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人殺しと終末迷宮の骸姫

作者: ミド乃介


 僕、コルク・ベルトの表情は晴れない。

 足取りも鉛を引きづるかのように重く、常に胃がキリキリと悲鳴を上げている。


「ああ……僕、この先どう生きていけばいいのかな」


 腹部を押さえながら、そんな漠然とした戯言を口にした。

 向かう当てもなくふらふらと『終末迷宮』に足を運んだはいいが、コルクにはその迷宮を進む術もなければ目的もない。

 なら何故コルクは『終末迷宮』に足を運んだのか。それは彼自身にも諒解できる事物ではなかった。

 可能性があるとすれば、それは彼の無意識な死への願望だ。

 というのも、『終末迷宮』とは名の通り『終わりの迷宮』の辞意がある。『終末迷宮』は世界地図の最北端、大峡谷の岩壁に仰々しく存在する死の迷宮だ。


 世界には無数の迷宮が存在する。

 ある時人は腕試しに意気揚々と迷宮に挑む。

 ある時人は迷宮に眠る金銀財宝を求めてやってくる。

 ある時人は依頼を受け、我欲の為に足を運ぶ。

 ある時人は迷宮を制覇し、莫大な富を以て一国を築き上げた。

 迷宮にはそんな、人々の潤沢な夢が詰まっている。


 だからと言って非力で拙い人間が、そう易々と立ち入ることは不可能だ。

 迷宮は宝物を守る兇悪なモンスターの坩堝。戦う術を持たぬ人間が、迷宮に挑んだところで結果は目に見えている。

 そんな魔境に立ち向かうは、各地に蔓延る無謀で勇敢な冒険者達。

 彼らは、己の職を磨き上げ、その力を以てして迷宮を駆け巡る。また、鍛錬の場として実践躬行する。

 そうした迷宮にも度々呼称が付けられるのだ。それは、制覇者の名であり、発見者の名であり、将又モンスターの名であったり。そんな遍く呼称の中、付けられた名が『終末迷宮』。

 この迷宮に挑んで戻れたものはただ一人、それも果敢に戦い制覇した英雄では無く、満身創痍の様子で命辛々逃げ出してきた愚者。

 彼は歯の根が合わぬ状態で「絶対に立ち入るな」と言葉を残し、逃げるように故郷に帰っていったそうだ。

 

 こんなこと、冒険者なら知っていて当然の常識。

 コルクも一応は冒険者の端くれ。勿論、十二分に弁えている。その上で『終末迷宮』に足を踏み入れたというのだから、彼の心境を『死にに来た』と捉えて間違いがあるだろうか。いや、無い。


 そんな『終末迷宮』の内部は閑静で、見渡す限りの大理石で舗装されている。コルクが一歩、また一歩と歩みを進める度に甲高い音が反響する。そこはさながら迷宮と呼ぶには不似合いな、神殿のような場所だ。


 そんな迷宮を、コルクは一体どれだけ進んだだろうか。右も左も解せずに、ただただ壁伝いに進んできた。もしかすると想像よりも進んでいないかもしれないし、進んでいるかもしれない。

 ただ妙なのは、未だにモンスターと遭遇していないこと。あの『終末迷宮』だというのに、モンスターどころか生物の気配すら感じ無いとはどういうことなのか。


「帰ろうかな」


 足はどこへともなく進みつつ、徐にそんなことを口にした。

 コルクの真意は自分でも定かではないが、おそらくはモンスターの有無にあった。いずれ近い未来に死ぬことになるのら、迷宮で死ねるのが冒険者冥利に尽きるというものではないかと。意図せず思考していたのかもしれない。

 いずれ近い未来に死ぬというのも、ただ後の冒険者道を悲観視しているわけではない。動因はコルクの職業にあった。


 冒険者は今や、主な就職先の七割を占める引く手数多の職業だ。冒険者の中には仕事の概念を示す『職業』とは別に、各々の特性や性質、魔法や剣技の適正を示す『職業』が存在する。これは、単に人が判断するのではなく、体の中を流れる生命エネルギーを基に、それを感知することのできる賢者が下すのだ。よって、下された適正に謬錯はない。二度と変わることのない運命だ。

 

 冒険者としての一生が決まると言っても過言じゃない。それが彼に近い未来の死を思わせた動因なのだ。

 コルクの職業とは、過去幾千もの時の中で一度しか適正者が現れなかった幻の職業『人殺し(キリング)』。そのため『人殺し(キリング)』の特性や性質、魔法や剣技の適正についてはほぼわかっていない。わかっていることは一つだけ、『人を殺すと強くなる』という特性のみ。


 ただもう一つ新たに判明したことがあった。それは、モンスターを倒しても経験値にならないこと。いくらモンスターを倒してもレベルが1からピクリとも動かないのだ。

 しかしその過去に一度だけ存在したという『人殺し(キリング)』の適正者は、歴史に名高い殺人鬼『猟奇者(リッパ―)』と呼ばれた男。彼は一人で強大な力を有していたという。

 謎の多い『人殺し(キリング)』という職業だが、代わりにコルクは『猟奇者(リッパ―)』の生まれ変わりだと忌み嫌われ、蔑まれた。


 彼は幼少時に両親を亡くし、孤児院で育った。孤児院育ちというのもあってか、異常者やモンスターによる悲惨な事件を多く耳にした。その度に冒険者の活躍も聞かされ、彼は間もなくして冒険者に憧れる。

 そして月日が経ち、十六歳で成人を迎えたコルクは念願の冒険者になった。だというに、運命は残酷で、彼に『人殺し(キリング)』という名の災厄を与えたのだ。


 『人を殺せば強くなる』なんて曖昧で出鱈目な特性で、おまけに経験値は入らない。使える魔法も剣技もない。こんな状態で冒険者を続けていても、近い未来に死ぬのは目に見えた現実だった。

 そもそも、コルクは天涯孤独の身。死んだとこで悲しむ人はいない。強いて言うなら孤児院のシスターさんや子供たちくらいか。と言ってもコルクの職業が『人殺し(キリング)』だったと告げてから連絡が取れなくなってしまったが。


「なんだろう、ここ」


 彼の鉛足は、知らず知らずのうちに重厚な扉の前に向いていた。

 扉は両開きで、淵には見たこともない文字が羅列している。高さは三メートル、幅は五メートルといったところだろうか。扉の上方には双方に黒い宝石のオブジェクトが嵌め込まれているのがわかる。

 

 もしかすると、この扉の先が魔窟なのかもしれない。この先に行けば、コルクは冒険者らしくいれるのかもしれない。そんな淡い嘆願が頭を駆け巡る。

 死ぬのが怖くないと言うと嘘になるが、あくまでも彼に死ぬつもりは毛頭ない。ただ、冒険者が冒険者らしく戦って、その上で死ぬ可能性が高いだろうという憶説があるだけだ。


 ある種の乱暴な決意を胸に、いざ開かんと取っ手のない扉に掌を合わせた。

 しかし、予期せぬ拍動が彼の決意の邪魔をした。それは無意識とは別の、人間の死を恐れる本能のようなものだ。


 こんなところまで来ておいて、僕は単なる扉を開くことさえ躊躇するのか……?

 コルクは自らに言い聞かせる。これまでの無力で哀れな己を、両親を目の前で殺されたあの日を、倒しても倒しても成長しない絶望を、生まれてきてからの無能だった現実を思い起こす。

 こんな、自分では如何することも出来なかった事物と突合すれば、扉を開くだけのことがどれだけ安易なことだろうか。


 決意を新たに、未だ鳴り止まぬ拍動を意識の底に追いやった。

 扉に触れる掌に力を込め、全体重をかけてようやくその重厚な扉が鈍い音を立てて開かれる。

 扉の中には大理石で囲まれた、広くて天井の高い部屋があった。部屋というよりは広場に近く、宛ら闘技場を思わせるかのような造りだ。

 コルトは息を呑み、鉛足を踏み入れる。全身が恐怖に震えるのを、皮膚を抓る痛みで誤魔化した。

 腰に下げた鈍らの短剣を鞘から抜き出し、ゆっくりと辺りを警戒しながら進んでいく。しかし、一向にモンスターの姿が確認できない。


 もしかするとここは『終末迷宮』ではないのかもしれない。そう錯覚してしまうほど、モンスターの気配が一切しないのだ。挑んで帰らぬ者となったという冒険者の亡骸も、一度も目にしていない。

 そんな不信感を己に抱きながら歩みを進めていると、不意の気配に腰を抜かしてしまった。


「――っ」


 それは視界の奥、部屋の中央に鎮座している。

 おそらくモンスターではなく人間だ。ただ、それは微動だにせず、倒れているように見える。

 つまりあれは、『終末迷宮』に挑んだ者の亡骸だろうか。このような広い空間の中央で力尽きているのも奇妙な話だが。

 コルクはどうにか体を起こすと、両手で短剣を握りつつ、おずおずとその存在へと近づく。

 そして、その存在を目にした時、彼はあまりの衝撃に言葉を失ってしまう。


 そこには、少女が倒れていた。


 その少女を見て、コルクは単純に綺麗だと思った。

 青色のラインの入った白のワンピースで身を包み、綺麗で繊細な白い手足が乱暴に投げ出されている。武器どころか荷物一つすら身に着けていない、冒険者とは思えない身のこなしだ。

 肩まで伸ばしたその黒髪は、見ているだけで引き込まれてしまいそうになるほど美しい。

 年端もいかぬ少女だが、その肢体から漂う蠱惑にコルクは見惚れしまう。


 耳を澄ますと、少女の吐息が微かに聞こえる。どうやら、この少女は眠っているだけらしい。

 なら何故このような『終末迷宮』の奥底で眠っているのか、コルクには想像がつかない。

 髪や格好こそ乱れてはいるものの、服装は綺麗に整えられている。なにか辱めを受けたような形跡も見られない。

 ただ、コルクは見つめることしかできないでいた。


「本当に、綺麗だ」


 不意にそんなことを漏らした。

 それと同時に、コルクはあることを思い立ち、手に持つ短剣を強く握った。

 それは、一種の好奇心からの出来心で、願望でもあった。


 もし、今この誰も立ち入ることのないであろう『終末迷宮』で僕がこの少女を殺したら、どうなるのだろうか。彼女はどんな反応を見せてくれるのだろうか。そして僕は、救われるのだろうか。


 彼はすでに『人殺し(キリング)』の職業を自覚した時から、狂っていた。

 人を殺すことは異常者のすることで、人殺しの気持ちなど理解しようとしても無駄だ。理解しようが無いし、そもそも僕に人を殺す勇気なんてない。殺したいとも思わない。

 しかしそう思案する反面、心のどこかで『人殺し(キリング)』の適正が出てしまったことを、快く受け入れる自分がいたのだ。

 自分の意識の及ばぬ領域で、彼は人を殺してみたいと主張する自分を飼っていた。

 喉に刃を突き付けられた人間は、どのような顔をするのかな。そして躊躇なく突き刺したら、一体どんな断末魔を聞かせてくれるのかな。そんな無意識の好奇心を、彼は今この瞬間に認めた。

 

 気づくと、コルクは眠る少女の上に又借り、握る短剣を主張の少ない胸に突き付けていた。

 もはや、彼の心は決まっている。躊躇するつもりは毛頭ない。

 彼はその胸に突き付ける短剣に力を込めて、心の底から湧き上がる昂奮に口元を緩めた。


「はは、はははっ」


 自分すら気づかぬ不気味で異様な笑い声。もはや快楽に溺れる異常者のそれである。

 コルクはそのまま固い粘土に刃物を突き刺す様な感覚と共に、少女の胸に短剣を突き刺した。


「――ハフッ」


 少女の漏れるような声。しかし、そんなことにを気にしている余裕はない。

 突き刺す感触を忘れられず、彼は何度も何度も何度も指しては抜きを繰り返した。その残虐非道の行いに、見たもの誰もが嫌悪感を示すだろう。


 そして、完全に少女の息が途絶えたことを確認して、ふらふらと立ち上がる。

 返り血を全身に浴びて、血色の短剣を握る。目の前には自分が執拗に刺し殺した少女の、あられもない亡骸。純白だった少女のワンピースは、もはや初めから赤かったのではないかと思うほど、全体を血色で染めていた。それを見て、彼は極上の悦楽を全身に感じている。


 ついに、コルク・ベルトは人を殺した。

 文字通りの人殺し、『人殺し(キリング)』の名に相応しい人間になれたのだ。

 そうして、その実感を胸に改めて少女の亡骸を見て、何かが込み上げてきた。


「――うっぷ」


 それは紛れもない吐き気で。

 コルクは堪え切れずに、黄色い胃液と共に胃の中のもの全てを吐き出した。どうにか少女の亡骸は汚すまいと、顔を反らす。

 これ以上ここにはいれない。

 それは、少女の無残な亡骸が原因ではなく、自らへの不快感から来るものだ。

 彼はなにも本質が人殺しなのではない。あくまでも、そういう一面があることを認識したに過ぎないのだから。

 コルクは握る短剣をその場に落とすと、手で口を押さえて扉へ向かう。


「待って」


 不意に声をかけられて、立ち止まる。それも、背後からの声だ。

 彼の背後に、少女の亡骸以外に人がいただろうか。いたのなら、先程の彼の悪行を見ていたのか。

 あらゆる鬱屈が思考を埋め着す。そんな中、恐る恐る振り向いて、己の目を疑った。


 そこに立っていたのは、紅色のワンピースを身に着けた華奢な肢体の美しい少女だ。

 そしてその少女は間違いなく、コルクが殺したはずの少女で。


「あなたが、私を殺してくれたの?」


 湖に雫が落ちたような涼やかな音色が、そんな言葉を奏でた。

 コルクはその現状に頭がついていかず、少女の言葉を咀嚼した。しかし、彼女の言葉と現状が矛盾していて、何を言っているのかわからなかった。

 ただ、黙って彼女の鈴色の瞳を見つめることしかできない。


「男の子? あなたが、私を殺してくれたの?」


 そうだ。

 確かにこの部屋で眠っていた少女を、無残にも刺殺したのは僕だ。

 確かに、死んだのを確認したはず、なのに。目の前で少女がピンピンしている現状が、全く理解できない。

 目の前の少女は不思議そうな表情で、コルクを見つめている。


 しかし、こんな状況でもコルクは少女を見て、綺麗だと思ってしまうのだった。


反応が良ければ連載化しようかと思います。

続きを見てやってもいいという方は良ければ評価やブックマークをお願いします。

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