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 紫苑祭当日、私はいつもの地味メイクに藍色のドレスを着ていた。ポイントに後ろと袖にリボンがついていて、袖や裾からはレースが幾重にも出ているが、全体的にシンプルなデザインだ。

 私はジェレミーにエスコートされて参加していた。ジェレミーは言葉通り私の側にいた。

 久々に会う学友たちとたわいもない話をしていると、殿下とエミリア様が、こちらに向かってくるのが見えた。

 金髪に碧の瞳を持つ殿下は、薄い唇に柔らかい笑みをたたえ、均整のとれた体格で、歩く姿は凛々しくも優雅だ。エスコートされている、緩やかに波打つ青色の髪に同色の瞳が神秘的な雰囲気のエミリア様は、桃色の唇は柔そうで艶っぽく、薄紫のドレスから覗く白い肌が陶器のように美しいご令嬢だ。


 さすがゲームの世界。絵になるお二人だわ。

 それにしても、何も起きないわね。ゲームの世界ではなくなってしまったのかしら。


 私は美しい二人を目に焼き付けながら考えを巡らす。


「やあ、ジェレミー。やっぱり、休みが欲しいって紫苑祭のことだったのか」


 殿下がジェレミーに声をかけると、ジェレミーは無表情に臣下の礼をとった。


「アイリス嬢は久しぶりだな」

「はい。お久しぶりでございます。エミリア様も」


 学園内なので、気安い挨拶を交わす。


「ジェレミー様は、たまにお見かけしますけど、アイリス様とは半年ぶりね」

「そうですね。今は自宅で論文を書いておりますの。学園には、月に一度論文の指導を受けに行くくらいですわ」

「そうなの。今度いらした時は、ランチでもご一緒にいかがかしら」

「はい、ぜひ」


 そうか。ジェレミーは王太子様の側近だから学園にも行くのか。ヒロインについて全く聞いたことがないけど、接触しているのかしら。

 それにしても、眼福な人々と一緒にいると、注目の的だ。皆の視線が集まって地味な私には辛い。


 私だけ悪目立ちしているようで、落ち着かない。もちろん態度には出さないが。

 四人でしばらく話をしていると、会場が色めき立った。そちらの方に目を向けると、入り口から、鍛えられた体つきの、褐色の肌に銀色の髪を後ろにまとめ、緑色の目をした、背の高い青年がこちらに向かって来た。


「レイモンド」


 殿下が声をかける。


「やあ、ルイス」


 レイモンドと呼ばれた青年は、親しげに殿下の名を呼んだ。私がキョトンとしていると、ジェレミーが耳打ちしてくれた。


「隣国の第二王子のレイモンド様だ。両国の友好を深めるために、お互いの王族は交換留学をするんだよ。今回私がその手続きやらを担当していてね」


 どうやらここ最近のジェレミーの多忙は、この第二王子の対応のためだったらしい。


「こちらの美しいご令嬢たちは?」


 殿下がエミリア様と私を紹介してくれた。エミリア様と私はレイモンド様に臣下の礼をとる。


 ゲームの世界だけあって、どこまでいっても美男子だ。おや? エミリア様心なしか頬が赤いような。



*



 紫苑祭から三ヶ月後、私は公爵邸の居間で驚愕していた。


「どういうこと?」

「だから、殿下とエミリア嬢の婚約が解消された。エミリア嬢はレイモンド様と婚約されて、学園を卒業すると同時に、隣国に花嫁修行を兼ねて行かれることになった。一年の準備期間をもって結婚される」

「それは聞いたわ。どうして!?」

「エミリア嬢とレイモンド様が恋に落ちてしまったからだろう? 思い悩んだエミリア嬢が食事も喉を通らなくなって、倒れられたから、殿下が婚約を解消されたんだよ」


 ジェレミーはやれやれというように続ける。


「そもそも正式な決定ではなかったからね。まあ、解消することが望ましい訳ではないだろうけど、人の気持ちなんだから、不測の事態は起こるものだよ。お二人は、長く婚約されていたから、情はあったみたいだけど、愛し合っているわけではなかったようだしね。

 それに、レイモンド様に公爵家の令嬢が嫁ぐのは、隣国と友好関係を築くには悪くないからね。それで殿下は、婚約を解消されたんだよ」


 固まっている私にジェレミーが続ける。


「先々代の頃だと、婚約解消は難しかっただろうね。現国王が恋愛結婚だから、理解があるんじゃないかな」


 なんてことだ。まさか卒業間近でキーフラグが復活してこようとは。そもそも王族との婚約解消がこんなに簡単にできるなんて。貴族社会とドレスの裾の長さにすっかり騙された。


 私は脱力してソファに寄りかかってしまった。抜け殻のようになった私をジェレミーは黙って見ていた。

 エントランスの方が俄かに騒がしくなったが、私はそれどころではなかった。執事が部屋に入ってきて、ジェレミーに何か耳打ちすると、ジェレミーは小さく舌打ちして、部屋から出て行ってしまった。一人残された私は、ぼんやりと窓の外を眺めていた。

 再び部屋のドアが開いて、ジェレミーと殿下が入ってきた。私は目を見開き、慌てて臣下の礼をとろうと、立ち上がろうとすると、殿下が手で制した。


「ああ、アイリス嬢、そのままで。突然の訪問で驚かせてしまったね」


 私は座ったままで、挨拶をする。


「まったくです。せっかくの休暇が台無しです」


 ジェレミーの不機嫌を隠さない物言いに、不敬罪にならないかヒヤヒヤしたが、二人はそういう仲なのか、殿下は気にしていないようだった。


「何のご用ですか?」


 ジェレミーが私の隣に座りながら、冷たい視線を殿下に向ける。


「婚約を解消したろ? そうしたら、婚約者にと絵姿やらお茶会の招待状やらが山のようにきてね。いつもは、面倒なことはジェレミーが対応してくれるけど、今日はいないだろう? だから逃げてきた」


 ジェレミーが、あからさまにため息をつく。


「解消したらどうなるか、十分想像できたことではないですか。早く婚約者を決めることですね」


 まあそう言うなよ、と苦笑いする殿下と目が合う。殿下が悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「アイリス嬢は、まだ相手が決まっていなかったよね? 私の婚約者になる気はない?」

「「⁉︎」」

「と、とんでもございません! 私では不釣り合いです!」

「殿下、ご冗談でもそのようなことは言わないでください」


 私とジェレミーは同時に口を開いた。殿下は少し目を丸くされ、それから可笑しそうに私たちを見る。


「なぜ? アイリス嬢は公爵家のご令嬢だよ? 身分も礼儀作法も問題ない。しかも二年生で卒業試験に合格するくらいに優秀だ。お妃教育は受けてもらわないといけないけど、アイリス嬢なら十分できると思うよ。

 それに最近、学園でランチを共にするようになって、私はアイリス嬢を気に入っているんだよね」


 私と殿下は、紫苑祭以降たまに話をすることがあった。もちろんエミリア様も一緒だ。論文を学校に提出しに行った時などは、ランチを共にしたりしていた。


「殿下」


 ジェレミーの声がいつもより低くて、思わずジェレミーの横顔を見ると、圧のかかった視線を殿下に送っている。


 ジェレミー、それくらいにしとかないと殿下が焼け焦げる。不敬罪になるからやめて。


「今日の君は怖いね。普段の君からは想像できないよ。アイリス嬢のこととなると、ずいぶんと心が狭くなるね」


 面白いものを見たと、殿下は笑った。ジェレミーは殿下の問いには答えず、剣呑な目を殿下に向けるが、相変わらず殿下は可笑しそうに笑っていた。

 私は背中を冷や汗が伝い落ちるのを感じた。



*



 その日の夜、私は湯浴みを済ませてベッドでくつろぎながら、キーフラグの対応策を考えていた。


 卒業式までの三ヶ月で、殿下とヒロインが急接近するのかしら。一体何が起きるのか、もう予測がつかないんですけど。


 投げやりな気持ちで、クッションにあたっていると、ドアがノックされた。


「アイリス、まだ起きてる?」

「起きてるわ。どうぞ」


 私はベッドの上から返事をすると、ジェレミーが入って来た。ジェレミーも寝る前らしく、ダークグレーのシルクの寝間着を着ていた。湯上りのためか、少し濡れている髪は艶めいて、頬は上気してる。


 相変わらず無駄に色気が漏れているわね。


 ジェレミーは私の側に来て、ベッドに腰掛けた。触れるほどに近い。


「どうしたの?」

「アイリスは殿下のお妃になりたい?」

「いいえ。前にも言ったと思うけど」


 またこの話か。やけにこだわるわね。


「よかった。じゃあ、僕のお嫁さんはどう?」


 私は予想もしていなかった質問に目を瞠る。ジェレミーは、期待と不安がないまぜになったような目で、私を見つめている。

 私が答えに窮していると、ジェレミーが口を開く。


「私が貴族ではないから嫌?」

「身分は関係ないわ」


 私は慌てて首を振る。ジェレミーが、貴族出身でないことに負い目を感じている設定を思い出していた。この国は、身分制度が緩いとはいえ、貴族社会だ。ここは全力で否定しておく。

 それに、前世の影響だろう、私は出来損ないの貴族のボンクラより、自活している男性を好ましく思っていたのも事実だ。


「じゃあ何が問題? 顔が好みじゃない? それとも性格? 今の仕事とか?」

「え? 顔は、か、かっこいいと思うわ。うん、かなりの美男子よ。性格は、優しいし、私には甘いくらいだわ。仕事のことはよく分からないけど、殿下の側近なんて誰でもなれるわけではないし、すごいと思うわ」


 私は一つ一つジェレミーの質問に答えていく。


「ジェレミーは、すごく努力してると思うの。幼い頃にご両親をなくして、大変な思いをしたのに、前を向いて、たくさん勉強してた。学園も首席で卒業したでしょ。剣術だって、大会で優勝するくらいの腕前なのに、それに甘んじることなく、今も訓練しているし。

 しかも今は、王太子様の側近としての仕事だけでなく、お父様について領地経営や、ジェレミーのお父様の残した商会の手伝いも始めてるって聞いたわ。なのに忙しい合間を縫って、私の買い物に付き合ってくれたり……ジェレミーと結婚するのを嫌がる人なんていないわよ」


 散々言い募って、はたと気付く。


 こんな優良物件のジェレミーに、なぜ婚約者がいないのかしら。貴族ではないけど、公爵家と血縁関係にあるし、眉目秀麗、頭脳明晰なのに。


 私が疑問に思っていると、ジェレミーが私の腰に腕を回し、優しく引き寄せて私の額に自分のそれをくっつける。


「そんなふうに僕を見てくれてたんだ……嬉しい」


 蕩けるような笑顔を向けるジェレミーに、自分の言ったことを思い出し、私は頬に急速に熱を覚えた。


 まるで愛の告白みたいじゃない。


「ジ、ジェレミーは、なんで婚約者がいないの?」


 恥ずかしさを誤魔化すように疑問を口にする。


「あぁ、僕はアイリスと結婚するって決めていたからね。話はそれなりにあったけど、全部断ってるから安心して? それよりアイリスは、僕のお嫁さんになってくれるよね?」


 最後の一押しを笑顔で迫られ、ここまで言ってしまった私は頷くしかない。もともとジェレミーのことは、大好きではあるが。

 意識し始めると、胸に甘くくすぐったい気持ちが広がる。


「嬉しい。アイリス、大好き……」


 ジェレミーはきつく私を抱きしめて、肩に顔を埋める。


「ジェレミー……私も大好き」


 ジェレミーの幸せそうな声色に、胸が温かくなるのを感じ、そっと背に腕を回す。


 ジェレミーは兄になると思っていたけど、結婚する事になるなんて……ん? そうだ、お父様になんて言おう。


「ジェレミー、お父様には……」


 私が言いよどんでいると、ジェレミーが優しく頭を撫でた。


「心配しないで、僕に任せておいて……あぁ、よかった。もし断られたら、攫って閉じ込めようかと……アイリスが他の男のものになるなんて……考えたくもない」


 不穏なセリフに、私は体をピクリとさせる。ジェレミーは私と向き合う姿勢になって、私の髪を手に取り、ゆっくりと口付ける。


「アイリスも嫌でしょう? 僕も手荒なことはしたくないからね。殿下のせいで、予定より早く結婚することになったけど。愛しているよ、僕のアイリス」


 いつの間にこんな不穏なことを考えるようになったのか。


 私は軽く混乱した。ジェレミーは微笑み、私の片頬に触れ、唇を重ねた。

2018/11/24 誤字修正

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