表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/20

2-1 貧した街の騒がしい昼食

 カーテンの隙間から差し込む光に起こされると、ベッドの上だった。


 数日前は起床時に驚いていたけど、今回は全く驚かなかった。

 それどころか見飽きて、何の感情も沸いてこない。


 だって何日も前からそうなのだから。


 何ならこのとっぷりと沈む感触にも慣れつつある。


 けど、慣れつつあるのと熟睡できるのは違ったらしい。

 頭の下にある筈の枕はなく、体の上が定位置の毛布もない。


 手足を伸ばしてみると、枕は全て足元に追いやられていた。

 多分、寝ている時に投げて、蹴りまくったんだろう。


 さっぱり記憶にないのだけど、多分夢の中で枕は仇敵だったに違いない。


「寝相が悪いって言うんだっけ。こういうの」


 寝崩れたシャツの隙間から脇を掻いてみる。


 この薄着にも慣れて来て、頼りない感じは無くなった。

 現在、シャツとパンツだけの格好だけど、全く恐怖心はない。


 でも、これも寝具と同じだ。


 慣れるのと着こなすのは全く別問題らしい。もう酷い有り様だ。

 寝汗で気持ち悪いし、眠りながら引っ張ったのか変に伸びている。


「もしかしたら、気候のせいかもな」


 思えば寝具に慣れようと衣服に慣れようと、この町の気候には慣れない。

 太陽は暑苦しいし、潮風は湿っぽいし、何より人通りが多くて喧しい。


 現在、俺が住処にしているコルプスという港町は、とことん俺に厳しかった。





「森とは違って、暑いし目まぐるしい。体に合わない。嫌な所だ」


 寝起き早々に言うような事じゃないけど、コルプスはそれほど酷い所だった。


 湿った南風がいつも吹いていて、そしていつも誰か彼かが走り回っている。

 昼夜を問わず、人種も構わず、性別年齢も関係なしに、駆けずり回っている。


 今だってカーテンを開ければ、若い男がまだ人の少ない大通りを港へと下っていった。

 ベッド上に放り投げた時計は、午前五時を示していたけど、それでも大慌てらしい。


 それは港が交通の要所だという事もあるけれど、戦場から一番近い港だからと言うのもあるんだろう。

 コルプスは一番活発な軍港であり、補給物資が続々と通り抜けている町でもあるのだ。


「……狩りたいな」


 物資が延々と流れていると、どうしても襲いたくなる。

 それを堪えないといけないのも、酷いという一因だ。


 きっとさっき走った男も軍関係の仕事に違いない。

 あれを脅し、口封じするだけでどれだけの物資が手に入るか。


 考えただけで疼いて来る。


 けど、今日は、何もしない日である。

 いくら考えようと、外で誰かが走り回ろうと、予定はない。

 ベッド以外の家財道具が何もない部屋で、寝る事しか用がない。


 いや、正しくは寝る事しか許されていない、と言う状況なんだけど。


「火傷も足の傷も治ってないっすから、寝ていてください。でないと外科的措置に出るっす」


 と、エマに脅されて早四日。


 初日に銃を持って出ようとして以降、鍵付きになってしまったドアは、エマが包帯を巻き食料を渡し、食べたいものを聞きに来る以外は開かなくなってしまった。


 きっとこれを静養というのだろう。


 生まれて初めての経験だけど、とても苦痛だ。

 何がある訳でなく、何かを起こせばエマが怒る訳で、酷く退屈だ。


「退屈……か」


 そう言えば、そんな感覚を覚えるのも久しぶりだ。

 前に感じたのはお母さんが料理をしていて、畑仕事の手伝いが終わった俺はやることが無くて、みたいな状態だったっけ。


「……そう言えばお腹減ったな」


 ベッド上をまさぐれば、エマが渡してくれた缶詰に指先が当たる。

 コンパクトな量で栄養面を全てカバーしてくれる、軍用食糧だ。


 身体を維持する事だけを考えたそれは味気ないもの食い物であり、一番馴染みのある食事だ。

 起き上がってそれを開けると、微かに魚の臭いがした。どうやらきちんと魚介類を選んでくれたらしい。


 確か昨日使ったスプーンが何処かに落ちてたはずだ。

 川が近場にあった頃は手づかみで良かったけど、ここではそうも行かないし、何処に行ったのやら。


 缶詰の空が散らばる床を眺めると、ドア付近にそれが落ちていた。

 少し埃が付いてるけど、何かで拭けば使えるか。


 ベットから這い出て、屈んで……


「おい! クライブ! 起きてるか!?」


 ドアを叩き込まれた。


 脳天が痛い。思わず尻餅をついて、頭を手をやる。

 この痛み、角に当たったな。もしかしたらタンコブが出来るかもしれない


 一体なんで勝手にドアが開いたのか。見上げると、アッと言う口を作ったまま固まる人が居た。

 長い髪をピンで止める、童顔が特徴の、ジュリアンだ。


「……いや、すまん。ちょっと間が悪かったか?」


「大丈夫」


「そっか。良かった良かった。っておいおい、床がベッチャベチャだぞ。いや……」


 ジュリアンの視線が俺から床に散らばる魚の缶詰、そして俺の後ろに移る。

 その眼が大きく見開かれて、元々大きい声なのに更に声量が上がった。


「部屋全体がやべえぞ!」

 

 慄いて、一歩下がって、廊下の壁にぴったり貼り付く。


「つーか、カビくさっ! んだよここは! ゴミ箱か!?」


 人の寝室を指して、なんてひどい事を言うんだろうか。

 それに臭いが酷いなんて言うけど、そこまでの物じゃないはずだ。


「おいおい、こんな所で静養ってガチかよ。物言わぬ死体になるのが静養って意味じゃねえんだぜ」


 でも、どうもジュリアンはここが許せない様で俺の手を掴んで引っ張り出す。


「俺、寝てないと」


「安心しな。団長のお達しで外出許可が出てる」


「?」


「どうせ部屋に閉じこもって不味いもんばかり食ってるだろうから、軽い依頼をこなすがてら外に連れ出せ、ってな。全くその通りだったぜ。いや、それ以上だったな」


 ああ、オルフェンが指示したのか。だったら、エマも文句は言わないだろう。

 まだ動きにくい足を引きずって、手を引かれるまま階段を降り、廊下を抜けると事務所に行き当たる。


 ここが、ナハトの風の本拠地らしい。


 更に言えば、資料庫と執務室と応接室が兼任されている。

 そんなズボラな事をしているだからだろう。


 狭っ苦しくて仕方がない。


 そこには家財道具がぎっちりと、視界を圧迫する様に詰め込まれていた。


 具体的には、本とファイルがぎっちり詰まった書架が入って左手に。

 右手には客用のソファと机、そしてラジオ。

 一番奥には、きっと団長の机だろう。少し大きめの執務机が鎮座している。


 どれもこれも窮屈さを演出していて、ここで『応接』されたならきっと気分を害するだろう。


 けど、現在は客はおろかそこの主も居ないらしく、医者が一人自堕落にラジオを聞いているだけだった。

 紙袋に入った麦芽をボリボリと食べつつ、足を机に上げて、ポップミュージックを聞いている。


 戦時下の、しかも敗戦間近の国に居るとは思えない寛ぎ様だ。


「あーあ。ドクター。また麦芽なんて食いやがって。それは煎ってコーヒーにする奴だぜ。また団長が泣くぞ」


「煙草にコーヒーなんて娯楽の行きすぎなんすよ」


 エマは注意されようと全く意に介さない。 

 ボリボリと食べつつ、その手でラジオを調節し始める。


「そもそも、コーヒー豆なんてその気になれば第三国から幾らでも輸入出来るのに、何で切符制と同じ生活レベルにしてるんすか? その考えが分からないっす」


「切符?」


 そう言えば、本に書いてあった。

 資源や食べ物が少なくなると、国は配給制や切符制を始める、と。


 少ない物資を全体に行き渡らせる為の苦肉の策らしい。


「っと来た来たっ」


 ラジオの音が明瞭になって、人の声が聞こえて来る。

 何処かの国の演説らしい。けど、言葉が分からない。


「何だよ。それ」


「ゾルゲンって独裁者の演説っす」


「うへっ。趣味悪いな」


「コメディとして聞くと楽しいっすよ。言ってることとやってることが違くってもう大爆笑っす。特に新聞を並行して読むともうお腹が捩れて……そう言えば、今日は何しに?」


「クライブが腐りそうだったから天日干しするんだよ。つーかよくあんな場所で寝かせてたな。藪医者にも程があるぜ」


 ジュリアンに背中を叩かれて前に突き出されると、エマが面倒臭そうに一瞥してくる。


「あー確かに湿気て腐ってますね。そんな匂いがします。でも生活環境を整えるのは仕事の内には入らないっす。私は傷を弄るのが仕事っすから」


「そうかい。ま、とにかくクライブは借りるぜ」


「足が動くなら良いっすけど、それなら着替えてくださいよ。その格好じゃ余りにも酷いっす。戦場に良く男娼でももっときれいな格好っす」


「それもそうか。でもこいつ服ないからなあ。これだってオルフェンがどっからか持ってきたのだし」


「そう言えば、ジュリアンの子供の時の服をアンナが溜め込んでるっすよ」


「おいおい、何でそんなものを溜め込むんだ?」


「偶に切り刻んで、バッグとかに改造してるらしいっす。彼女は手先も頭も回りますから。まあ年の功って奴っすよ。あの人ああ見えて」


「おはよう! 皆! 今日はレストラン『カロー』で肉が食えるらしいぞ!」


 言葉を遮るように扉が吹っ飛んで、ソファの上のエマの頭上を飛んだ。

 蝶番の部品が飛び散る中、それを為した人が飛び込んでくる。


 と、手で頭を守っていたエマが、にやにやとして見上げていた。


「アンナさんは、相変わらず年の事には敏感っすねえ」


「だったら言わないでくれるかなあ。おい」


 長身のアンナが胸倉を掴んで持ち上げれば、エマの足が地面から離れる。


「というか、私を呼ぶのに一々その話題を使うなよ。隣室で仮眠取ってるって言ったよな? ちょっと歩けばすぐに呼び出せるよな?」


「いやいや、隣室に行くまでの数十メートルが面倒なんす」


「あん?」


「失敬。冗談っすよ。そもそも女性は実年齢より見た目年齢っす。アンナさんはいつ見ても二十前半っすから安心してください素肌もピチピチ。見た目も美人。町を歩けば十人中十二人が振り向くじゃないっすか」


「随分あくどい冗談と褒め殺しだな。おい」


 というけど、まんざらでもないらしい。何ともだらしない笑顔でエマを解放して、此方を見る。


「話は隣室で聞いてたけど、随分セクシーだな。男でも釣るのか?」


「セクシーか? だらしねえって感じはするけど。つーか隣で聞いてたならさっさと来てくれよ」


「いや、だって面倒臭いじゃん」


「お前も同類かよ」


「だって休みだぜ。する事ないならとことんだらけるに限るだろ? 私だったらパジャマを一度だって脱がないね」


 確かに、アンナの服装は寝間着みたいだ。麻製の通気性が高い物を着て、頭にはナイトキャップまで付けている。

 言葉通りなら彼女はこの後、ずっとこんな格好で過ごすんだろう。


「てなわけで私は寝る。子供服は倉庫にあるから勝手に取りな」


「倉庫? 地下のあそこかよ」


「ああ。序にシャワーも浴びとけよー。何かお前らかび臭いし」


 それを嫌った様に、出ていった。


「かび臭いのは、俺じゃねえ。こいつだぜ。ったく。どいつもこいつも仕事がなきゃだらけやがって」


 ぶつくさ言いながら、それでもジュリアンは地下へ向かう。


 何だかんだ言って面倒見のいい同僚。

 娯楽に飢えた、だらけた医師。

 そして休日は寝っぱなしの姉御肌。


 これに囲まれて過ごすのが、好きになれない港町での生活だった。


 

 



 アンナが寝る前に言った店、カローは満員御礼と言った様子だ。


 ズラリと店の前に人が並んで、店内にも当然敷き詰められてて、その間を目まぐるしくウェイターが走っている。


 それはこの国の民が欲してやまない、肉を仕入れたからだった。

 タンパク質と言えば豆と相場が決まっていた人々にとっては、待望の品。垂涎の一品なのだろう。


「おお、肉の焼ける匂いがするぜ」


 そしてここにも涎を垂らす青年が一人。


 ジュリアンが目をキラキラと輝かせて、列に並んでいる。

 ガラスの窓から店内をのぞき込んで、喜びを隠しきれないのか、足踏みまでしている。


 見た目と相まって、ただの子供みたいだった。

 

「なあなあ! もしかしてペッパーも使ってないか!? ほら嗅いで見ろよ」


「よく分からない」


 焼死体のような匂いはするけど、それ以上は嗅ぎ分けられない。


 それによく臭いを嗅ごうとも、この人込みは少し嫌いで気が散ってしまう。


 大通りは車が通って、その騒音と排気の臭いが鼻に突く。

 音程、音量がバラバラの話し声も好かない。イライラして来る。


 いやイライラするのは、彼等の目が気に食わないからか。


 この世が一体何なのか、全く知らない眼差しだ。

 どれもこれも余りに透き通っていて、見るべき映像も透過してしまっているみたいだ。


 ここで、銃を乱射したら一体どんな顔になるんだろうか。

 もしくはこの中心に爆弾が投下したなら、どれだけその目が濁るんだろう。


「どうした? 何か眉間にしわが寄ってるぜ」


「何でもない」


 やったら今度こそジェーンに殺されてしまう。

 そう考えたら、出来るわけがない。


「まあ、慣れない環境だろうけど、人ってのはいずれ慣れるらしいからな。ほらほら、俺達の番だ」


 一先ず、隠し持ってきた拳銃から手を離し、店内に入る。

 すると、喧しさが一段と強くなり、思わず耳を塞いでしまった。


「おお、大盛況だな」


 灯火規制の為の傘付ランプがいくつも吊り下げられた店内は、焼ける臭いで満たされていた。

 これが食欲をそそる香りらしい。だったなら、戦場ではよほどお腹が空くだろう。

 

 一角のボックス席に案内され、メニューが渡される。


「肉! 肉って書いてある! 俺肉だからな! このペッパーステーキってのを……ペッパアアアアア! やっぱり胡椒だアアアア!」


 それを手に、またジュリアンが歓喜する。

 もう玩具を買い与えられた子供にしか見えない。


 まさか、今日一日こんなテンションのジュリアンと付き合わなければいけないのだろうか。

 だとしたら、多分俺の傷は悪化する。いや間違いなく膿む。


 集団とジュリアンに生気を奪われるのを自覚しつつ、それでも我慢して店員を待つ。


 きっと接客に追われてるのだろう。汗を拭きながらウェイターはやってきた。


「ご注文は?」


「ペッパーステーキ! お前は!?」


「豆とキノコのスープ」


「おい! 何で肉じゃねえんだよ!」


「豆が好きだから」


「そっか。なら仕方ねえな」


 凄い剣幕で怒りながらも案外あっさり引き下がって、十五分。


 ジュリアンの前に蒸気を上げる肉が出て来た。

 黒い粒がたっぷりと振り掛けられ、脂が爆ぜる塊肉だ。


「おお、おおおお! 久しぶりだな! 肉! ペッパー!」


 それを前に彼の機嫌は最高潮になった。


 余程肉が好きなのだろう。なのにずっとあり付けなかった様だ。

 ジュリアンが一気にかぶりつけば、その顔いっぱいに笑顔が浮かぶ。

 

 まるで飢えた狼だ。


 その様子に、ふと気になる。


「俺達は金持ってるんだろ。肉なんていつでも買えるんじゃないのか?」


 ガンディルという国は、既に国民に配給制を強いている。

 多分、高価な食材である肉は手に入りにくいだろう。


 だからこそ、ガンディル国民なら肉を有難がる。


 けど、俺達は傭兵だ。

 金を稼いで、金で物を買っている。

 肉を食べたきゃ第三国で買えばいい。


 そう思っていると、肉を飲み込んだジュリアンが答える。


「一々第三国に仕入れに行くと燃料代がかかるし、肉なんて持ち込んだら兵糧攻めしてるカシュアにも睨まれるんだよ。そもそも魚と比べて割高ってのもあるな」


「へえ」


 カシュアが兵糧攻めをしてるなんて知らなかった。

 だったなら関係のない民間人が仕入れるのは不味いな。


 折角買い込んだ肉が、軍に没収されかねない。


「じゃあ、何でこのレストランは仕入れ出来たんだろう?」


「この軍港って結構裏の連中が居るからな。そう言ったルートも大量にある。多分そこからだろうよ。俺達も依頼が来ればそのルートで運ぶし」


「でもそんなの軍が許されないんじゃないか」


「軍港って言っても軍人が全て見張れてるわけじゃないんだよ。寧ろこういうきっかりとした所に裏がちゃ根付いちまうのさ。ほら、早く食いな。これから小さいが仕事があるんだからな」


「分かった」


 裏ルートが蔓延る軍港での仕事か。

 何だか面倒臭い空気になってきた。


「妨害があれば殺していいのか?」


「血生臭いのは無しだ。裏があっても無法地帯って訳じゃねえからな」


 ああ、やっぱり面倒臭い。

 これだったら、あの寝室で腐っていた方が良かったかもしれない。


 そう思いながら啜るスープは、何だか味気なかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ