 ふっと怜菜は目を細めた。

 先をゆく悠紀や麻希が、隅から隅まで真っ赤になった瑛子をつついて話しかけている。怜菜のいう『子供っぽい憧れ』とはああいうものを言うんだろうな、と里花子は思った。怜菜の憧れは子供っぽい憧れとは違う、とも思った。その善し悪しについて差し出がましく論じたいわけではない。恋の楽しさも、苦しさも、我が身をもって里花子は知っている。いたずらに憧れてしまうのも理解はできる。ただ、何となく、恋に憧れる怜菜の眼差しに、大人になることを急ぐ焦燥感みたいなものを嗅ぎ取ってしまって、それは違うよと言いたくなっただけだ。

 恋愛経験の多寡で人の価値は推し量れない。

 熱い恋になど身を晒さなくとも、すでに怜菜は立派な大人じゃないか。

 あらゆる才能に磨きをかける努力を怠らず、誰よりも率先して動き回って責務を果たし、後輩に優しさをかけることも忘れない完璧超人の生徒会長が、これ以上、何かに焦る必要なんてどこにもない。怜菜はそのままの怜菜でいいのだ。けれどもきっと怜菜は、里花子のささやかな忠告になど耳を貸さず、これからも必死に、貪欲に、大人になるための道を探り続けるのだろう。その絶妙に縮められない心の距離感が、里花子には時たま、無性に切なくなる。


「あら」


 不意に怜菜が立ち止まった。いつの間にか彼女は里花子の一メートルほど前を歩いていて、目の前には水着姿の男の子が倒れ伏していた。買い物の帰りに転んでしまったようだ。その手に握られていたソフトクリームは、コーンごと地面に叩きつけられて台無しになっている。


「あう……アイスがぁ……」


 無惨なソフトクリームの残骸を前に、男の子は瞳を潤ませ始めた。

 まずい、泣く。危機感が脳天を貫いた瞬間、ケバブを持ったままの怜菜が男の子のもとに腰を下ろした。


「大丈夫かしら? 足は痛めてない?」

「痛いよぉ……でもそんなのよりオレのアイスがぁ……」

「よしよし。アイスなんてお姉さんがまた買ってあげる。命が助かったことの方が重要よ。命はお金で買えないんだから」


 そんな大仰な話を持ち出すような場面ではないと里花子は思った。


「アイス、買ってくれるの……?」

「お姉さんに任せなさい」

「やったぁ! ありがとう、優しい姉ちゃんっ」

「それより患部を見せて。殺菌と消毒をしなくちゃ」


 喜ぶ男の子の膝を、怜菜が優雅な手つきでまさぐり始める。豊満な肉付きの身体が男の子の眼前をちらついて、男の子はみるみる赤くなった。


「い、いいよ。自分で見るもん」

「遠慮しないで、ほら、じっとしてて」

「いいってばぁ!」

「こらこら、大人しくするの。傷に響くでしょう。あなたは怪我人なんだから」


 なんだか、怜菜(このひと)の場合は不必要に憧れなくとも、そのうち彼氏の一匹や二匹は簡単に釣れるんじゃないかと思う。どことなく冷めた気持ちで里花子は二人のやり取りを見守った。先を歩いていた悠紀たちがようやく戻ってきて、ずるい、あたしも怜菜先輩に介抱されたいなどと(わめ)きながら怜菜の手伝いに加わった。騒ぎに気づいたケバブ屋の店主が、親切にも代わりのソフトクリームを作って持ってきた。駆け付けた男の子の母親と怜菜が、お気持ちだけで十分です、いや私が払いますと財布を片手に小競り合いを始めた。

 平和な午後が刻一刻と過ぎてゆく。

 傾きを増した太陽の下、晴れ渡った砂浜はのどかな黄金色に輝いていた。







「これから楽器の練習だったりして」

「まさか。楽器なんて誰も持ってないでしょ」

「ホラでも吹くんじゃないですか」

「それはあんただろ、船堀」


 ⊿次回「pier7 ほろ苦い笑顔を訪ねて」




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