1-8 最も辛い罰
地獄の熱、地獄の音、地獄の臭い、地獄の光景、地獄の味。
五感全てに訴えかけるそこは、俺の夢の中だった。
そこでは俺は今よりもずっと子供で、広がる地獄に蹂躙される人々をただ見ているしか出来なかった。
楽しい思い出も悲しい思い出も、何もかもが焼けて泥に沈む。その光景は郷愁すら消し去るものだった。
場面は移ろい、生暖かい泥をかいて地獄から逃げる自分がいる。
泥と思ったそれは生臭く腐り爛れた肉で、その中には見知った顔が浮かび上がる。
それを搔き分け、必死に逃げている俺を、俺は冷静に見ていた。
そして夢が続くにつれ、だんだん成長するにつれ、逃げるためにでなく、生きるために動き出す。
生きるために殺して、食って、殺して、飲んで。
一日一日を生きる度に周りに死体が増えていく。
気付けば俺が殺した死体だらけになっていた。
気付けば地獄の中心に俺が居た。
夢から覚めると、縛り上げられていた。
両手を後ろ手に縛られ、足も縛られ、自由がない。
どうやら大きいテントの中に居るらしい。血の足りない頭でもそれくらいは分かる。
「おい、起きたようだな。糞野郎」
隣を見るとジェーンが今にも殺しそうな眼差しで睨んでいた。
それはジェーンを仕留め損ない、俺も死に損ない、気絶する前の戦いがまだ続いている証だった。
が、今すぐ殺さないと、とは思わなかった。
さしものジェーンも、縛られたままで俺を殺せるとは考えられなかった。
そう。何故かジェーンも同じように縛られて、その上食い千切られた猿轡まで膝に乗っている。
そんな状況で人を殺せるのは、文字通りの死神くらいだろう。
「よくも私をこんな目に遭わせてくれたな」
それをしたのは俺ではない。
もし俺がやったとして、一体どうやったと思っているのだろうか。
「覚えてろよ。これからてめえは死んだ方がマシって思いをするんだからな」
「……」
「おい聞いてんのか?」
そう言えば、傷口はどうなったのだろうか。
首を傾けてみると、趣味の悪い短パンの裾から包帯が見えた。
治療はしてあるらしい。
「聞いてんのかよっ! この屑!!」
「おいおい。気絶するまで戦ったのに、まだやり足りないのか?」
騒ぎをいち早く聞きつけたらしい。オルフェンが入って来る。
かったるいのか大きくため息をついて、俺を見てそれよりも大きなため息を吐き出した。
「と、目を覚ましたのか……何かジェーンと一緒に随分と引っ掻き回してくれたみたいだな」
「私は悪くねえ!」
「そう言う話はまとめてするって言っただろ。おい、クライブ。質問に答えな」
隅にあった椅子を引き寄せて、どっかりと座り、腕を組む。
そして、とても面倒臭そうに三度ため息をつくと、質問を始めた。
「えーと、てめえらが殺し合ったきっかけは何だ?」
「敵を殺すか殺さないか」
「次の質問だ。撃ったのは、先ず口火を切ったのは、どっちからだ」
「俺が敵兵を撃とうとして、ジェーンがその銃を撃った」
「その太ももの傷は?」
「その後飛んだ時に撃たれた」
「そうか。じゃあ最後の質問だ。お前はジェーンに、敵兵は殺さない、と何度も言われたのに殺したそうだな。一体どうしてだ?」
その質問に、空気が張り詰めた音を聞いた気がした。
どうも、オルフェンはそれが許せないらしい。
彼も地獄では長生きできそうにない質らしい。散々感じていた事だけど、ここにはそう言う人しかいないのだろう。
「敵は皆殺しにする。生存率を上げる為の方法だ」
「だから、殺した?」
「ああ」
「そうかい。つまり話をまとめるとだ。ジェーンは無力化した敵を生かしたかったがクライブは殺したかった。話は平行線。そしてクライブが敵を殺害しようとして、ジェーンが発砲。そこから殺し合いって事だな」
「ああ」
「そうかそうか。……」
オルフェンがゆっくりと立ち上がって、俺の前に立つ。
何をする気なのか。
殺す気か、売り飛ばす気か、賞金首として突き出す気か。
凶器を出した瞬間、蹴り飛ばし逃げられるよう逃走経路を確認しておく。
そして、オルフェンの一挙手一投足を注視する。
俺に対して、オルフェンは……
「この、馬鹿野郎が!」
拳骨を落とした。
「いいか! 口はおまんま食うためってのが許されるのは赤ん坊の時までなんだよ! 何いきなり人殺してるんだよ! 話し合え! それと仲間同士で殺し合うんじゃねえ! てめえは理性も何もない獣か!」
頭が痛い。割れる様だ。
それに、こいつ何を言っているんだ。いや、何を考えているんだ。
怒ってはいるのに、殺意がない。それどころか憎いという感情も感じない。
仲間を殺されかけた反応とは思えない。一体何を考えてるんだろうか。
「ははっ。叱られてやんの」
「てめえもだ! ジェーン! 命を大事にするのは良いがその為に味方を撃つんじゃねえ! つーか軍事的条約は正規軍にしか適用されねえんだよ!」
ジェーンの頭にも拳骨が落ちた。
「ってええええ! 私悪くねえぞ!」
「どんな理由があっても仲間撃ったら悪いんだよ。クライブも覚えとけ。いいか、仲間は撃つな。仲間を撃って良いのは仲間じゃなくなった時だけだ」
ああ、面倒だ。喧嘩の加減も出来ねえのか。
そう言って、出ていこうとして、付け足す。
「お前らの処罰は追って連絡する。暫くそこで頭を冷やしてるんだな」
オルフェンの後ろ姿が消えて、また二人取り残される。
別に殺すわけでも賞金首として突き出すわけでもないのか。何でだろう。
それとも追って連絡する処罰で、俺をどうにかするのだろうか。
少し考えようとした時、隣が爆発した。
「ああああああ! 何で私が怒られるんだよ!」
また、煩くなるようだ。考え事が出来る状況じゃない。
機関銃のように騒ぎ立てる隣人に、耳栓が欲しくなってくる。
「てか私殺されかけたんだけど!? 確かに殺そうとしたけどさ! どう考えても悪いのはクライブだろうが!! このクズヤローだろうが!!」
キーンと耳鳴りがしてくる。これだけで太ももの傷口が開きそうだ。
「てめえ聞いてんのか!?」
「聞いてない」
「ああん!」
「ちったあ静かに反省しろや!!」
外からの怒声に、ジェーンが悔しそうに唇を噛む。
この待遇によっぽど不満で、その原因が憎いらしい。
「くそっ。分かったよ。望み通り銃も罵声もない、紳士的な口喧嘩でもしようじゃねえか」
縛られたままで、ひょいとうつぶせになる。
そして芋虫みたい二器用に這って向き直った。
真正面にジェーンの顔が来て、貼り付けたガーゼから血が滲み、乾いている様が見えた。
「おい、何で彼処までして敵を殺したんだ? もうあれは戦えなかっただろう?」
「いつか復讐するから」
「んなもん殺そうが殺すまいが変わらねえよ。そいつを殺しても、そいつの仲間や家族が殺しに来るだけさ」
そう物知り顔で言う女に、不快な感情が湧き上がる。
苛立ちでも悲しみでもない、まだ何とも言えない感情だ。
それに押されるまま、俺は口を開いていた。
「でも敵を生かした時よりは楽だった」
「あん?」
「生かした時は大変だった」
地獄の波が押し寄せたようだった。
何もかもを押し流すみたいに奪い去って、消し去った。
俺はただ、持てるものだけ持って逃げるしかなかった。
地獄のルールを守らなかったばかりに、銃弾の雨と飢えで死にかけたのだ。
ああそうだ。あの時に地獄を味わったのだ。
「だから敵になった奴は殺す」
「……何があったんだよ」
「ここが何なのか、知っただけ」
一体何を言ってるのだろうか。
誰に言う必要もなく、誰に言っても仕方がない事なのに。
そう思っていると、舌打ちが前から聞こえて来た。
「そうかい。まあ、お前にも事情があるってことは何となく分かったよ」
ジェーンが気まずそうに俯く。
「だが、こればかりは譲れねえ。敵だろうが何だろうが私は助けられる命があれば救う。それが出来る力が、今はあるんだからな」
今は、という言葉に少し引っかかる。
それにその目は少し薄暗くて、なんだか落ち着く。
親近感すら覚える暗さだった。
ずっとそんな目をしていればいいのに。
「オルフェンは、何で俺を殺さないんだ?」
きっとそんな目をしたからだろう。
まだ頭がぼんやりしているのも、あるのかも知れない。
全く意味のない質問を、ジェーンにしていた。
「アイツは、そう言う奴だからだよ。てめえが何か抱えてるって嗅ぎ取ってるのさ。それを自分で何とかできるって事も、きっと気付いてる」
「何とか?」
「ああ。だからアイツはてめえを殺さない。手放さない。覚悟しとけよ。オルフェンはタコみたいにしつこいぜ」
そう言ってカラカラと笑えば、薄暗さが消えてしまった。
もう話すことは無いだろう。
「変なの」
「おう、私も最初は思ったぜ」
ジェーンがまた這って隣に戻る。
結構傷に来るのか、いてて、と呟きが聞こえて来る。
「つーか、団長の言う罰とやらはいつ始まるんだ? まさかこうやって慣れ合わせるのが罰じゃないだろうな」
「そんな訳ないっすよお。きちんと罰は有りますよお」
背筋が、凍り付いた。
その言葉に、どうして俺は死ななかったのかと思った。
もしかしたら、初めて生まれた事を後悔したかもしれなかった。
扉を開きつつ、出て来た人物にジェーンの顔が真っ青になる。
きっと、俺もそんな表情をしていただろう。
まさしく罰だ。これほど効く罰もない。
そして俺達をこんな風に縛り上げたのも、これが理由に違いない。
何のことは無い。罰は追って伝えると言ったけど、最初から決まっていたのだ。
「良施術体に痛し。さあさあ、傷口をみせるっす」
メスを持ったエマが迫る中、俺達はもう顔を背けるしかなかった。




