2-2 裏の世界の住人達
俺の中の軍港の印象は、完全統制、といった代物だった。
軍人が常に目を光らせ、不法や犯罪は勿論、予定の遅れすら許さない。
完璧な管理で全てがスケジュール通りに動く街。
大袈裟に言えば、そんなイメージだったのだ。
しかしそんなイメージは、目の前に展開されて行く光景が徹底的に破壊していった。
具体的な例を挙げるなら、マフィア共が協定を作って独占した一区画。
はたまた、政治家が何か画策する為に隔離させた、怪しげな家。
もしくは、その付近に犯罪者が吹き溜まってできた、裏通り。
軍港といえども軍人の眼が届かない場所がある、という言葉はまさしくその通りだった。
例え権力を持つ公僕といえども、治外法権がひしめき合えば、手出しが出来ないらしい。
現在歩いているこのゴミと配管だらけの裏通りはというと、犯罪者が作ったものに分類される。
俺達が通ればある人は訝しみ、とある人は値踏みし、ある人は地面に唾を吐く。
言ってしまえば、社会から弾かれた人間の溜まり場だ。
その眼差しの剣呑さに少し親近感を感じる。
でも、ここで過ごしたくはないかも。
「余りじろじろ見るなよ。マフィアと違ってキレやすい。しかもガチでキレて来るから面倒なんだ」
そう言われたので、ぼんやりと前だけ見て歩いていると、突き当りに老人が座っていた。
片足がなくて傷だらけの顔を持っている、だけど雰囲気が柔らかい好好爺だ。
この掃き溜めの中では、余り類を見ない人だ。一体誰だろう。
「や、久しいのう。オルフェンとこの小坊主」
「爺も元気そうだな。まだ死んでなかったのか?」
顔見知りらしい。親し気に肩を叩き合ってにやりと笑っている。
「そろそろ死神に迎えの車を用意させようと思って居るのだが、彼方も大入りらしくてな。車が全てで払っとるらしい」
「はははっ。そうはいっても嫌われてるんじゃないのか?」
「ほうほう。それは困ったわい。徒歩であの世まで行かねばならんか」
「して、また追い返されんだろ?」
「くくくっ。そうに違いなかろうて」
「俺らとしては、このまま死に損なってくれた方が嬉しいけどな。仕事回してくれるし」
「おお、そうじゃった。仕事じゃったな」
思い出したように老人が手渡したのは、厳重に梱包された紙の包みだった。
澱んだ水路の様に濁った空気の中で見るそれは、あからさまに怪しかった。
ジュリアンの眉が寄ってちょっと手に取るのを躊躇する。
「爺さん。ヤバいもんじゃねえだろうな」
「勿論ヤバいもんじゃよ。が、いつも通りのヤバいもんじゃ」
「何だ。厳重にしてあるからガチでヤバいのかと思ったぜ。覚せい剤?」
「軍用のな。チョコに練り込んであるタイプじゃ。例によって、知人がこういうのは嫌いだと言っていての。金に換えて欲しいらしい」
「そりゃ賢い選択だな。薬食わされて、働かされて、ぽっくり死んだら誰が笑うってんだ」
「死んだ奴じゃない事は確かじゃな。レートは幾らかね?」
「それは中を確認しねえとなあ。開けて見ても?」
「構わんよ」
老人から了承を得て、ジュリアンが無遠慮に包装を引き剥がす。
中から出て来たのは板チョコだった。
文字はカシュアの物で、活力剤入りチョコレートと書かれている。
「うわ、カシュアのだ。敵国ともお友達かい」
「凄いじゃろ? と、言っても直接は手に入れとらんのじゃがな。カシュアと仲良しなガンディルと仲良くなっただけじゃよ」
とブイサインして見せる好好爺だけど、何故敵国と仲良しになれるのか、さっぱり分からない。
普通だったら即銃殺だから、絶対躊躇するだろうに。
「へえ、そんなのが居るのか。流石は爺だな。でも俺カシュアの文字読めねえんだけど……クライブは読めるか?」
「一応」
必要な知識を得る為に、本は絶対に必要だった。
だから読むだけならカシュアもガンディルも、他の国だって読める。
「何処を読めばいい?」
「覚せい剤の配合量を知りたいんだ」
「この数字」
「ありがとな。……何だいつもと変わらねえな。調べないと分からねえけど、多分これ一つで一万くらいだぜ」
「なら十万にはなるか。友人に良い報告が出来そうじゃ」
にこりと笑って、懐から何かを出す。
「ほれ、報酬金じゃ」
「あいよ。確かに」
紙弊を数えて、彼方もニヤリと笑う。
「じゃあ後は任せな。売り払ったら直ぐに金を渡しに行くぜ」
「ならば三日後、同じ時間同じ場所に待ち合わせよう」
「おう。じゃあ、今度飯でも一緒に食おうぜ」
これで仕事は終わったらしい。
もう用はないと言う様にジュリアンは足早に裏通りを歩き出す。
「これで終わりか?」
「まさか。今度はこれを聖別してくれる所に行くんだよ」
チョコの一枚をポンと叩いて、彼は笑った。
彼が次の目的地として訪れたのは、教会だった。
そこはまるで町中の子供が集まっているように、群れていた。
多分、戦争で親を失った子供たちの溜まり場で、孤児院のような状態になっているのだ。
つまり、ある種のサバイバルの様相を呈していた。
敷地いっぱいにジャガイモを植え、壁には蔓性の食物を這わせ、木に至っては収量の見込める果樹である。
子供達はそれに肥料をやり、水を撒きと世話に追われている。
これが枯れれば、食事がままならなくなると知っているのだろう。誰もが真剣だ。
が、ジュリアンが来たと知ると、皆が一度手を止めて、目配せをした。
意味深な様子だ。その時の顔は誰もが無表情で、不気味で仕方がない。
「なんか恨みを買ったのか?」
「さあな」
ジュリアンも何故か言葉少なに答えて、戸を叩く。
「ばっちゃん。洗濯屋からの呼び出しだ」
「いつもの小坊主はどうしたのかい?」
「真っ黄色を白くするのに大忙しだと」
と答えるや否や扉が開いて、中から老女が出て来る。
一体何歳か、と思うくらいしわくちゃの老婆だ。
それが満面の笑みを浮かべて、バッと手を広げたかと思えば、俺とジュリアンは抱きしめられていた。
「いやあ、ようく来た! 久しぶりじゃないか! え! 用が無くたって遊びにおいでって何回も言ってたろうに」
いや、これは抱きしめるというより、首が決まっている。
この婆、力が異様に強いから、本当に息が詰まる。
折角ジェーンから生き延びたのに、ここで死ぬかも
「ばっちゃん、星が見える。両親が、会いに来る……」
「おっと悪かった。つい嬉しくてねえ。さあさあお茶を用意するよ。伝言だけ伝えてハイ終わりなんて帰さないからね」
「分かってるよ」
引き込まれて、教会の中に入れば、大きな礼拝堂は子供達の生活の場となっていた。
机が中心にあり、端にはベッドが備え付けられていて、その上カーテンまで付いている。
当然、そこにも子供達が居て掃き掃除をしていたのだが、今回も一回手を止めて見上げられた。
けど、今度は無表情ではない。皆一様の感情を浮かべてジュリアンを見上げていた。
まるで福音が下りて来たかのような、満面の笑みだ。
「違法の兄ちゃんが来た」
「今日はご馳走だぜ」
「しーっ。外にばれたら大変なんだよ」
彼等のそんな小声が漏れ聞こえて、納得した。
成程、ここは非合法の何かをするところで、それで得た金で子供達を養っているのだろう
それが分かっているから、子供達もバレない様にしている、という事なのだ。
「ここの子供は相変わらず賢いな」
「ジュリアン以上だねえ」
「こっちは相変わらず辛らつだぜ。俺ってそこまで悪くないぞ。頭」
「はいはい。そう言えば、ジェーンはどうしたんだい。まさかそこの子がジェーンって言うんじゃないだろうね」
「いや、こいつは新人のクライブ。野生に返ってたから拾ったんだぜ」
「オルフェンの鼻たれも、ようやるねえ。でも、そう言う紹介は先ず最初にやっとくもんだよ。誰に促される前にね」
「機会なかったじゃん」
「機会は作るもんさ。ほい、入りな」
礼拝堂を抜けて、今度は小さな部屋に案内される。
椅子と小さなカウンターがある、小部屋。カウンターには小さな窓がある部屋だ。
その窓の奥に人の気配を感じる。大人の気配だ。
「懺悔室にようこそ。何か悔い改める事はあるかね?」
「そんなの言ってたら人生足らねえよ。グレッグ。ほら、良いもん入ったぜ」
「知ってるよ。オルフェンから手紙が来てる。レートは一枚一万一千だ」
男の声だ。彼が覚せい剤を買っているらしい。
「おいおい物まで把握してんのかよ」
「当然だ。カシュアの薬入りチョコレートだろ?」
「さっすがだな。しかも千ほど値上がりしてる」
そう言ってチョコを渡すと、奥で何か作業をする音が聞こえて来た。
金庫を開けているらしい。
「この金がとある軍人の、家族への仕送りに使われるという事も把握している。こんな腐った世に滅多に見ない美談じゃないか。色くらい付けるさ」
「本音は?」
「覚せい剤が手に入りにくくなってる。ジャンキーは水に上げられた魚みたいに喘いでるから、幾らでも値を吊り上げられるのさ」
「さっすがだな」
今度の流石、には若干非難が混じっているように聞こえた。
が、男は悪びれもせず、笑う。
「知らなかったじゃ済まされない事を国が騙して推進したんだ。文句を言うなら国に言って欲しいね」
「潰さないくらいにしとけよ」
「そこは心得ている。だからこそ一割だけしか値上がりさせないんだよ。そもそも慈悲を見せるなら、値を倍に吊り上げて、薬を断ってしまえばいいん」
「実は俺、薬が買えなくて自分の腹掻っ捌いて内臓を売ろうとして、そのまま死んだ人間を見たことがあるんだ。だから止めとけ」
「そうか。残念だ。ほら金だよ」
「あいよ。確かに。ばっちゃんに迷惑かけんじゃねえぞ」
そう言って小部屋から出る。
と、その後ろにグレッグの声の楽し気な声が投げかけられた。
「そりゃないね。俺は懺悔室から出ないし、薬もやらない。オルフェンに縊り殺されるようなあらゆるヘマを絶対にしない。私は完璧よ」
どんどん高く艶やかになって行くその声の最後は、女性の物だった。




