戦争は面倒なのでいやだなーと思います
カノンはセカンドライブに向けた曲作りのため、まずは手当り次第に色んな曲を弾いてみる。彼女が生前弾いたことのある曲全てから、ヒントを得ようと思ったのだ。
しかし、それはなかなかうまくいかなかった。カノンが練習してきたその曲はその曲でしかなく、どうにも「ネプテュヌス共和国」についてを歌った歌としては、何か違うのではとカノンは思ったのであった。
2時間ほど弾いた所で、カノンは宿に備え付けられている水道水を飲んで休憩をとった。この宿の水道水は、おおよそ日本の関東のそれと同じような、なんともいえない味がした。
昨日ルーティに聞いた話によれば、水道が通っている宿に泊まったのはこの宿で初めてだと言う。やっぱり、最初から高級な宿に泊まったんだなと改めて思ったのであった。
カノンは起き抜けであったため、指と頭が回らないから何も思い浮かばないのだろう…と、生前の日課であった「ツェルニー練習曲30番」を通して弾いてみることにした。
ツェルニー練習曲30番「etudes de mechanisme」は、糸車が回転するさまをモチーフとした、単調な16分音符や3連符が一曲を通してずっと続くようなものが30曲収録された練習曲集である。
単調なだけに、タタタタタタ…という音が少しでもぶれるとわかりやすく、ミスが目立ちやすい。練習曲としてはうってつけである。作曲者のカール・ツェルニーは「音楽教育者」という肩書を持っていて、この曲は「教材」として作曲されているのであった。
30番まで通して弾いてカノンは、気付くことがあった。
(これだけ単調な曲なら、メロディや歌詞、どんなものを乗せても合う、かも…?)
1番のソドレミレド…という単調なメロディから音を抜いて、ソ、ド、ミ、ド、ソ、レ、ファ、レ。
3番のソド#レソシ♭シ…という展開から、レ、ソ、シ♭、シ、シ♭、ファ、ミ、レ…
ひとつひとつは単調なメロディで、これだけで客を感動させることは難しいかもしれない。だが、これらを組み合わせて、新しい楽曲を作る…それも、ネプテュヌス共和国という一つのテーマを加えて。
これだ!とカノンはひらめいた。早速ツェルニー練習曲30番全体を考察して、それを一曲にまとめた時の展開を考える。カノンは、特に6番の優雅なフレーズがお気に入りであったので、これをサビに持ってくることにした。
カノンが生前変なリズムだな、と感じていた5番のタン…タタン…タタンというリズムも、ダンスパートに使えそうだ。ここのフレーズを、フェーベさんが華麗にステップを踏んでくれれば観客は大いに盛り上がるだろう…
まず、8番のスケール的展開から前奏に入り、1番のメカニカルなリズムから音を抜いたものをAメロ、3番の三連符主体のリズムを少しアレンジしたものをBメロ、6番の優雅なメロディをサビとした。15番のミソシミシソ…という音階は間奏に使うことにした。15番の最後のフレーズはいい具合に締まっているので、引用してしまうことにした。異世界でこの曲を知っている人は誰もいないだろうので、丸パクリに誰も気付かないのである。
5番のトリッキーな跳ねたリズムをCメロとし、最後に6番のサビが入り、15番のデン、デン、デン、デンという音で締める…これで、いける!とカノンは感じた。
問題は、歌詞である。カノンは作詞の経験が無いし、この世界の字が書けないので人にも相談しづらい。みんなが帰ったらこの国の色々なことを聞き、参考にしようと思った。
…とその時、部屋をノックする音が聞こえた。
「カノンちゃん、開けて。事態が大きく動こうとしてるみたい」
ドアの向こうから、ルーティの声がした。
「どうしたんですか、ルーティさん。ああ、ちょうどよかった、新曲につける歌詞のことで相談したくて…」
カノンはドアを開けてルーティを迎える。ルーティの表情は、いつになく余裕がなさそうだった。
「ごめんなさいね、カノンちゃん。その前にちょっと頼みたいことがあってね…」
「何か、あったんですか」
カノンはルーティがただごとじゃないことを察し、どういうことかと尋ねる。
「私達が通っていた孤児院の『先生』…その、トップがこの国に居るわ。それも、そこそこの規模のスパイを率いているみたい」
「…それって……!」
「こちらが探知魔法で探ろうとしたのを、逆に気付かれてたみたい。ジョセフ・コメニウフ…彼は、優秀な探知魔法使いだから」
「えぇ!?探知魔法って、それじゃここもバレてるんじゃ…」
「かなり離れていたところから探知していたし、気付かれたと思った瞬間魔力を切ったから大丈夫だとは思うけれど…確実とは言えないわね。あちこち動き回るよりは、ここに居たほうが安全だと思うわ」
どうやら敵のスパイがこの国に入り込み、それとルーティは一人で戦うはめになりそうな所だったらしい。カノンの表情が一気に真剣なものになった。
「それで、頼みって…」
「カノンちゃん、敵の"音"が聞こえるって言ってたわね。"聞く"だけなら相手に気付かれないだろうし、私の代わりに偵察をお願いできないかしら」
「その、ジョセフって人はどんな人ですか。一気に色んな人の音を聞いちゃうと、頭がバクハツしちゃうので…できるだけ、くわしくお願いします」
「髪は白髪で、オールバック…50歳くらいの、初老の人。性格は冷静沈着で、底の見えない喋り方をするわ。魔法は、闇以外の全属性が使えるみたい。孤児院に居たときもそう思ったけれど、化け物にしか見えなかったわ」
「どの辺りで見かけました?」
「アグリッピナ広場のあたりで、偶然…既にそこからはちょっと離れちゃってるかも」
カノンの現在地、「ブルネルスキの家」からアグリッピナ広場までは、3km近く離れている。カノンの聴覚であれば5km程度までなら聞くことができるが、聴覚に意識を集中させると雑音を多く拾ってしまいそうだとカノンは思った。
「うーん…頑張って、やってみます」
カノンはアグリッピナ広場のあたりで、色々なものが混ざった複雑な音が聞こえないか、耳を傾けた。…すると、ただの初老のおっさんが喋っているようだが、放っている魔力の"音"が確かに「化け物」と呼ぶにふさわしそうな男が、怪しげな男と会話しているのが聞こえてきた。
「あ!いましたいました、悪そうな声ですね~これ」
「カノンちゃん、ジョセフは誰かと会話しているの?」
「はい、ちょっと聞いてみますね…」
「だから何度も言っているであろう。地の利はあちらにあり、ネプテュヌス共和国冒険者ギルドの者は常に国を守るよう協定を結んでおる。戦力も兵糧も攻める側のこちらが不利。隣国マムターズ王国への借金もかさんでいる…出兵は、前回ので取りやめるべきであろう」
「そうは言いますがジョセフ殿…我々としても歴史的根拠のある出兵、神の意志に導かれし戦争と執り行っている次第でございます。彼らも命を張って戦っていますが故…なにとぞ、お力添え頂けませんか」
「話にならんな。わしは今回、亡命の手続きを取るためにここネプテュヌスにやって来たというのに…のう、かわいい教え子の魔力もこちらで感じ取ったぞ。どんな風に成長したか、気になるではないか。くだらない戦いなどに手を貸している時間は毛ほども無い」
「院長…そうやって教え子に甘いから、脱走する者が後を絶たないのでしょう。跡継ぎの者は強硬派を推薦しておきましたから、もう孤児がこちらに歯向かうことは無いでしょう」
「脱走とは、育てる手間が省ける上に元気で良い事じゃあないか。笑顔で送り出してやるといい」
「はあ…。とにかく、5日後にはタカシ様の率いる軍がこちらに到着します。これはもう決定事項であり、揺るぎません。ジョセフ殿のおっしゃる通り資金にも余裕がありませんので、これが最後の出兵となるでしょうが…タカシ様は神の信託を授かりし勇者です。そこの指揮を、どうかジョセフ殿にお願いできませぬかと、先程から申しているのです」
「ふん、作戦くらいは考えてやるがな。ワシは現場には立たないからそのつもりでな」
「そう、でございますか…」
「カノンちゃん…どう?」
数分の間、空を見上げてぼお…っとベッドに座っているカノンが心配になり、ルーティはそう尋ねる。
「…5日後に、たかし?って人の率いる軍がこっちにやってくるみたいです。その、やっぱり戦争…ですかね」
「まずいわね、王国の主力がこっちに来るとなると…アリネスさんが居ても無事では済まないかも」
「はい。神の…なんとか?をもらってるみたいで、強そうでした」
「神の信託を授かりし者は、この世のものとは思えないほど特別な力を与えられるらしいわ。タカシの能力は国のトップシークレットらしくて、私もどんな物なのかわからないけど…」
ルーティは今後の展開を考える。おそらく、この国もあちらの軍もただでは済まないだろうと考えていた。せめて、自分達の身は守れるよう、デイジーの稽古はそれまでにものになっていることを祈っていた。
「あ、そうですそうです、ジョセフって人。かなり強そうでしたけどあんまり戦いたそうに聞こえませんでしたよ」
「あの鬼のジョセフが?…ちょっと、わからなくなってきたわね」
「なんでも、お金がないーとか、こっちも暇じゃないんだー、とかで」
「…考えてみるわ」
カノンは話の内容を全て理解できたわけではないので、ルーティに伝わったことは断片的であった。しかし、敵の攻めてくる5日後という時期とタカシ率いる軍という正体が分かって、かなり動きやすくなったとルーティは考えた。
戦争となると、自分の身を守るために仲間は多ければ多いほどいい…戦争が始まるまでに、フェーベをなんとしても味方に引き入れたいと、ルーティは考えた。
「デイジー…うまくやっているかしら」





