私と真価
お日様の匂いと日差し。春風の中に花薫る日。
六歳の私は今、髪を結い上げて市井の男の子の様な男装をして腰に手を当て、川原の野草が生えている土手に立ち、野草を摘んでいる人達を見ていた。
私の隣に立つのは宰相職を退き、その席をお父様に引き継いだ今は、ハーティリア領の邸に戻り隠居生活をしていらっしゃるお祖父様―― トリフェーン・デルフィ・ハーティリア。
「お祖父様、この度は私の我が儘を聞き届けて下さり、有難う御座います」
「ウム……しかしこの様な野草が食べられるとはな。しかし……まだ食せるものがあろうとは……この歳になってもまだまだ知らぬ事があるものよな……」
「はい。人生これ一生学び、なのでは無いでしょうか」
「孫に教えられるとはな。思う存分にやれ、楽しみでもあるからな」
そう言ってお祖父様が私の頭を撫でる。その掌に伝わる様に大きく頷く。
私達が領民と共に川原で野草を採取しているのかと言うと、新年のハーティリア家の晩餐まで遡る必要がある。
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冬の短期休暇。年末年始を皇家から始まり、お母様のお父様―― 私のお祖父様のブラッドストーン邸や招待をされた社交界から晩餐会に出席し、家族でハーティリア領の邸に帰り、今度は自分達だけで晩餐会を開く。
流石に誰もが胃にきている。私は皇家、ブラッドストーン邸の社交界で済んだが、お祖父様、お父様、お母様はそれだけで済む筈がなく、連日お出掛けなされていた。
(あれだけハイカロリー&濃い味付けの料理を食べ続けていたら、胃凭れも胸焼けもするわよね……)
先程からナイフもフォークも進んでいない。
(料理人が他家に負けぬ様に張り切ったのだろうけど、止めをさしてどうするのだろうか)
皆、もう手をつけない様だし、そろそろ頃合いかしら? と、私は壁際で控えている侍女のシアンに目配せする。
すると彼女はそれだけで理解し、頷くと、食堂を退室する。
誰もがうんざりする中で、レイフォンとレナスだけは元気良くお行儀良く料理に舌鼓を打っている。
お祖父様とお父様、お母様は領民へ振る舞う料理を何するか話合っている。
だが、それも芳しくない様子。
「お祖父様、お父様、お母様、僭越ながら申し上げます。領民への新年の祝いの食、私に良案が御座います」
三人は顔を見合せてから私の顔を真剣な表情で見てくる。
「ソーナ、これは大人の話し合いだという事は理解しているな?」
「はい」
私が手を上げたのはハーティリア家が領主として行う行事、公務に関する事なのだから、三人が厳しい顔を向けてくるのは当たり前だ。
手を上げた瞬間から私は彼等の孫でも娘でも無い、一人の淑女ソーナ・ラピスラズリとして見られている、という事だ。
「良い考えがあるのなら言ってみなさい」
「では、お父様達は連日の社交界、晩餐会で食べ疲れ―― 例えば濃い味付けの料理を見ると、お腹が受け付けないとか、胸が焼ける様で気分がすぐれない、といったような感じでは御座いませんか?」
「ええ。そうよソーナ。出された料理に手をつけず、食べ残しは作る人に失礼だし、食べれない人もいるわ。それでも、と躊躇ってしまうの」
「ソーナの申す様に胃が重いか」
「歳を取った……とは思いたく無いが……流石にな」
お母様困った様に弱々しい笑みで微笑む。お祖父様、お父様は歳は取りたくないものだ、と苦笑し合っている。
三人の表情も納得だわ。目の前に広がるのは肉、肉、肉。肉にかかるソースは濃い。ひたすらに濃い。
贅を尽くした晩餐や社交=その家の繁栄、富と権力を見せつける為の物。
ここに並べられているのは若鶏、子牛などの肉。牛も馬も鶏もお仕事があります。だから私達でも滅多に口に出来ず、祝い事がある時のみ。
それが連日なのだから胃が凭れ、胸焼けで疲れない訳がない。
この世界の調理法と技術は、食材の豊富さに対してアンバランスだ。
(味が薄くても濃いくても、主の気分を害さなければ良い、贅沢であればそれで良いと考えているところがあるのよね……)
栄養もカロリーも考えられていない。そんな料理を食べ続ければ身体を悪くする。
私はテーブルの中央に置かれている物を見る。
(……魔導薬師が作った胃腸薬……こんな物を最初から用意しなければならない料理)
若い内から成人病になる人が貴族に多い訳だ。
「それで、ソーナ貴女の提案とは何かしら?」
「はい、お母様。私が提案するのはお米を使った御目出度い料理を出したく思います」
「お米? あの白い小さな粒の事よ? あれは沢山のお水に入れて煮込む必要があって泥々になってしまうのよ」
ハーティリア領は陸稲がある。ハーティリア産のお米は日本のお米と同じなのよね。しかし残念な事にお米はライ麦や小麦より下。
『パンがなければ米を食べれば良いじゃない』てへペロ♪
なんて言われる程ご飯―― お米は冷遇されている。
パンは魔法貴族が食す天が恵んで下さった至高の食べ物。お米は魔法も使えず、魔力を持たない魔法士・魔導士に飼われている下級民族が食べる物だと言われてしまっている。
それと言うのも、お母様が仰られた様に寸胴鍋に沢山の水に浸けて火にかける。
とにかく柔らかくなるまでコトコト、コトコト煮込む。もうこれでもかっ! というくらい煮込む。そうして出来るのが泥々した味付けも無い、何かが出来る。早すぎたんじゃない! 遅すぎたんだ! と叫びたくなるのよ。本当よ? 信じて!
取り乱したわね。オホン失礼。さて、そう言った理由からお米の価値が低い。
(ハーティリアはお米の産地だというのに……)
「はい。十分に承知しておりますわ。お母様。ですから以前からお父様にお願いしておりました器を使います」
「何!? あれは米の調理に使う物だったのか?」
「はい、お父様。それで、ですね。今からそれを出したく思い、お父様達の様子から、晩餐の料理に手をつけられないのでは、と考え、急遽、私が作らせて頂きました」
三人の目が細められる。怖い……。
「ソーナお姉様が……お作りになられたのですか!?」
「そうよ、レナス」
「な、馬鹿な! 料理など誉れ高いハーティリア家に生まれた令嬢がする物ではありません! 何をお考えなのですか貴女は!」
妹のレナスは純粋に驚いてくれた。うん、瞳をキラキラ輝かせてる。可愛い奴よの。
……それに比べて、弟のレイフォントは生意気だ。弟なのだから可愛い筈……だったのに何故こうなった!! これがただの背伸びなら可愛いのだけど、これは魔法士・魔導士の考えに染まり過ぎている。元々、料理人の地位は低いのだけど、これでは将来、領主なんて任せられないわね。
それに……出来上がりの差が美味しさの差では無い! 本来のご飯はこの世界のパンとは違うのだよパンとは!!
それを証明してあげるわ! このお姉様が!
「レイフォン、そういった選民思想は捨てなさい。貴方が将来ハーティリア領を継ぐと言うのなら世の流れ、領の歴史と気候と災害の周期、そして――」
「魔法士でも無い貴女が――」
「ソーナ。続きを」
「はい」
お母さまが私の名前を呼び、弟の言い争いになる前に止める。
チッ、と舌打ちをしたレイフォンが、お父様達にたしなめられる。
「泥々、と言いますが、それは水の量とお米を炊く調理具の問題なのです。正しく調理すれば良いだけなのです」
そしてタイミング良くシアンが戻ってくる。
「お嬢様お待たせ致しました」
彼女は手際良く準備をしていき、土鍋の蓋を開けた瞬間、ふわっ、と湯気が解放され、ご飯の優しい甘い香りが漂う。
「そ、ソーナこの白く照り輝くものは何?」
「ご飯です。お米を上手に炊けば、この様になるのです」
「……この様に美しいものだったとはな……」
「ハーティリア領で生産してきたものの、これが真価なのか」
私はシアンが用意した桶の水で手を濡らし、そこに塩をつける。
それを見ていた誰もが声を上げて私の名前を呼び、シアンは慌てて止めようとする。
「大丈夫ですですから見ていてください」
そう言って皆を止め、少し冷まして置いたご飯をおにぎり一つ分を装い、掌に乗せ――
「お、お嬢様、食べ物は粘土では――」
優しく、だけど確り、リズム良くにぎ、コロン、にぎ、クル、にぎ♪
「遊んでいるわけではないわ。とても単純だけれど、これも立派な料理よ」
シアンが止めようと会話している内に、綺麗な三角の塩おにぎりが一つ出来上がった。
「『塩おにぎり』という料理です」
にぎ、にぎ、 コロン、クル、にぎ♪
リズムに乗り、テンポ良く♪
「そ、ソーナ、これがお料理なの?」
「はい、お母様。『塩おにぎり』という名のお料理です。冷めても美味しく、片手で食べられるのです」
そう言って一つ手に取り食べて見せる。
「「「「「「!!」」」」」」
皆が驚く。それはそうだろう。お嬢様が手掴みで料理を食べるなど、はしたないと思われても仕方がない。
だけど、これがおにぎりの良さ、でもある。
「この手軽さが、このお料理の良さなのです。お仕事の合間、旅に、と簡単にお腹を満たせる、といった利点があるのです」
「しかし、手の汚れはどうする?」
「はい。例えば会議中なら、こちらの蒸しタオルを添えてお出しします。これを『お手拭き』と言います」
「ほう、良く考えられている」
フィンガー・ボウルがあるが、会議中にはむかないだろう。
「今回は塩を使いましたが、この中に細かな具を入れて握り、種類を増やせるので飽きは来ないと思います。また、この料理に使われたソースを塗り、『焼きおにぎり」という軽食にもなります」
『のり』が無いのが残念なのだけれど。
「……お米に、この料理を少し入れるだけ、なのね」
お母様も一つ手に取り、若牛のロースを見ている。
「シアン」
「はい、お嬢様」
「この若牛のロースを薄く一枚だけ切り分けてくれないかしら」
「? 承知致しました」
失礼します、と手付かずのロースの皿を取り、彼女は用意していた調理台で、ロースを薄切りにする。
私はありがとう、と言って彼女に場所を譲ってもらい、俵型に握った塩おにぎりに薄切りロースを巻いていく。
本来は焼いたりする前のお肉で作るのに、調理が終わったお肉を絶妙な薄さで一枚にしてくれたので巻きやすかった。
「『焼き肉巻き塩おにぎり』です』
今度は三角おにぎりの中心に具を入れたらおにぎりを作る。
「『タレ焼き肉おにぎり』です」
お祖父様が『塩おにぎり』、お父様が『タレ焼き肉おにぎり』、お母様が『焼き肉巻きおにぎり』を選ぶ。
巻きおにぎりだけはナイフとフォークを使い、口に運ぶ。
「濃い味がご飯で緩和されているし、薄くしてご飯に巻くだけなのに満足感があるわ」
「ふむ、忙しい時には重宝しそうだな」
「セシリア、この『焼き肉おにぎり』を特戦遊撃部隊を率いるお義父上に薦めてみてはどうか?」
「そうですね! 薦めてみます」
好評を獲られた、と一安心。掴みは完璧ね、と思った瞬間にレイフォンが噛みついてきた。
「この様な下品で野蛮な物を世に出しては、ハーティリアの恥となります。僕は反対です!」
うーんまだ五歳なのだけれど、この態度は許されないのよね。部屋の中や本の中の学びは動きがない。過去から現在と動きは学べるけれどそれだけだ。自然も地形も流通も移り変わる。それは外に出ないとわからない。
お祖父様がぶらり、と視察へ行くとき私とレナスは付いていき、レイフォンは下らないと言って付いて来ない。
彼も学んでいかなければならない。
「……お姉様」
クイクイ、とドレスを引っ張るレナスに呼ばれ、彼女に向き合うと――
「私も食べたく思います」
「でも試食だから一つだけよ?」
「はい!」
さて、彼女には少し甘めのだし巻き玉子を乗せた小さな煉瓦形のおにぎりを出して上げた。
寿司酢を使っていない寿司擬き。
「はい。『だし巻きにぎり』よ」
「い、いただきますお姉様」
そう言って一口食べて――
「ん~……美味しいですお姉様! 玉子がしっとりしていて、えっとえっと……何だかほっとするお味でした……」
日本なら関西風。基本はそこだ。
もっと! とせがむレナスにもう少し待ってと、何時のまにか退出していたシアンを待つ。
「お祖父様、お父様、お母様、次が新年を祝う目出度い料理で御座います」
「え!? この『おにぎり』ではないの?」
「はい。これはハーティリア領産のお米の真価を知って欲しかったのと、その、厚かましいお願いなのですが、私がハーティリアの姓を名乗れなくなった時の為の資金としたいのです……」
「「「っ!!」」」
「ソーナその為に……」
お母様が悲しそうな表情になる。
「ち、違うのです。私は私の可能性を示したいのです。戦です。勝利するのです」
「わかったわ! 『おにぎり』はソーナの為に売り出します」
「はい。お米はハーティリア領として、『おにぎり』を今はハーティリア家として売り出して下さい」
「む? どういう事だ」
「はい。ハーティリア領としての政策はハーティリア領と領民へ還元して、ハーティリア家を維持するのはハーティリア家の事業で得た利益で維持するべきなのです」
お祖父様とお父様の目が鋭くなってます!
「お姉様、分を弁えて下さい。領政に口出しなど――」
「レイフォン、黙っておれ。ソーナ続きを話せ」
「はい。『富国』です。領を富ませるには人です人も資源なのです。技術と知識を学べば、それは十年、二十年先、研鑽されたそれらはハーティリア領に、領民に還り、生活水準が上がりましょう」
「我々ハーティリア家の者が贅沢したくば己らで稼いで贅沢をしろというのだな?」
「はい、お父様。還らねば不満を持ち、腹が満たされなければ、人は賊になりましょう。そうなれば怒りの矛先は私達に向けられましょう」
そう言って私は、食べられずに冷めて残った料理を示す。
「人が育たねば、やがて頂点に立つ者は自滅する道しか残され無いのです」
「ハハハ、成る程……おもしろい考えてみよう。だが、それはソーナがこれから見せる物次第だ」
「臨むところですわお父様」
私は淑女にあるまじき獰猛な笑みを見せ、お父様を見据える。




