とっておきのやつを弾いてみようと思います
一行は沖合漁業に出る漁船程度の大きさの船に乗り、巨大な魔力反応の元へ急接近しすぎない程度の速度を保ちながらレヴィアタンへと近づいていく。レヴィアタンを刺激しすぎると、カノンの”調律”が発動する前に船が波に飲まれてしまうというルーティの判断によるものであった。
「そういえばさっきはヴィスターユさん、積年の恨みがー、とか言ってましたけど。イシュタルさんってレヴィアタンっての魔物に何をされたんですか?」
船に乗ってしばらくの間、遠くなっていく港街の風景を見て楽しんでいたカノンであったが、しばらくして一面の海になり、船から見える景色に退屈し始めていた。カノンは、退屈しのぎにイシュタルに質問を投げかける。先程のヴィスターユの茶化しに対するイシュタルの答え方から、気軽にしていい質問に”聞こえ”たためだ。
「ああ、あれはですね、大したことじゃないんですよ。その昔、今回みたいにレヴィアタンが暴れだしたと騒ぎになったことがありましてね。その時も今みたいに船を出したんですが、レヴィアタンの起こす荒波にもまれたはずみで、結婚指輪を海に落としてしまいましてねえ。危険なクエストに大事な指輪を持っていった私のせいでもありますし、何も全部をレヴィアタンのせいにしなくてもと思うんですがねえ。あの人ったら、全てはレヴィアタンのせいだってきかなくて」
「そう、だったんですか……」
「まぁ済んだことですし、お客さんが気にすることじゃありませんよ」
そう言ってイシュタルは海の向こうを遠い目で見つめる。カノンにはイシュタルの話しぶりとは裏腹に、イシュタルは指輪を海に落としたことについてかなり悔やんでいるように”聞こえ”た。
「たぶん、とっても大切な指輪だったんですよね……」
「お嬢さんは、そう思うのかい?」
「はい。だってイシュタルさん、とっても悲しそうに話すので」
ヴィスターユの前で話していたときの答え方と、今”聞いた”ときの話し方では、感情の籠もり方が全く違うようにカノンには”聞こえ”た。おそらく、主人の前では無理をして元気そうに話しているのだろうとカノンは判断した。
「それはまあ……あの指輪が帰ってくるんだったら嬉しいんだけどねえ。あの人、よぉっぽど苦労して手に入れたみたいだから」
「そうなんですね。いつか、戻ってくるといいですね」
「まぁ今更戻ってきても、海水の塩分と沈殿した魔力にやられてボロボロになっているだろうけど……おっと、そろそろだねぇ」
イシュタルは周囲一帯生き物の影一つ見えない水平線を見ながら、にやりとしながらこぼした。
「ええ。冒険者達の大量の船が、こちら側に引き返しているわ。探知に引っかかっているわね」
「いよいよレヴィアタンってやつに会えるの!?わたしのレーヴァテイン・ノヴァの真価が試されるときが来たの!」
デイジーはレーヴァテイン・ノヴァを空に掲げ、今か今かと出番を伺っていた。
「デイジー、”それ”を使うのは最終手段でよろしくね。射程の長い貴方のレーザーでは、こちらに来る冒険者に流れ弾が当たってしまう可能性が高いわ」
「うー、わかったの」
「ねぇ、デイジー。これが終わったら……周辺の魔物で一番でかいやつを仕留めにいこう。これよりは劣るかもしれないけど……満足できると思う」
デイジーの今すぐ暴れたいという気持ちを察したフェーベは、この後狩りに行くことを提案する。フェーベの中では、このクエストは何事もなく完了するという確信があった。
「本当なの!?じゃあ今は、その為に魔力を温存しておくの」
デイジーはそれに対して快諾をする。デイジーはフェーベの言うことに従って損をした試しはなかったため、フェーベの言うことには素直であった。
「面舵いっぱい、旋回しますよ。しっかりつかまっていてくださいね、ええ」
船はレヴィアタンの側面をつくようにゆっくりと接近していく。そうしてカノンの射程距離に入った瞬間に、ルーティ、イシュタル両名から指示が下された。
「今です!」
「頼んだわ、カノンちゃん」
「任せて下さい!とっておきのやつを、弾いてみようと思います」
カノンは鍵盤に手を置き、”調律”ボタンを押し、すう……はぁ……と深呼吸をすると、BPM208という高速の旋律を奏で始める。
『Be Like a Comet』──ビー・ライク・ア・コメット。
彗星のようになろう、と名付けられたその曲は、エチュードのように絶え間なく音が敷き詰められ、しかしカノン好みのキラキラとした星空のような音色で展開されていく。
バーチャルアイドル・カノンが、多数のkawaii bassアーティストの協力の元、発表する──”はず”の楽曲であった。
実際にその楽曲の全てが世に出ることはなく、PRの音源が公開されたのみであった。
カノンは忙しなく動く両手が最大限活かせるよう、伸ばし気味に入れられた歌詞を紡いでいく──
「この空に広がる 星見据え飛んでいくの
流れてく景色は うつろい変わって 音の速さで──」
曲の半ばに入ると、16:37とまだまだ日の昇る辺りが星空に包まれた。この世界に存在しない星が、はくちょう座が、こと座が、タイムラプスのように高速で流れる。カノンの歌声が、旋律が、空を染めていった。
「カノン、これって!」
「驚いたわね。カノンの魔法は、空間一帯を支配するものになっていたというの」
ルーティは昨日見たカノンの”調律”よりも影響力の上がったそれを見て、称賛とともに少しの恐怖の感情を覚える。
「うん……”オイゼイトの首輪”による魔力の強化は、私の”啓示”でもよくわからないから……参考に、見ておかないと」
フェーベはそう言うと曲が終わるまでの間、ぼう……とカノンの作り出した星空を見つめ続けていた。
「君のもとへたどりついた この彗星とともに
どこまでも どこまでも この銀河の果てへ
be like a comet──」
だんだんと遅く──ritの指示が曲のラスト8小節に差し込まれていた。カノンはその部分を丁寧に、丁寧に弾いていく。レヴィアタンの動きが予想よりも少し、曲に合わせて激しくなりすぎていたからである。カノンもこれは、自分だけが気持ちよくなりすぎたなと反省した。
このパートに入ると、レヴィアタンの動きはしだいに、ゆるやかに、落ち着いて、波を立てず──海の流れを穏やかにするものへと、変化していった。
やりきった、とカノンは思った。レヴィアタンの"音"はあてもなく海を荒らすそれとはうってかわって、こちらに寄り添うようなゆったりとしたものに変わっていた。
曲が終了すると、レヴィアタンと思われる巨大なクジラのような魔物は、ゆっくりと、ゆっくりと近づいてきた。
そうかと思うとそれは、徐々に収縮していき──やがて人の形を取り、ばしゃばしゃとこちらに向かって、銀色の長い髪をゆらゆらと海に揺らしながら、船の近くまで泳いでやって来た。
「よ、新米の死神さん。さっきの曲、なかなかイケてたじゃないスか。やっぱ、異世界モンはチガうんスかね?なんか、ノリかたが違うっていうか、アガるっつか?あんなエモい空間をこの世界に作ろうって発想自体、やっぱリスペクトすわ」
その人の形を取ったレヴィアタンの姿形は、ルーティと同じくらいの年齢の女性に思われた。好意的な言葉遣いで接近してきたが、カノンはそのほとんど紐のような水着を着た彼女の見た目に若干引き気味であった。
「あは、ありがとうございます。その、ノリが陽キャというか……大胆ですね、色々と」





