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pier5 ビーチナンパパニック

 


 少し傾いた陽が、金色の光を地上に注ぐ。

 飛び回るウミネコたちの翼が空を切る。

 ビル群の遠景が蜃気楼を優雅に漂っている。

 伸びやかに金属質の轟音を奏でながら、遥かな高みを旅客機の影が越えてゆく。方角からして、大田区の羽田空港を飛び立ったものらしい。空は晴れ、風は()ぎ、昼下がりの東京湾はいっときの平和を享受している。

 海水を掻き分けて泳ぐ怜菜の姿は、その航空機にも負けず劣らず伸びやかなものだった。スポーツ万能の彼女は水の中でも最強だった。水へ入る前に「泳法ちゃんと覚えてるかしら」などと不安がっていたくせして、もっとも難易度の高いバタフライですら完璧に泳ぎこなしてみせるのが彼女の恐ろしいところだ。ゴーグル一つ装着せず、ばっしゃばっしゃとドルフィンキックで水を蹴散らしながら力強く推進するさまは、(しと)やかな箱入り令嬢の振る舞いには到底思えない。


「……あたし、怜菜先輩と幼馴染だったら、今頃いろいろと自信なくしてたかも」


 もはや笑いも通り越して表情を奪われながら、突き進む怜菜に悠紀は見とれていた。怜菜の幼馴染とはまさに里花子のことだが、どう反応しても本心が伝わらない気がして、里花子は黙って聞き流した。怜菜は怜菜、里花子は里花子、境涯も違うのだから変に自信を失う必要はないと思う。しいて言えば、無性に心配にはなる。悪い後輩に騙されて金を使い込んでいないかも含めて。


「怜菜、そろそろ休もう」


 あまりにも怜菜が海に入り続けているので、頃合いを見計らって声をかけた。二十分前に「遠泳競争します」と宣言して怜菜とともに泳ぎ始めた麻希は、とっくの昔に力尽きて砂浜で(しな)びていた。


「そうね。そろそろ少し疲れたかしら」


 とても疲れているようには見えない足取りで、怜菜が陸ヘ上がってくる。シュシュでまとめられたポニーテールの下で、うなじがちらりと陽光を照らし返す。濡れたワンピースが身体に貼り付いて、その整った身体つきを白日の下にさらす。あまりの(なま)めかしさに里花子は固まりかけた。悠紀が「綺麗」と感嘆の声を上げた理由を、少しだけ理解できたように思った。

 たぶん、里花子が同じことをしても、これほど魅力的な(ひと)には映らない。

 やっぱり怜菜は人間じゃないのかもしれない。

 さしずめ美の化身と名高い女神、ヴィーナスか。


「荷物番してくれてるのは瑛子ちゃん?」

「うん。もうだいぶ待たせてるし、この暑さで参ってるかも」

「可哀想なことしたわね。あとでソフトクリームでもおごってあげようかな」

「またそうやってお金を使おうとする……」


 嘆息しつつ、怜菜と並んで瑛子の姿を探した。干上がっていた悠紀が「ソフトクリーム!?」「あたしは、あたしは!?」と元気を取り戻したが、水鉄砲の銃口を突き付けると大人しく黙り込んだ。

 広い砂浜に瑛子やカバンの影は見当たらない。

 泳いでいるうちにずいぶん遠くまで来てしまったらしい。

 瑛子を見つけたらソフトクリームを奢ってやると(そそのか)したら、たちまち奮起した悠紀は熱心に浜辺を走り回って捜索を始めた。果たして、真っ先に「あれ」と声を上げたのは悠紀ではなく、ぼうっと周囲を眺めていただけの麻希だった。


「見つけた?」

「見つけたくないものも見つけました」

「何よ。もったいぶらないでよ」

「見たら分かりますよ」


 麻希の声色は明るくなかった。

 昼下がりの砂浜には昼食後の人々が流れ込んできて、なかなか全体を見渡しにくい。「なんで先に見つけんの!」「あたしのソフトクリームが!」──やかましく(わめ)く悠紀の口を無理やり封じながら目を凝らし、広い浜辺を眺め回した里花子は、じきに麻希の言葉の趣旨を理解した。

 数十メートル先に数人の人影がたむろしている。

 なるほど、そこには確かに瑛子の姿があった。

 見覚えのない()()()()付きで。


「──だからぁ、退屈な荷物番なんてやめちまえばいいじゃん。俺らと一緒に向こうで遊ぼうぜ」

「そっちのカバンは俺らがしっかり見とくって」

「い、いいです。構わないでください。もうすぐみんなが戻ってくるしっ……」

「そんなのより俺らと遊んだほうがぜってー楽しいって!」

「可愛い水着じゃん。黙って座り込んでたらもったいねーよ」

「ほんとほんと! マジ可愛いって!」


 Tシャツにハーフパンツ姿の屈強な男たちが、瑛子を取り囲んで教科書通りのナンパを仕掛けている。見たところ、二十代前半くらいか。シャツの腕が盛り上がるほど筋肉のついた腕に、ひそめた息がヒュッと音を立てた。力では彼らに敵わない。さしもの完璧超人生徒会長でも敵わないはずだ。

 馴れ馴れしく話しかけながら、男たちの一人が瑛子の肩に触れた。たちまち瑛子は飛び跳ねるように男の手を逃れた。「やめてくださいっ」と叫ぶ声に、彼らの表情が引き締まる。このままじゃまずい──。里花子と同じ危機感に苛まれたのか、傍らの悠紀が里花子の手から水鉄砲をひったくった。


「ちょっと、船堀!」

「こんなものでもないよりマシですっ」


 満タンの水鉄砲を構えた悠紀は走り出そうとして、怜菜の手で引き止められた。


「行かなくていいわ」


 恐ろしいほど冷静な声で、怜菜は暴れる悠紀を鎮めにかかった。

 彼女の据わった眼光が瑛子でも、瑛子を取り巻く男たちでもなく、その群衆に向かって近づいてゆく数人の人影を捉えていることに、遅ればせながら里花子も勘づいた。ナンパ男たちと同じくらいの背格好の男性が、数人。その先頭に立っているのは──大杉だ。


()()()()()に何してんですか?」


 大杉の言葉に男たちは固まり、視線だけを向けて救世主たちの人数を数え始めた。大杉たちが四人、ナンパ軍団は六人。ケンカをするなら分が悪いが、抑止力として数えるなら四人でも威力は十分だ。


「チッ、男の連れがいんのかよ……」

「まだまだ連れてこられるけど、どうします? ケンカの一つ二つ買ってあげましょうか」


 腕組みをした大杉が不敵に口を歪める。ケンカは本意ではないとみえて、男たちはそそくさと退散していった。人垣を失った瑛子が力なく砂浜に崩れ落ちる。今度こそと里花子たちは砂を蹴って、瑛子とカバンのもとに大急ぎで駆け寄った。


「大丈夫?」


 ひざまずいた大杉が瑛子の手を取る。格好が水着とはいえ、まるで御伽噺(おとぎばなし)の王子様のような立ち振る舞いだ。たちまち瑛子は「はわ……」と奇怪な声を上げ、大杉から目をそらしてしまった。


「その、ありがとう……ございました」

「気にすんなって。おれら、ちょうどトイレ行くところでさ。嫌がってんのは一目で分かったし。それにさっきはおれらの方が助けられたもんな」

「……優しいんですね」

「可愛い子が可哀想な目に遭ってたら救い出すのは当然だろ?」

「か、かわ、かわわわわ……っ」

「なんだ、変なこと言ったか? ──お、ケガは負わされてないな。よかったよかった」


 爽やかに歯を見せて笑った大杉が、その手で瑛子を地面に引き上げる。連れのメンバーが口々に「やっぱこいつ天然タラシだ」「天然ナンパ師だろ」などと噂し合っているが、そのやり取りの意味を瑛子が理解していたかどうかは定かではない。彼女は大杉の顔をちっともまともに見ようとしない。丈の短い水着から覗く素足も、腕も、首から上も、日照りで焼かれたみたいに真っ赤だ。あるいは本当に焼けているだけかもしれない。里花子たちが長いあいだ放ったらかしにしたおかげで。

 水鉄砲を構えたままの悠紀がつぶやいた。


「……あたし、ちょっとあの二人に放水してきていいですか」

「ダメに決まってんでしょ」

「そうよ。冷や水を浴びせるのはよくないわ」

「怜菜も余計なこと言わなくていいから」


 しかも地味に上手いことを言っているのがムカつく。呆れと、安堵と、そのどちらにも属さないむず痒い感慨も一緒に込めて、里花子は深々と嘆息した。修羅場の終結を見届け、慌ただしくトイレに向かってゆく大杉たちの背中を、途方に暮れたような格好で瑛子は見送っている。緊迫から解き放たれたばかりの心臓はまだ高鳴ったままで、打ち寄せる波の音がやけに遠く、やかましく聴こえた。







「かき氷、歯に効く……」

「虫歯なんじゃないの?」

「健康診断でそんなこと言われたかも」


 ⊿次回「pier6 恋の香りはドネルケバブ」




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