日和村事件 日和公園 発症
ここから雲行きが怪しくなってきます。もう十分怪しいですが。
竹島が大急ぎで京都の方に行った翌日、雅は義理の父母から明日の祭りに行かないかと誘われた。恐らく、親族を亡くした自分達と雅に心を転換させるために敢えて提案したのだろう。雅は有り難く二人とともに行くことにした。
雅にとってこの祭りは初めてではない。以前此処に住んでいた時も2回言った事がある。元々は小規模な祭りで地域の少数の学生と老人が小型の神輿を持って村を練り歩く程度で、財力にも乏しいこの村は殆ど有っても無くても変わらないような地域行事だったが、数年前から観光客の増加を狙って少し規模が大きくなった。神輿の他にも村中の柱に提灯が点けられたり、和楽器の演奏隊が行列になって街に闊歩したりと、演出が毎年豪華になっている。その甲斐あってか、観光客はこの時期急激に増えるようになった。さらに今年は始まりと終わりに花火まであるそうだ。財政が不安になるが、最近はこの地域への期待を込めて、地方交付税交付金が以前よりも上がったらしい。香川県は鳥取県や島根県に匹敵する過疎の進行ぶりなので、地域政策に必死になっているのだろう。
翌朝も雅は夫の寝室で目を覚ました。以前この家に住んでいた時も此処を共同で使っていたが、夫のいないダブルベッドが異様に寂しく感じられた。今日も朝日を見ているだけで涙が出そうになった。深い悲しみというよりは自分に必要な何かが足りないという不足感、或いは虚無感。この家に溢れる夫との思い出や単身赴任していた時も夫の事を想い続け、働き続けた自分。家族の為に必死に戦っていた数か月前の自分を哀れに思ってしまうほど今は一人が情けなく、寂しい。無垢な娘の笑顔も最後は崩れ、ウイルスに冒されてしまったのだろう。そう思う度に雅は顔にウイルスによる赤い斑点を浮かべて泣き叫ぶ自分の家族を想像する。胸が苦しくなった。胃には何もない筈なのに吐き気がした。この様な回想や夢がこの頃続く所為で、雅のシーツは、朝になると涙の染みが数滴できている。それを見る事さえ心が痛い。
市役所の裏側にある日和公園には数年前より大きくなった神輿を担ぐ子供と老人が見えた。バケツや桶で、参加者に水を掛ける村民達、大声を上げて太鼓を叩く、地域の若者、他の県から来たのか、数人の観光客が珍しそうにカメラを構えている。掛けられた水の所為で透け透けになった祭りの合羽を纏った子供が神輿を不思議なものを見るような顔付で凝視している。雅には懐かしく思えた。これを数年前見た時には隣に親と長女も居たと記憶している。
またそんなことを回想していた...
突然、ドンという爆発音が体の内側まで響く。大地が振動し、大勢の烏や猛禽が飛び立ち、森が騒いだ。
「何ですか?今の?」
雅は咄嗟に隣に居た村の職員に尋ねた。
「何でしょうか、あっちの方から聞こえましたね。 ああっ!」
驚いて彼が指差す方向を見ると、凄まじい黒煙が空に上る竜の様に濛々と立ち上がっている。雅は激しい寒気に襲われた。何かがおかしいと竹島の記録を読んだ彼女には勘が働いた。
「あっちの山には何が?」
「まずいです。あそこはこのあたり一帯に電波を送る機能を果たす基地局ですよ。」
「あああっ。くぅ...」
雅は唇を強く噛んだ。これから起こる恐怖が脳裏に想起される。丁度一昨日の夜に読んだ竹島の屍生島の記録にも全く同じ事が書かれている。まずこの様な通信局が遣られることからウイルス兵器の拡散が始まったとある。これは再び起こるであろうバイオハザードを予感させる。
「携帯は通じなくなるんですか?」
雅は殆ど必然の様な事を聞く。
「まあ、それは不可避ですね。あそこは代表3社の共同という全国的にも珍しい形式だからもうあそこが遣られればこの町の電波は全部御仕舞ですね。」
そんな呑気な調子で居られるのはこの男が事件の事を何も知らないからだが、雅は腹立たしかった。しかし、何にウイルスが仕込まれているかが、雅には解らなかった。
その時近所の知り合いで、夫の友人の一人である川下常隆が話しかけてきた。
「雅ちゃん、あっちで鉄鍋饂飩やっているよ。」
それだと直感した。いや、もっと言えばそれしかないと雅は確信していた。
「今すぐ食べた人のそれを吐かせて、直ぐに配給を止めて。」
「ええっ、何で?朝三時からめっさ頑張ったんよう。」
「そんなこと、今は関係ないから。きっと屍生島と同じ生物兵器が仕込まれている。」
「ええっ、そんなまさか、有り得ないよ。だっておいらたちが作ったんだで。」
「そのうちに感染している人が居るかもしれないでしょう。」
「有り得んなぁ。雅ちゃん、あの事件で家族亡くしたんはほんと、可哀想やと思う。でも今はそんなこてゃ起こらんのじゃ。安心して食べい。」
「もう、常ちゃんの解らずや。」
雅は常隆を振り切って自分の車の方に駆け出した。駐車場に止めておいた車の鍵を開けると、直ぐにアクセルを踏み込む。幸いなことにガソリンはある。雅はこの瞬間、自分も悪夢に巻き込まれると悟った。もう逃げられないと解った。それならば、自分の子供と兄と夫を一気に奪い去った邪悪な狂気に立ち向かうまでと決意した。旧車のハンドルを握りしめる腕は少し震えていた。
皆さん、給食や配給が怖くなりましたか?あれって何が入っているのでしょうか。基本、日本は安全ですが、数年前カレーに毒物を混入させた人が捕まりました。恐怖とは身近であるから恐怖なのでしょう。
何はともあれ、御付き合い頂き有難う御座いました。