駄菓子サイダー擬き
目が覚めた。あれからどれだけ時間が過ぎたのだろうか、部屋は暗く、窓から入る月明かりだけが頼りだ。
気だるさは残るけれど、私は身体を起こす。窓から見える星は瞬き、船が波を掻き分ける音……。
(ハーティリア領港街メーアまでもう少しかしら……)
港街メーアでも色々あった。
目を閉じて波の音に身体を委ねる。
眠りについた時には魂が捕らわれてしまっていたのか、海に誘われているみたいだ。
(あの時も海に呼ばれて、アリシアに出逢ったのよね……)
「……?」
カチャリ、と音がしたように感じたので、そちらに顔をむければ、足音も無く、身体の上下運動がない。正にスッという感じでアリシアが部屋に入ってくる。
「!!」
私が眠っていると思っていたのだろうアリシアは、身体を起こしている私を見て驚く。
(フフ、珍しく隙を見せたわね……)
親友であり、家族であるアリシアは侍女となり、私の専属の侍女として仕えると決めた日から、侍女としての立場に徹してポーカーフェイスを貫いている。
今回の事件では、そのポーカーフェイスを脱ぎ捨てていた様だけれど……。
「……お嬢様、起きていらしたのですね……」
「たった今ね……」
私がそう言うとアリシアはベッドのサイドテーブルに水差しを置き、「お嬢様……」と私を抱きしめる。
「アリシア?」
「また……海の―― 波の音に御心を委ねられていたのですね……」
アリシアはドアを叩き、確認をしたと言う。
ドアを叩く音にも気付か無い程に私は深い処まで惹かれていたようだ。
「私とお嬢様が出逢ったのは、海がお嬢様を呼んだから、ではありますが……私はあまり良い事だとは思えないのです……。お嬢様が海に拐われてしまうのではないか、海の神の御使いに連れていかれてしまうのではないかと、怖いです」
それは――
「それは侍女としてかしら? それと――」
「親友として、家族としてです」
私の意地の悪い問に対して、即答で答えを返して来てくれた。
「御免なさい。意地の悪い問をして……」
「い、いえ、私の方こそ、主であるソーナ様に!」
(戻ってしまったわね……。このまま昔の様に、と思えたのに……)
「ぉ、お嬢様、白湯です」
「ありがとう」
アリシアに礼を述べながらカップを受け取り、白湯を口に含み――
「お嬢様、此方に」
私は頷きで応え、アリシアが差し出した壺に、口を濯いだ白湯を出す。
アリシアは壺を置くと、取り出したハンカチーフで私の口を拭くと、改めてカップに白湯を注いでくれる。
(口くらい自分で拭けるのに……)
しかし、それを言葉にするとアリシアはシュン、とした表情になり――
「ご迷惑……ですか?」
と、瞳を潤ませて訴えてくる。
彼女の不安の現れなのだろうと理解出来てしまうから、断り辛い。
「お嬢様の麗しく、可憐な唇を拭うのは私の特権で御座いますから」
此方の考えを察したのか、アリシアが「私の仕事を取らないで下さいね」という風に言って来た。
「アリシア……私は貴女と同い年よ? 子供では無いわ」
そう訴えた私に対して彼女は――
「え? 本当で御座いますか!?」
なんて無表情に見えるようで、小さな笑窪が出来ている。
冗談を言って悪戯っぽく笑みを浮かべているのだとわかった。
「……ですが、お嬢様。『これくらい手の甲で拭ってしまえばいい』と、お考えではありせんか?」
「…………」
鋭い……。一瞬そんな考えが過ったけれど……。何故わかったのかしら?
「やはり、そうするつもりだったのですねお嬢様……」
「悪かったわよ……。ただね……」
「ただも何もありません」
まったく……、と溜息を吐く。
彼女は私の後ろに回り、髪を梳いてくれる。
「私と出逢う前から髪を結い、男装をして川で魚を捕り、川辺で野草を採取したりしていた様ですね? ハーティリア家の『じゃじゃ馬娘』や『お転婆姫』として知っていたのですよ」
「メーアでも?」
「はい」
「あとは『うつけ姫』ね」
私は苦笑を漏らす。
「お嬢様! そんな事を言わないで下さい……。私達はお嬢様に救われていたのですから」
「……そうだったらいいのだけれど……」
「はい。お嬢様が私を救って下さった時に話てくれた《松葉サイダー》で御座いますよ、お嬢様。当時、私も作っておりました」
「……懐かしいわね。あの時は愚痴になってしまったけれど……」
アリシアの言葉に、魔力を持たない事で卑屈になり、無気力で動かなかったのはあなた達ではないの、と……。
「最初、誰も反応をしてくれなくて」
私は懐かしい話をアリシアに語る事にした。
「お忍びで街に出た時に背伸びをする男の子を見たのが切っ掛けだったのよ。その男の子は漁師の子供で、漁を終えた父親と他の仲間達と食事をしていて、自分も海の男だ、もう大人だと、父親の飲むエールに手を伸ばして、早いと怒られていたのよ。それを見て思いついたのが《松葉サイダー》だったのよ」
前世で小学生の時に実験で作ったのを思い出したのだ。
お味は……駄菓子の溶かして作る炭酸飲料擬きが出来る。《松葉サイダー》は冷えていないと凄く不味い。
「それがお嬢様の第一歩だったのですね」
「私個人としては、ね。ハーティリア家としては別の物を提案したのよ」
「お嬢様はそんな幼き頃から私達孤児や貧民街の生活環境の改善を考えていて下さったのですね」
「そんな立派なものでは無いわ。魔力が無く、魔法が使えない私は何れ家を出なくてはならないから、その時の為に道を作ろうとしていたのよ。将来一番の取引相手になるハーティリア家が、身近にいるのだから、私との取引で得られる『利益』を早めに見せていただけにすぎないわ」
愛情は注がれていた。実際ハーティリア家の子育ては乳母では無く、お母様が全て行っていた。
それでも魔法が使えない私は自分自身で活路を見出だしなければ為らなかった。
早く読み書き出来る様にお母様に文字を習った。将来、武器になるからと淑女としての礼儀作法、仕草も学び、盗んで身につけていったし、書庫に入り浸り、様々な本を読み漁った。
妹と弟は魔力と魔法の才を持って生まれて来たから、私は魔法の代わりに知識を武器にした。
そうしなければ、私にはBad Endに繋がる皇子との婚約しか道が残されていないのだから。
皇子の正妃は魔法が使えない女性から選ばれる。それは皇子が上でなければならないからだ。
婚約者=同格。
それでも精神的に皇子が上でなければならないという考え方。
魔法士・魔導士が正妃では、もし正妃が有能立った場合、立場が逆転してしまい、この国は女皇帝の国となってしまう。つまり、ローゼンクォーツの血では無い者の国となってしまう、という事情がある。
だから皇子と歳が同じで血筋も良く、魔力を宿していない令嬢が選ばれる。……つまり私だ。
確か五歳で皇子との婚約の話があり、年明けに婚約が正式に決まったと設定ではあったので、当時は回避出来る様にするにはどうすれば良いのか、と必死だった。
結局、婚約も、魔女裁判も回避は出来なかったけれど命は失わずに済んだ……。
「どんな思惑があっても、お嬢様のお蔭で《松葉サイダー》造りという職に就け、私達はひもじい思いをしなくなったのですから。それにハーティリアのお権力を使えば大規模な事業に成っていた筈です。それなのにお嬢様は私達に最後まで委ねて下さいました。それはお嬢様の優しさで御座います。私にはそれがお嬢様の魔法なのだと思っております」
「ありがとう。アリシア」
「いえ……」
暫く私は背後からアリシアにだきしめられて居たのだけれど、彼女が疑問を口にした。
「しかし、お嬢様。何故、冒険者組合の掲示板では無く、街の橋に出したのですか?」
「冒険者組合だと冒険者に取られるじゃない。橋は子供達の遊び場だと聞いたわ」
子供達が飛び込んで遊んでいた。楽しそうで気持ちよさそうで、少し羨ましかったのを覚えている。
「確かに遊び場ではありましたが……」
何故あの様に? と首を傾げるアリシア。
「冒険者になるには子供では無理でしょ? では、子供に遊びの中で何かが出来る、と自分達にも何かが成せると、知って欲しかったのよ。もし、大人が付いているのなら、大人達にも自主的に動いて貰いたかったのよ。貧民や孤児が生まれてしまうのは、領主の責任でもあるもの」
「そんなっ!」
「だけど、実際はそうなのよ。字が書けない読めない、計算が出来なければ職に付けない。人に騙される。知識がなければ自分に何が出来て、何が出来ないかすらも分からない。だから貧しい者が生まれ、貧しさから子供達が捨てられたり、口減らしで売られ……、売られた子供がやがて大人になり、娼婦となって、子供が出来てしまい、その子供が仕事の邪魔だと捨てられたり、犯罪に手を染めたり、飢えて亡くなる。それは上に立つ者が打開策を見出だせないからでもあるのよ」
それに――
「残念な事に民に下手に知恵を付けられて、真実を知られ、反発されたりするのを恐れてもいるのよ。最低よね」
だから人も領地も国も腐っていく。
「でも、人ってそんなものじゃ無いでしょ? だったら信じてみたいじゃない」
「……お嬢様。それがお嬢様の考えた『人間の可能性』なのですね」
「ええ。あまり、理解はされなかったけれどね」
それは上を望めない貴族や、平民達からすれば貧民街の民、孤児達は、自分達は彼等よりマシだと、上に居るのだと見下す事で自己を肯定出来る唯一の存在だ。
そんな彼等にとって私が打ち出した政策は、秩序を乱し、常識を破壊する恐ろしい行いに違いないのだろう。そしてまた、貧民街の民や孤児達からすれば私の政策は立ち上がり、歩ける足があるのだから自分の足で歩け、何かを為せる手があるのだから自分の手でそれを成せ、と言っている様なものだ。
戦う力が無い者に戦え、這ってでも戦え、と言っている様なもの。
たがら『利己主義な暴虐令嬢』『ハーティリアのうつけ姫』なんて言われている。
「女神、神様にどれだけ祈れば救いの手は差し伸べられるのかしら? 救いの手を差し伸べられ無いのは、何が何れだけ足りないのかしら?」
「それは……」
「領主も同じよ。そしてこうも考えられるのよ。何れだけ手を差し伸べれば満足するのかしら? 幸福だと感じるのかしら? アリシアは覚えているかしら。あの時の立て札に書いた文を」
「はい。『新芽のきれいな松葉を集め、綺麗な水を汲んだ者はハーティリア公爵別邸まで運ぶ事。運んだ者には報酬として金貨三枚を渡す。”ソーナ・ラピスラズリ・ハーティリア”』
「滞在出来るぎりぎりまで待っていたわ。でも誰も集めて運んで来たものは誰一人として現れなかった。ただの子供の我が儘な御使いに行くだけで金貨三枚が手に入るのにね」
失意の中で本家邸宅に帰郷した。
「はい。……ターナ様と年長者達が食べる物が尽きると藁にも―― いえ、板にもすがる思いで依頼の紙を取りに行ったのです。それがお嬢様が帰郷される日で板を撤去しようとしていた所で、なんとか受けさせて貰えたのです。そして依頼の品を集めて邸に運んだら、確かに金貨三枚を報酬だと渡され、その場で私達は呼び集められたのです。そこで《松葉サイダー》を造って欲しいと言われたのです」
造り方を書き記した紙を執事に渡していた。勿論、執事や調理士には造り方を見せているし、飲ませてもいた。
「その日は指南され、次の日から造り始めたのです。……ですが、松葉と砂糖、水と日の光だけで子供でも飲めるエール擬きが出来るのですね……とても驚きで不思議でした」
《松葉サイダー》レシピは、松葉の新芽を集め、葉だけを綺麗な水で洗い、透明な瓶にいっぱい詰めて砂糖を多めに入れてから水を入れ、蓋をして瓶を振って砂糖を溶かし混ぜる。
そして上質な紙(前世ならキッチンペーパーやティッシュ)で栓をして太陽の光に二時間程当てる。
観察していれば、少しずつ泡が出て来るのがわかるだろう。
これで出来上がり。
温いと不味いのが欠点なのだけれど。
「それは孤児院の地下で保存して、その日の内にハーティリア家の使いの者が出荷していたのですよ」
軽食屋や冒険者組合の食堂、飲み屋等に出されていた様だ。
「しかし、お嬢様……。松葉で《サイダー》が出来ると発見出来たという事は、お嬢様が自ら松葉を集めたのですよね」
前世の知識があって良かった。ハーティリア領が日本の環境に近くて助かっている。
「そうよ?」
「やはりお嬢様はお転婆娘、だったのですね」
とアリシアは微笑んだ。
「私と出逢う前、お嬢様の成されてきた事を、これからお嬢様が歩まれ様としている道をお教え下さい。私はお嬢様と共に在りたいと願っております」
そう言ってアリシアは私を真摯な瞳で見詰めて来た。
「そうね。少し話しましょうか」
そうして私は言葉を紡いでいく。




