星霜
俺がソーナ・ラピスラズリ・ハーティリアと初めて逢ったのは、お互いに十二の時だ。
海洋貿易国の王である父上に連れられ、当時はまだ友好国だった海の向こうの隣国ローゼンクォーツのハーティリア公爵領・港街メーアに商人として入った時、何か目新しい物は無いかと尋ねれば、ハーティリア公爵家が次々と新しい物を生み出していると聞きいた。それはどの商人に尋ねても同じだった。
父上が輸入出来ないかと交渉の為、ハーティリア邸を訪れた時、ハーティリア公爵と公爵夫人に噂の目新しい物を見せて頂けないかと父上が尋ねると、ハーティリア公爵にそれは娘が考案して作っているものだと告げられた。
その娘をハーティリア公爵が呼び来させる様に執事に命じ、暫くすると扉の向こうから凛とした声が聞こえて来た。
そして、執事が開く扉から室内に入って来たのがソーナだった。
入って来た少女のその生命の輝きに息を呑み、見惚れてしまっていた。
聞いた話では魔力を宿さないと聞いていたから余計に見惚れたんだろう。
ゆるく波打つハニーピンクの長い髪。春に咲き誇る花の様なその髪に縁取られた小顔には、少しつり目。サファイアの青よりも深い藍色のラピスラズリ。その瞳は人を魅了して止まないであろう耀きが宿り、虹彩は金糸。
そんな魅惑的な瞳と美鼻、薄い麗しの唇がそつなく収まり、”可憐”というよりは”綺麗”という言葉が真っ先に浮かんだ。
自己紹介をする彼女の声は年相応に可憐さが際立っていたが、大人びて落ち着いていて、やはり美しい声だと思った。
彼女が持参してきた『練りきり』という菓子は小さく可愛らしく、部屋やテーブルを飾る置物と見間違えてしまうほど繊細な菓子だった。
『練りきり』は、しっとりとしていて滑らかで甘く、上品な味だった。
「なんというか……心が穏やかになるような菓子ですな。ソーナ様」
「はい。お出し致しました菓子は『和菓子』と言います」
父上の問い掛けに、下手をすると「ツンと澄ました様」や「冷たい」と例えられるであろう表情を綻ばせて華やかな笑顔を魅せる。
「『和』とはどう言う意味ですかな? よろしければお教え願えませんか?」
「はい。『和』とは『なごむ』や『なごやか』と言う意味でございます。景色や音楽、空間に流れる時間を一人で、または誰かと気持ちを穏やかに落ち着かせてお茶をしながらゆっくりとした時を過ごす。このお菓子はそんな一時を提供出来ればと、おもてなしが出きるようにと作ったお菓子なのです」
「それは素晴らしい! いやはやハーティリア公爵は素晴らしく聡明な御息女をお持ちでいらっしゃいますな」
ハハハ、と笑う父上。
あの時の俺はちょっと面白くなくてソーナに意地悪をしてしまったな。
その意地悪は彼女に礼を言われ、とびきり喜ばれた。
(彼女の方が大人で、俺は格好付けたところで子供だと思い知らされた……)
俺が意地悪で彼女に贈った物は――
――知り合いの武器屋と防具屋が何を思い、何を考えて造ったのか解らない、訳の解らないブレード付きのブーツ。
そんな何処に需要があるのかも解らない、ちょっと頭がおかしいんじゃ無いか? と疑いたくなる様な、意地悪な贈り物をソーナにこんな物が有るんだぞ! 知ってるか? 知らないだろう、と彼女に差し出すと、ソーナはそれを抱きしめ、恭しく礼の姿勢を取る。
「……そんな走り難い刃の付いた靴なんかに喜ぶなんて変なお嬢様だな」
物好きな冒険者が一人が買っていたけど……。
「クロード、魔法で庭に鏡の様に研きあげた氷を張ってくれないかしら厚さは……そうね、割れたり、罅が入らない様な氷が好ましいわ」
「畏まりましたお嬢様」
詠唱が始まり、魔力が練られ、世界に神秘が顕現した。
ハーティリア公爵邸の庭が一面鏡の様な氷の板が張り巡らされた。
何をするのかと見てみれば、ソーナが先程渡した靴を履き、氷上に立つ。
俺達は驚いた。氷の上に立ち、滑り転けない事はもちろん、あの訳の解らないブレード付きのブーツを、然もそれが本来の使い方だと当然の様にソーナが氷上で艶然とした笑みを見せ、淑女の礼を取り、氷上を滑った!?
そして俺は信じられ無い光景を見た。彼女は氷上でダンスを踊る。
カシュ。と氷が削れる音。ソーナはお辞儀をして――
「この様な素敵な贈り物を有難うございます。アレク様」
――と、ひまわりの様に輝く笑顔を浮かべた。
すごく可愛い。
それだけではなかった。彼女と話せば話すほど楽しかった。
世界のこと。俺達が住む世界が丸い形をしていること、天空が動いているのではなく、この世界が動いているということ。様々なことを彼女は理解していた。
こんな女の子は他にいないと思った。それなのに――
――次に逢った時は、奴の婚約者として紹介された挙げ句、彼女の魅力は凍てついていた。
そして、彼女は裏切られ、奴らに殺されかけた。
俺は彼女が佇む甲板を見下ろしている。
しかし、あの武器・防具屋め、売れないからとあんなものを押し付けやがって、ソーナがいなければ売れなかったぞ? 絶対に……。
(ソーナの足に合うものがあってよかったが……)
夜故に暗色に変わっているハニーピンクの髪を海風に靡かせている愛しい彼女は星空を見上げている。
冷たく硬質的な色を帯びてしまったソーナの美しいラピスラズリの瞳。
「今もその心を凍てつかせたままの瞳を揺らしているのか? いつかの日に美しいと言っていた満点の星を見ているのか?」
今、その瞳に何を写し、何を思っている?
「ん?」
星空を見ていた彼女が暗い海を見下ろす。
「確かアリシアが言っていたな。ソーナは海に呼ばれる時があると……」
(婚約は恋では無かったが、裏切られたのは間違いない……)
ソーナから聞かされたのは恋を叶えるために声を失った人魚姫の物語。
彼女は心を凍てつかせた。
(確か人魚姫は王女を殺せずに海に飛び込み――)
「泡沫なんかにさせるか! 海になんぞに還すものかよ」
彼女は俺が見ている事に気付いていない。
(守護者のラファーガは気付いているだろうが……。誰に気兼ねする事もない。最早、障害は存在しない)
風を纏い、甲板に飛び降りる。
「よぉ、こんな時間に何をしてるんだ?」
俺はソーナに朗らかに話し掛けた。こんな風に彼女に声を掛けるのは何時以来だろうか。
そんな事を思うと薄い笑みがこぼれた。




