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吉光里利の化け物殺し 第三話  作者: 由条仁史
第2章 昔の我が家
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「……私の住んでたところ、ね」


 玄関を見る。こんなデザインだったっけ。そうだった気もするし、そうでなかった気もする。


「……もっといろんなところ見て回るかな」


 私は再度、ドアを開けて中に入る。一気に陰鬱な気分になる。気分ばっかりは、どうしようもないかな。そう思う。

 リビングは先ほどと全く同じ、何もない……ほかの部屋はどうだろうか。他の部屋と言っても、一つしかないんだけど。

がちゃりと、開く。同様に何もない。

クローゼットも、当然なかった。ただ、ふすまの柄だけは、同じだったけど。


「……あ、ふすまだけは覚えてた」


 家の中にあるものは思い出しやすい。いろいろ探してみよう。……って、私は思い出したいのか思い出したくないのか、どっちなんだ。わざわざ古傷をえぐるようなことを……


「……するんだよ、な」


 ここに来た目的はそれだ。私の古傷を。溜まっていたよくないものを、私の中からかき出す。そんな残酷なこと。お母さんに会いに行くと決めたのも、まずは徹底的に打ちのめされてからだと思ったからだ。トラウマの、克服――まあ、一朝一夕で治るようなものではないんだろうけれど。


「でもこんなものなのかな……当時の場所に来たとしても、再発しないみたいだな……」


 あの発作。発作っていうのが病気っぽいけど、別に病気ではない……はずだ。小学生の頃は薬を飲んでたけど。

 もう十年も経っている。あの人本人なら厳しいかもしれないが、あくまでもここは場所だから……場所に強い感情を覚えることはあまりない。


「強い感情をもってる場所……どこかあるかな」


 あとはトイレと風呂場、キッチンくらいか。一つ一つ見て回ろう。

 部屋を出て、まず近いのは風呂場だ。扉を開けて、脱衣所。洗濯機はある。ただこんなデザインだったのかは覚えていない。もしかすると前の人が新しく買い替えたのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。どちらにせよ、私にはそれを確かめる方法はない。

 風呂場のガラス戸を開ける。そうそう、この開け方。懐かしい……そうだ。風呂に入っている間も、私は一人の時間だった。自由な時間。ただ、そんなに長風呂はさせてもらえなかったけど……今でも風呂の時間は短い。なるほど、ここがルーツか。風呂の構造も変わってない。


「むしろ変わってたらビビるな……」


 工事をしなければならない。

 まあ、風呂場はもういいだろう。さて、次はトイレか。何か思い出せたりするだろうか――


「ぅ、くっ……」


 そうだ、そうだ。思い出した……トイレのドアノブに手を触れた瞬間に。そう……このトイレは私が無い知恵を絞って作った、隠れ家だったのだ。でもそんなものは思考するまでもなく簡単にわかって、ついにはあの人が包丁まで持ち出して、このドアを壊したのだった。べきべきになっていく扉、その音に怯えて夜中まで頭を抱えてお父さんの帰宅まで待って……そう。数日間べりべりになったトイレのドアに怯えて、後日変えることになった。そのときから変わってはいない……私が、籠城しようなんて考えを捨てたから。


「案外、覚えているものだな……」


 家にあったものが、不動だと思っていたものが変わってしまう。なんて子供心には衝撃だったのだろう。……今でも十分衝撃か。化け物が出てきて、それから私が変わってしまったように。


「変わったな……私」


 言って、扉を開ける。なるほど、内装はまったく変わっていない。ここで籠城していたのか……子供心にこれは恐ろしい。あれからトイレの鍵を閉めるように矯正していったことも思い出した。さすがにそれはダメだと。

 キッチンに向かう。何があったか……あの人、大して料理できなかったからなぁ……いつもスーパーの出来合いのものだった気がする。バリエーションが豊富だったのはうれしかったけれど、この家での楽しみはそれだけだったような気がする。

 できあいもの、か……それも家計を圧迫していた一端か。


 待てよ、話は飛ぶけれど私が行ってたのは幼稚園だったよな? 幼稚園と、保育園。家計的に、どうだったのだろう。幼稚園のほうが文部科学省だっけ。そっちのほうが保育料は高い気がするのだが……どうだったか。それもある意味、家計の負担になっていたんだと思う……まあ、おじいちゃんに学費を払ってもらっている身ではあるけどさ。

 ……そう考えてみると、私にかかってるお金って多いんだなと感じてしまう。テレビもないのに……そうか。私が家計の負担になっていた。だからお母さんは私をいらない人間だと判断していたのか。私がいるから、この家は普通の暮らし――テレビもあるし娯楽にも興じることができる――ができていないと。だから私を殺そうと。


 殺――そう――と。

 し――て――いた――の、か?


 扉が開く音が聞こえる。


「ひゃぁああああああああああああああ!!」


 反射的だった。

 何かおそろしいものが、おぞましいものが体の中を上ってくるような。液体窒素が体の内側を駆け巡るような。ぐちゃぐちゃなものが頭の中をミキサーでかき回すような。

 そんな感覚。

 叫ばずにはいられなかった。


「――! ――! ――!?」


 誰かの声。誰の声だ?

 考えるまでもない。このドアの開いた音は間違いない。買い物に珍しく行ってくれていたお母さんが、帰ってくる音に違いなくて。だから私は耳をふさいでうずくまって恐怖に震えるしかなくて、次にやってくる蹴りに備えて体を硬くしておくしかなくてそれで――


「――とりっ!」


 抱きしめられた。やわらかい抱擁。


「……ぁ。っ……」


 違う。落ち着いて。落ち着くんだ。私。何もされていない。誰もいない。そう、ここは空き家だ。あの人はもう死んでいる。墓参りにも行っただろう。ちゃんとあの人の名前が記されているのを見ただろう。この部屋には何も残っていなくて、私の脅威になり得るものなんて、存在しなかっただろう。


「おちついて、おちついて、だいじょうぶ。大丈夫……」


「……はぁ、はぁ、……っ」


 息が荒くなっている。また発作か……毎度毎度きついなぁ。思い出したくないものが、こうもくっきりと思い出されてしまうのは。しかも体に染みついたレベルで。


「……紗那」


「ああ、よかった……本当に、びっくりした……」


 私が正気に戻ったのを確認したのか、紗那は私を一段と強く抱きしめた。

 そりゃそうだ……掃除道具を持ってきて、扉を開けた瞬間に私の悲鳴……誰だって驚くさ。

 でも、私も驚いたのだ。ここまで体が覚えているとは……忌々しいものだ。このシミを取ることが、掃除よりも優先すべきことなのかもしれない。


「紗那、もういいよ。大丈夫」


 そう言うと、紗那は腕を放してくれた。立てる? 大丈夫。私は立ち上がって、あたりを見渡した。

 ――そう。もう、何もないのだ。この場所には。


 あるとしたら、自分の内面。

 自分に反射的に身についてしまった、こういう発作。

 だからここに来た理由は――多分、それだ。私のなかにある数々の記憶。汚れ。その汚れがどこにあるかを知るためだ。どんな汚れか。どうすれば落ちるのか。それを考えるための、神奈川への遠出。


「掃除、しよっか」


「うん……そう、だね」


 私は目を数瞬つむり、そう答えた。

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