06
「これで、後見人と、とりあえずの住む場所は大丈夫だとして、あとは職の話だ。こればかりは、俺が決めていいものではないだろう、と思ってな。お前、なにかしたいこと、働きたい場所はあるか?」
クリス様は私の目をじっと見つめ、聞いてくる。
その真剣な瞳に私はなんとか答えなくては、と思い、思考をめぐらすが、そもそも働くというイメージがまったくつかめないし、具体的にどんな職業があるのかも分からない。
「はあ」
クリス様が呆れたように息を吐いた。
あ、失望させてしまった。
そう思ったらすごく悲しくなった。
「おい、うつむくな、そんな顔するな。そんなことだろうとは思ってたし、たかがその程度のことでお前への感情が変わることはない。俺を信じろ」
クリス様が困ったような顔をして、そう言った。
私、そんな顔に出てたかな。
でも、よかったクリス様は私を嫌ったわけではないみたい。
そっけない口調だけどクリス様は安心させてくれようとしてるんだな、と思った。
「そんな悲しい顔しないで、可愛い顔が台無しだよ。まだ分からないことばかりだもんね、気にしないで。大丈夫、嫌いになんてならないよ。もっと信じて頼ってね。つまり、クリスが言ったのはこういうことだよ」
ロバート様がにやにやしながら、少しだけ声を張って、演じるように甘くそう言った。
私は思わず赤面してしまったし、クリス様は別の意味で顔を赤くして怒った。
なんだかそのにぎやかさが心地良かった。
クリス様のロバート様へのお説教が終わると、クリス様が再び私に向き直り、二冊の本を出した。
一冊は少し古びた子ども向けの絵本で、もう一冊は分厚い新品の本だ。
「これ読んでみろ。あくまでこれがすべて、というわけではないが、知識と選択肢は必要だ」
「ありがとうございます」
私は本を受け取った。
ぱらぱらとめくってみると、どちらも職業について書かれている本だった。
概要、技能、仕事内容が主に書かれている。
「そろそろ城に戻らないといけないね」
ロバート様が教室にある時計を見上げ、そう呟いた。
「そうだな」
クリス様もそう言い、二人が席を立ちあがった。
私は、急に寂しくなって一緒に立ち上がる。
「お前もでるか?」
クリス様の言葉に頷いた。
なんとなく、楽しかった空間に一人になるのは耐え難かった。
昨日まではずっと一人だったのに。
城に行くというクリス様とロバート様と別れて、いつもの場所に向かう。
このまま帰ろうとも考えたが、家では先ほど借りた本が読めない。
昨日のノアはおかしかった。
またクリス様と関わっているということを知ったら怒られる気がするから、この本のことも内緒にしておこう。
いずれは話さないといけないし、ノアが何故怒ったのか、なんで私に婚約のことを言わないのか知りたかったけど、一人で聞ける勇気は無かった。
いつも一人でお昼ご飯を食べる場所に向かう。
体育館の二階に出て、キシキシと危うい音がする階段を降りて、体育館裏に降りる。
薄暗いが、本が読めないほどでもない。
私は少し光が入る場所に移動して、地べたに座った。
いつも座るベンチは光が入らないのだ。
まずは読みやすい方からと、子ども向けの絵本から開く。
貴族の子ども向けに作られたものなのだろう、主に王宮で働く人々のことについて描かれている。
騎士、メイド、文官、医療者など。
その中でも花の絵がたくさん描かれたページが目に付いた。
メイドのページも色鮮やかで魅力的に描かれていたが、もう一つの葉と花両方がメインである方に惹かれた。
薬師、と書かれている。
医者の出す判断とともに薬を作る人のことのようだ。
覚えることも多くて、毎日色々な発見があるからずっと勉強し続けないといけない、そんなことが書いてあった。
また命に関わる重大な仕事だ、と。
私はこの学園に通うことは嫌いだったが、家庭教師に教えられることは苦痛ではなかったし、自分で勉強すること、知ることは好きだった。
命にかかわる重大な仕事。
私も誰かの何か重要な存在になることができるのかもしれない。
そう思った瞬間に決めた。
私は薬師になる。
それから分厚い方で、薬師の項目を見た。
薬師になるには、王宮での試験に合格しなければ資格が得られないようだ。
そのためには何年も勉強する必要があるとも書かれていた。
私が苦手な学園のようなところに今よりさらに長く通わなくてはならなくなる。
また、薬師になるには学ぶ費用が膨大にかかるらしい。
私は何も持っていない。
当面の課題は、学園を卒業した後、薬師になるためのお金を稼ぐ方法。
今私にできることで対価としてお金を貰うことができる能力ってなんだろう。
分厚い本を見ながら何となく考える。
絵本の方には大きなお金を稼ぐことができるが、技能や資格が必要なものしか書いてない。
逆に分厚い本には大衆向けなようで、技能や資格がなくとも、働き手を必要としているものが書かれている。
現実的にはまずはそちらでお金を稼ぐしかない。
パラパラとめくってみるが、農業や、運送などの力仕事は私では無理だろう。
また、商業組合などの受付といった毎日多くの人に会わなくてはならないものも、私の色が邪魔をする。
そもそも私は誰もが嫌う色を持っている。
こんな私を働かせてくれる場所などあるのだろうか。
どんどんと日が落ちていって辺りが暗くなるのにつられて私の気持ちも暗くなっていく。
そろそろ帰らなくてはならない。
ノアももうじき帰ってくるだろう。
私は本を自分の教室に置きに戻ってから、随分と待たせたであろう馬車に乗り込んだ。
「遅くなってごめんなさい。友達と話してたの。明日もこのくらいの時間にお願いします」
と、告げた。
「かしこまりました」
と、従者の人が告げて、静かに馬車は動き始めた。
家に帰ると、ノアはもう帰ってきていた。
今日はずいぶんと早い帰宅だ。いつもならすごく嬉しいことだけれど、今は少しどきっとした。
「ノア」
私は玄関ホールのソファに座り明らかに私を待っていた様子のノアに駆け寄る。
「おかえり」
ノアはそのまま私を抱きしめてくれた。
「ただいま。ノアもおかえり。今日は早いね」
「うん、今日は早く帰らないといけないような気がしたんだ」
ノアは笑ったが、ちょっとだけ、怖いと思った。
「ちえりは遅かったね。なにしてたの?」
そう聞かれて、昨日のことで、クリス様の話はしない方がいいかな、とは思ったが、嘘をつくのもおかしい気がして、素直に話す。
「あのね、今日授業のあとクリス様とお話ししてて、遅くなっちゃった」
ただし、まだ、ノアから離れることは言わない方がいい気がした。だってノアが婚約者のことを私に話さないから。ノアがその話をしなければ、私がしなくてはならないことをうまく話せる自信がなかった。
「そうなんだ。昨日もクリス様のこと言っていたけれど、仲がいいの?」
ノアがいつもの様子で返答してくれたことに安心した。
「わからないけど、でも、…」
でも、クリス様とロバート様は仲間だって言ってくれた。
そう言おうとしていたら、ノアが口を開いた。
「それなら、もうクリス様と個人的に会うのはやめた方がいいかな。君の色が王家に関わると変な憶測を呼びかねない」
いつになく厳しい口調。
ノアと出会った頃、私がこの世界に来たばかりのころ、ノアはまだ17歳で王子様だった。
ノアは私を引き取るために、王族から籍を抜いた。
だから、ノアがいうことがもっともだということは分かる。
「うん…」
ノアは私を抱きあげ、膝に乗せると、ぎゅっと抱き込んだ。
安心する体温。私はノアに抱きしめられるのが大好きだ。
だってノア以外私を包んでくれる人はいなかったから。
途端に身体の力が抜けてしまった。
「俺はちえりのこと大切に思うんだ。だから、傷ついて欲しくない。クリス様には大きな力がある。だからこそ彼の周りにいたいと望む人間に害をなされてしまうかもしれない」
ノアはゆっくりと私の髪を撫でた。
私のことを受け入れようとしてくれた二人に迷惑をかけたくない。それに誰かに危害を加えられるのは怖いからいやだ。
「愛してるよ。だから君を失いたくない。ずっとそばに居てね」
耳元で紡がれた言葉が心地良すぎる。
ノアはそばにいてね、と言ってくれた。
それならば、ここにいた方がいいのではないだろうか。
その方が楽だ。
これからのことを考えなくてもよくなる。
このまま何も考えないで、ノアの腕の中にいたい。