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日和村事件 波多野邸 沈鬱

 果たして彼女は事件とどのようにかかわるのでしょう。実はこれを描いている時点ではそれもあまり考えていなかったのです。無計画と言わざるを得ません。

 雅は臨時で休暇をもらい、香川にある夫の実家に行くことにした。広島から本州四国連絡橋を経由し、山道を器用に走り抜けた。此処へは何度か来たことがあるが、これほど憂鬱な気持ちで行くのは初めてだろう。

 自分は島の出身で夫はこの集落の出身だが、彼とは大学で出会った。彼は自分と自分の故郷の小島をいたく気に入り、ここに住もうと言って聞かなかった。自分は長い間の故郷暮らしに疲弊し、都会が好きになっていたが、彼の熱心な進言と誘いに乗って、単身赴任という形ながらも夫婦となって本拠を、崩壊したあの美しい島に建てた。

 それがこんなことになろうとは...

 夢にも思わなかった悪夢であった。責めて夫の最後には一緒に居たかった。それもきっと叶わなかっただろう。たとえ近くにいても島に蔓延した邪悪なウイルスに浸食された夫を見るのもそれはそれで辛いだろう。どちらにしても耐えられない。こういうのをジレンマというのかと彼女は考えた。

 夫は熱心な薬学の研究者で神戸の大学の出身である。妻である雅自身もそこの出だが、文系であった。

 偶然参加したサークルで知り合いになってお互いに惹かれあっていったことを覚えている。突然視線が合うような激しい恋ではなかったが、互いの性格は相性が合うと思った。時間をかけて交際したが、24の時に結婚した。

 その後暫くはこの村で住んでいた。だから今もこうしてスムーズに山道を進んでいる。今でも道順を覚えているという事だ。相手方の両親も自分に優しく接してくれたので、直ぐに都会から離れた山里に順応できた。自分が島の出身という事もあって田舎暮らしが苦痛だと感じたことは一度もなかった。


 こうして回想するうちにも雅は涙が零れそうになる。運転中にも関わらず、視界が滲んでいく。単身赴任なのは子供たちの学費を稼ぎ、老後の暮らしを安定させるためであって、夫と仲が悪かったわけではない。寧ろ、会えば今でも若い時と同じように互いを新鮮に愛せるカップルであった。そう自分で思っている。

 一人になってしまった今が余計悲しく思えた。胸の内側と自分の左側の座席に今まであった筈の何かが抜け落ちて、虚しくも声は一人分にであった。

 

「いらっしゃい、久しぶりだね。」

「態々遠い所を有り難う。さぁ、」

 姑と舅にあたる老夫婦が長旅の後の自分を出迎えた。以前よりも老けたのが曲がった腰と禿げた頭から解るが、以前と同じ顔で笑っていた。どこか悲しげなその顔を今日は見つめられなかった。今日は自分が悲しいお知らせをする番だった。これはこの老夫婦にも自分にも辛い事だった。


 一連の事件に関することは説明しなくても知っていた。当然の事だろう。未だにマスコミはその事で騒ぎ立てている。これだけピックアップされて知らないなどという事はこの山奥でもそうそうないだろう。そして、話が早かった故に、その中で一番重要な二人が知らない事実と先週の警察との会見で自分がした選択を話さなければならなかった。いろいろな思いが自分の鼓膜の内側で不協和音を奏でているかのように思えた。気持ちは重く、言葉も若干詰まった。唾液を飲み込むと恐る恐る話し始めた。

「私の父と二人の娘と兄は死亡が確定しています。兄以外は死体も見つかりました。先日警察から届けられ、今は私の車のトランクに箱になって置いてあります。兄の遺体は見つかっていないそうですが、ウイルスに感染した自分を恐れて銃を自分の頭に撃ち込んだらしいです。そして信太郎さん、ですが...ウイルスに罹った状態で発見され束縛された状態で見つかりました。もう既に狂人化し、元に戻せないくらい脳と神経が侵されていました。警察は自分に公権力による安楽死を選択させました。いいえ、正確には選択だったのです。狂犬病末期に近くなった信太郎さんを苦しませながら生かすか。それともこのタイミングで殺して、司法解剖に利用するかという...」

 言葉が此処で一度切れた。その後の言葉は一番勇気と苦しみが必要だった。

「私は、殺す方を選択しました。申し...訳ありません。」

 ガックリと項垂れた自分はやはり義理の親達の顔を見ることが出来なかった。顔が醜く歪んでいたのは自分でも解っていた。ただ涙だけは必死に堪えてどうにか謝った。返事を待つこの沈黙の間、雅にとって空気中の酸素が一酸化炭素に思えるほど、息が苦しかったその瞬間。

「謝らんといけんのはこっちやな。」

 義母が静かに言った。そう言って俯いたままの自分を強く抱きしめた。老いて骨が浮き出た腕から出るとは思えないほどの力で自分を強く抱いた。もう、雅は泣くことを堪えられなかった。

「ごめんなぁ、ごめんなぁ。本当に辛い思いをさせて。」

 義父は同じように泣いた。自分の2倍ほどの年を重ねた顔をくしゃくしゃにしながら静かに泣いた。

「すみませんでした。」

 まだ顔を上げることはできなかった。その空間では3人分の涙が畳に小さな染みを作っていた。雅にはそれが大きな水溜りに見えた。そんなはずはないのだが、そう思えるほどに3人は泣き続けた。全員の目元が真っ赤に腫れていた。

御付き合い頂き有難う御座いました。私は田舎という物がどうにも好きになれませんが、時々無性に帰りたくなります。あっ、都会生まれでした。

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