花氷
「たとえそれが貴女自身であっても、俺の惚れたソーナ・ラピスラズリを貶めるのは許さない」
自分自身に嘲笑を浮かべるソーナが悲しくて、そんな笑みを浮かべる彼女を見たくなくて、俺は視線に感情を乗せ、彼女を見据える。
嘲笑を浮かべる奴には、こわいと思わせるくらいが丁度良い。
▽
サファリス様の言葉を否定出来ずに、私は言い淀んでしまう。
だけど、ここで黙り込むなんて事は出来ない。
「……私達の世界は不安定になっている。今までは、ハーティリア領を豊かにして領民の心から絶望を取り除く事を第一に考えて来た……。アルフォンス殿下と婚約してからは、傾き掛けていた皇国を立て直す為に……国民の為にと尽くして来たけれど……」
言葉を選びながら話しているのだけれど、どうしても『アレク』としての彼に話すような口調になってしまう。
(甘え……ね)
私は自分で思っていた以上に誰かに寄りかかってしまいたい、という思いが強かった様だ。
「……滅びゆく国……人々の不安が国だけでは無く、世界に及ぼす影響を考えると……」
……気が滅入ってくる。
国が滅ぶのは自業自得と割り切っている。それでも世界となると別だ……憂う気持ちはある。
それでも……あの時見上げた空の青さを綺麗だと思った。
「夜の星空はこんなにも美しく、逆に夜の海の暗さがそんな風に思ってしまう私の心の様で……。それに本来なら《聖なる乙女》と呼ばれる様になるフォーリア様が、《混沌の淵》に対抗する為の役目を負って居たはず。その役目を担う者が居なくなってしまっては《混沌の淵》から噴き出た《混沌の闇》が世界に広がってしまうわ。……終わりの始まりをもたらす国になってしまった……」
私がそのきっかけを作った。ハーティリアの公爵令嬢である私が終わりの始まりを告げる鐘の音を響かせた。
世界から希望を奪ってしまった私の話を、国を護る立場にあるサファリス様は静かに聞いてくれている。
(そんな彼に泣き言や嘆く姿を見せて甘えようとするなんて……なんて弱さと醜さ……。何処までも浅ましいのかしらね……私は……)
「それはソーナの所為では無い。ソーナが言った様な事にならない様に具申して、先を見据えて行動して来た。その全てを無にして来たのはローゼンクォーツだ。滅ぶのは必然だ」
(その言葉に甘えてしまいたい……)
そんな考えを頭から振り払う様に首を横に振り、彼の慰めを否定する。
「わかっている……わかっているから……、ローゼンクォーツの為には心が凍てついて動かない。けれど……ローゼンクォーツで起きた事が世界に―― いいえ、貴方の国にも影響を及ぼす。その事実から目を逸らして素知らぬ振りなんて出来ない。世界には私が大切にしたい護りたい者達がいる。そこには貴方も居て……貴方が護りたい人達や物もある! 関係無い、と逃げることだけは絶対にしたくないの……」
「自分が火刑に処せられていれば良かったとでも思っているのか?」
身体ごと完全に彼の方を向かせられた。
「それは思っていないわ」
「それならば良い。彼女にも言ったように、『聖なる光』を必要とするほど”世界”は―― ”人間”の放つ光はそんなに柔じゃない」
「……本当にかしら?」
(貴方の言葉を疑っている私の捻くれた考えを否定して)
強い意志を込めた瞳で彼を見上げる。
「ああ本当だ。確かにソーナが疑う様に綺麗ごとばかりでは無い。それでも人が他人を思い遣る心の強さは強い輝きを見せる」
「……それが本当だったら……私はもう一度だけ、どんな事でもいい、役に立ちたい……」
サファリス様が顔を寄せ――
「バカ、人間を嘗めんな。ソーナ、自分が言った言葉を思い出せ。護りたい者がある奴がそいつを護り支えるんだ。だから、お前が全てを背負う必要なんて何処にもない」
――耳許で囁かれ、諭す様に瞳を覗き込まれた。
「私は……私に出来ることならば、どんな事でもいいから役に立ちたかった。この小さな力で何かを変えられるなら、何かが変わるのなら変えたい……そんな気持ちだった……そんな気持ちに……なる」
▽
静かに語る彼女の真摯な眼差しは、本当にハーティリアから世界を良くしたいという意志と信念が宿っていて、それは俺の志と同じである事を雄弁に語っている。
愛しい彼女が胸元に手をやり、そこに在るモノを握り締める。
「それがソーナ・ラピスラズリの意思の形だろう?」
彼女が握り締めているモノ―― それは彼女の出した答え。
「ええ……。これが私の想いと力の結晶」
ソーナを見詰める。そして彼女も俺を見詰めている。
彼女の頬が仄かに朱に染まる。それを見られたく無いのだろう彼女は、俺の胸元に頭を預けて顔を伏せる。
しかし、俺の服を離さないように掴む華奢な指が照れながらも、ソーナ・ラピスラズリ・ハーティリアという公爵令嬢が精一杯その想いを伝え様としてくれているのがわかった。
目の前の公爵令嬢で在ろうとする、この気高い少女に触れて純潔を奪ってしまいたいと一瞬思ってしまった。
だが、公爵令嬢で在ろうとする彼女が、それを許さないだろうという事が理解出来てしまう。
(危なかった、本気で危なかった。なんだこの可愛らしい生き物は……。俺は海族であって海賊では無いのだから、奪い去って、はい、奪いました―― では、奴等と同じになる。なるところだった……)
だが、奪わなければ良い、と免罪符を自分に用意し―― 彼女の頬に触れる。そして顎をクイ、と軽く持ち上げ顔を上げさせる。
上げさせた顔が先程より真っ赤になっている。熱いくらいだ。
アルフォンスの奴を写した瞳に俺を写させる。そして優しく目元を指で撫でる。
奴が周囲に仲睦まじさを見せる為だけに撫でたハニーピンクの髪を奴の撫でた感触が消えるように撫でる。
ソーナを婚約者だと知らしめる為に、ローゼンクォーツの奴等が仕掛けた披露宴で奪われた唇を優しく拭う。
本当は唇を重ねたいんだけどな……。先程からラファーガの威圧が尋常じゃない。
「ん……はぁ……」
愛しい人の瑞々しい唇から甘い吐息が零れた。
▽
(あ、顎クイ!? ぜ、前世でもされた事が無い、壁ドンならぬ手すりドンに続き、顎クイ!!)
どうする!? どうなっちゃう!? どうするのよっわたし!! と、遠矢 奏那は大混乱中。
アルフォンス殿下との婚約披露宴でもされたけど、なにせ愛が無い上に、もう火刑へまっしぐらなのだから恐怖しかない。死へと誘うカウントダウンを始める為の口付け―― という名の呪いだった。ゲームなら頭の上の数字が減っていくのが見られるだろう。
だから、想い、想われている相手にされると冷静でいられなくなのは当たり前。
そして優しい愛撫。やがてその指が唇に到達し、サファリス様が私の唇に優しく愛撫を始める。
それはまるで唇を重ねられない代わりという様に、触れるか触れないか、唇の形をなぞるように触れられ、唇を指で開き、指を中に入れるか入れないかというところを可愛いがられ、私は甘い声と熱い吐息を漏らしてしまう。
「お、お止め……下さい……。さふぁ……りす……さま……」
これ以上、愛撫を続けられると、求めてしまう。その証拠に自分から彼の指を――
吐息混じりに、熱に浮かされ、潤んだ瞳で彼を睨み付けて拒むも、いつの間にか腰に回されていた腕で抱き寄せられて離れられない。それになんだか不機嫌におもえる。
「あ、あれく……やめて……」
「やっと言ったな。だが、ダメだな」
こんなのは駄目だ、と思う。私は公爵家の令嬢ソーナ・ラピスラズリ・ハーティリアなのだから。だけれど、彼は私をただのソーナ・ラピスラズリにしようとする。
「ぁ、れく……これ、いじょうは……ほん、とに……」
私の感情だけじゃなくて――
「私のお嬢様に何をうらやま―― んん、何をうらいやら―― 如何わしい事をしていらっしゃるのでしょうか? サファリス様」
言い直せてないわ。アリシア。
羨ましいから羨ましいと厭らしいを、くっ付けた様な言い方になったのね。
「まったく、このケダ―― おっと、サファリス様に他に何か如何わしい事はされませんでしたか? お嬢様」
アリシアとサファリス様は出会った時からこんな感じなのよね。
「ええ……大丈夫、よ?」
見ていたでしょ? と視線で訴える。
「……そう、でございますか……。少し最後が気になりましたが……。お嬢様に想われていて、良かった、ですわね、アレク様。もし、あの男の様にお嬢様のお心を踏みにじり、穢そうものなら、その瞬間にシュヴェーアトヴァルの餌か、人魚に向かって投げ与えていましたよ? 命拾いしましたわね」
残念です。とアリシア。
「アリシ――」
「行きましょう、お嬢様」
有無を言わせず連れて行かれ、ラファーガに私を託した彼女は最後に一言――
「……これでも私は貴方様の事をお嬢様のお相手として認めているのですよ、サファリス・アレキサンドライト・ガーランメリア様。ですから私達を失望させないで下さいませ。心よりお願い申し上げます」
そう言ってアリシアは深々と頭を下げ続ける。
「わかった。私、サファリス・アレキサンドライト・ガーランメリアはソーナ・ラピスラズリ・ハーティリアを決して悲しませないと、我が国の《蒼翼の女神》に誓おう」
《蒼翼の女神》の名を出したサファリス様のに驚き、振り返る。しかしそこには、有難うございます。では―― と面を上げたアリシアが居て、彼女はサファリス様の誓いに満足したかの様に私達の後につく。
「アリシア……」
「お嬢様はごゆっくりと御休みくださいませ。私はこの愚風に少々用事がありますので……失礼いたします」
「え!? ちょ、ま――」
ラファーガの慌てふためき様と、扉が閉ざされる前に助けを求めて伸ばされる手、しかし無情にもアリシアにより扉が閉ざされた。
………………。
…………。
……。
最後に見たアリシアの笑顔が素敵だった。彼女に黙って抜け出した私にはアリシアを止められない。そして誰も居なくなった室内で――
「んっ……」
――サファリス様に愛撫をされ、熾火の様に熱を持った唇に触れ、私はなぞっていた。




