対価
夜が明けて船の食堂へと向かった私達を出迎えたのは、鼻腔を擽る複数のスパイスを煮込んだアノ独特の香り。
「この香り、カレーね」
「そのようですね。この空腹へと誘う複雑な香辛料が混ざり合った独特の匂いは、まさしくカレーですね」
「俺達のお嬢様も罪作りな料理を作り出したよな。しかし俺は“ナン”より断然“ライス”派だ!」
「お嬢様……私は遠慮しようかと……」
カレーの匂いに子供の様な反応を見せるレインとラファーガ。守護者の二人に反してアリシアが浮かない顔になり、及び腰になる。
(初めて作った時の辛口がアリシアにダメージを与えたのよね……)
「大丈夫よアリシア。きっと甘口も有るわ」
自惚れでなければ甘口のカレーは必ず有る。
「あ、有るでしょうか……?」
「ええ。必ず」
「それは……サファリス様がお嬢様の為にご用意しているからですか?」
「…………たぶん」
「成る程……そうですか」
何か刺のある言い方ね。
「お嬢様の気のせいかと」
私の心を読んだかの様なタイミングの牽制。
「そう?」
「はい」
…………。
……。
「取り敢えず入りましょうら。彼の事だ必ず用意していますよ。……していないのなら、作ればいい」
レインの提案で私達は食堂に入る。
私の目には食堂というより、ちょっとしたカレー専門店となっていた。
(しかもバイキング形式……)
食堂に足を踏み入れた私達に声を掛け下さったのは、カレー皿を手にしたサファリス様。
「ソーナ、これが皿だ。好きな物を好きなだけ選んで食べて欲しい。甘口は此方だ」
遠慮しないで、と甘い低音ボイスで優しくエスコートしてくれる。
他の海兵隊員が興味深そうに観察しているのだけれど……。
商人としてのアレクではなく、一国の王太子として大切な者を扱っているかの様で……。
「ソーナには守護者の二人にアサシン顔負けの侍女がいるから心配は要らないだろうが、此処は私の船だからな」
「それにお嬢様が以前お話してくださった『天船』に『空賊』として入った少女のもとに女に餓えた乗組員が殺到した、という物語がありましたよね? 現実は甘くない。お嬢様の様に美しい乙女と同じ処に居て襲わない男などいません。襲わないなどという選択はありません! ですから貴方も離れてくださいませ」
「ならばこう言うのはどうだ? ソーナ・ラピスラズリ・ハーティリア、私と食事などをしながら世界について話しませんか?」
「なっ! 卑怯ではありませんかっ!」
「私は王太子としてソーナ・ラピスラズリ・ハーティリアと話している」
ガーランメリアとハーティリア領主代行・トーヤ商会会長との会談としてしまった。本当に意地の悪い。
「アリシア」
「……はい」
渋々といった体で引き下がる。
「遠慮しないでいい」
そう言ってサファリス様はカレー皿にライスを盛っていき、それに負けじとラファーガも皿にライスを盛っていく。
レインは大盛で良識の範囲。私とアリシアは並盛り。
鍋は二つ。甘口カレーと味噌汁。
カレーはチキン。味噌汁は玉ねぎと油揚げ。
カレーの辛さはレッドペッパーを加えて自分の好みにしていく。更にトッピングまで充実している。
レインは中辛カレーハンバーグ。
私とアリシアは顔を見合せ苦笑する。彼は騎士然としていてもわりと子供っぽいメニューを好む。私達が選んだのは甘口でトッピングは無し。
「……サファリス様もラファーガも確かに朝食はしっかり摂らなければいけない、と言ったことはあるけれど……それは、どうなのかしら?」
盛りに盛られたライスの島がカレーの海に侵食されそうになっていて、トッピングが漂流物にしか見えない。トンカツ、ポテト、唐揚げ、ウインナーフライ……。
「これくらいは余裕でしょ。むしろ普通だよ? お嬢様とアリシアが少なすぎなんだ」
周りを示す。周りも同じだったわ……。
「船乗りは体力勝負だからな。トッピングというのは何時も争奪戦だ」
並べられている物も追加分らしい。
「少しは遠慮しなさい」
「ラファーガ、お前の行動がお嬢様の品格に関わるのだぞ? お嬢様の守護者は賤しい者だと、守護者に食も与えていないのか、と」
「いや……まぁ、そうか……悪いお嬢様……」
「そうね。遠慮はしなさい、ラファーガ。ただし、謝るのは私ではなく、貴方を立派に育てて下さった御母様に。御母様の品格と教育の仕方を疑われてしまうわ」
こういったところがアルフォンス殿下に疎まれたのだろう。
「気にする事はない、それは思い遣りだ。それが解らない者が愚かなんだろ。それにこの美味しさには抗えない、という証拠だ」
サファリス様が、そうだろう? と、部下を振り返ると、その通り!! と言わんばかりに誰もが勢い良くカレーを食べる。
「『海軍カレー』だったか? 厨担当の者が拘り出した上に、俺達、海族に見事に合った料理だから見ての通りだ」
『海軍カレー』作りは、私のほんの冗談から始まった。
米作りと収穫が安定し、商売にまで回せる様になった頃、お粥に変わる米を使った新たな料理として、お祖父様―― グラディア・アゲット・ブラッドストーン侯爵が治める領の軍港がある港街ハーフェンに海軍主催の祝祭にアルフォンス殿下の婚約者として招かれた時に冗談混じりで言ってみたのだ。
「お祖父様、海軍と言えば『海軍カレー』。『海軍カレー』は出されて無いのですか?」―― と。
冗談から始まった『海軍カレー』はハーティリア領の港街メーアに伝わり、メーアから海を挟んだガーランメリアへと輸出された。
(直ぐ様、ガーランメリアの国王様が商人として交渉に来るとは思わなかったけれど……)
私がレシピを教え、ガーランメリア独自の改良をし、他国でそのカレーを売る。その売り上げの7割をガーランメリアが、残り3割がハーティリア家に入る。そうする事でガーランメリアから平和を買った。そしてその1割をハーティリア領に使う。
(これも『淫魔』や『売国奴』と言われる所以なのだろうけど……、たとえガーランメリアが潤う事になっても、港街があるメーアや軍港があるハーフェンを戦火から守るにはそれしか方法が無かった)
港街や軍港といった戦の要を抑え、潰すのは戦をする上で当然の事。
安全保障の費用だけでも馬鹿にならない。ローゼンクォーツには平和を維持するだけの力はすでに無かった。すでに私はローゼンクォーツの婚約者となっていた為、ガーランメリアへと政略は叶わなかった。
「ソーナのそういったところも気に入っている訳なんだがな」
王太子が片肘をついてカレーを食べながら私の考えていることを見透かした様に不敵な笑みを浮かべ見詰めてくる。
「サファリス様、お行儀が悪いかと……」
「フッ、そういうところも気に入っている。父上も俺も母上もな」
「ずっとでは口煩いだけですよ?」
行儀悪くして見せたのはわざと。私の心根を試す為だったみたいね……。
アルフォンス殿下が学園の食堂で食事を摂る時、片肘をつきながら、だらりだらりと食べていた。嫌々だったり、くちゃりくちゃりと音を立てて食べる。軽くフォークやスプーンを持つから周りに落ち、食べこぼす。嫌いな物がある時、必ず料理をフォークで弄り回す。
魔法・魔導士となる者が一般人と同じ物を食べるのが気に要らなかったのだろうけど……。
私がそれを品位が欠ける。ローゼンクォーツの品格が下がる行いを殿下が為さってはいけません、と注意をすると彼は何時も煩わしそうな顔をされた。
何故、コレをゲームでは格好良く描く事が出来たのかが不思議だった。現実はやはり違うのね、とこっそりと何度ため息を吐いたか分からない。
アルフォンス殿下とは逆に私のこう言ったところをサファリス様は―― ガーランメリアの国王様、王妃様も好しと言って下さる。 皇家ローゼンクォーツでは嫌がられていた。
いや、皇太后様と皇太后様の派閥に属する皇帝の側室の方々は可愛がって下さったのだけれど。その側室の方々は私の断罪の前にハーティリアへと亡命している。
私とは逆にフォーリア・サードニクス様の心証は皇后とその派閥の側室には好く、私は嫌われていたが……。
「しかし、ローゼンクォーツも熟愚かだな。魔法・魔導士の手が加わっていない米を“最下級民”が食す物と言って口にしないのだからな」
『天』から『才』を与えられた魔法・魔導士が手を加えた小麦で作ったパンは至高の食べ物。私達が作った米はサファリス様が言った通りの扱いだった。
しかし、ハーティリアは米を作れ、と命じられた領地。小麦は最低限しか育てることを許されなかった。それ故に小麦を育てるのに魔法・魔導士が関わり育てている。
米が収穫出来ようが出来まいがどちらでも良かったのだろう。米が収穫出来なければ小麦が有り難がれ、それを育てる魔法・魔導士は敬われる。だから、彼等は米農家を巡り、豊作にするというのは滅多に無かった。
パンは天の恵みらしい。
それを私が変革した。農地改革をして米作りの方法も米農家の意識も変えた。
魔法・魔導士では無い存在が作った食糧など食べられるものか―― というのが、魔法・魔導士と彼等に阿る者達の考えだった。
「それでも麦が不作となり、餓えて米を求めるのですから面の皮が厚い」
「あれは求めるというより、脅しだろ?」
アリシアの侮蔑を孕んだ言葉とラファーガの魔法貴族に対する呆れ。
「それだって、お嬢様の方針で消費しきれない米を保存して有ったから良かった様なもの……」
「それが無かったら、などという考えは頭に無かったのでしょう。あの弟様には」
勿論、売ったわよ? ただし、値を上げて。足りないからこそ価値がある。爆買いして行く魔法貴族。ただし、当然、米の炊き方なんて知らないから、泥々の美味しく無いもので餓を凌いでいた。
それにしても毎年毎年、豊作よね。
ブラッドストーン領でも米作りをしていた為に小麦不足も乗り越えられた。しかし、諸公が米食へと踏み切る迄に犠牲が出過ぎた。
「ソーナ、これからどうする? 私と共に海を行くか?」
公私共に私を求めてくれているからこその彼の言葉。
「行けない……。独立の為に動いて準備をしていた事を始めないといけない。それこそハーティリアを独立させる為に領民を国を混乱させた『傾国の淫魔』になってしまうわ……。それにこの国の状態を他国が放って置くはずがないわ」
「そうか……。ハーティリアまであと少し、船旅を楽しんでくれ」
私の答えがわかっていたのだろう彼が切なげに微笑む。
その微笑みが私の胸を刺す。
たとえガーランメリアがローゼンクォーツを抑えていようと統制は執れていない。常駐軍はガーランメリアの主戦力では無い。
私の断罪というイベントの混乱に乗じたからこそ、海の向こうから遠征して来たガーランメリア軍が電撃的な速さでローゼンクォーツを陥落させる事が出来た。その切っ掛けを作ったのが皇国の皇子と恋人のフォーリア・サードニクス様。
それに処刑されるであろう自領の領主を救おうと、各々が騎士隊を率いて凰都を目指しているはず。そして、その背後を他国が狙っている。
他国からハーティリアを守るには、私とレナスどちらかが政略結婚で抑えるしか無い。
(ハーティリアの今後を考えるのならレナスが残り、政略に出るならやはり私……)
結局、サファリス様の手を取る事は出来ない。
(これがBad Endを回避した私が支払うべき対価ということかしら……)
それならば、レナスにだけは好きな者と添い遂げて欲しい。私はそう思わずにはいられなかった。




