Ⅱ
「今度、司法試験を受けることになったよ」
「え、ちょ……さとり、進化しすぎ」
「進化って何よ」
「いや、めちゃくちゃ勝ち組じゃん」
「勝ち組って……もはや死語じゃない? それ」
私はコーヒーをすする。喫茶店だ。今日ここで、プレイヤーズのメンバーたち……いや、元メンバーと合流することになっている。
「ええと……? 何年たったっけ? いち、にい……」
「5年.結構経ったね。紗那もうまくやっていけてる?」
「正直、やばいです!」
「……何が」
「ダブりました! 3年の時に!」
「……っ。まさか、だね……」
「大学もまだ卒業できてません! 次の3月に卒業です!」
「就活は?」
「一応、貯金はできてきました! えっへん」
「そう……まあ、暮らせていけてるならいいんじゃない? 両親のほうはどうなの? うまくやれてるの?」
「ばっちり。健在だよー。たまに言い争いするけど」
「親孝行は大事。健在のうちにやれることやっておいたほうがいいよ」
「うわ。さとりが大人なこと言ってる」
「大人だもん。れっきとした」
そう――高校時代とは違うのだ。周りに流されて生きていけるような時代は終わったんだ……自立しないと。
そういうわけで、高校時代に化け物と、自分の過去と決別できたのはよかったことなのだと思う。この時にやっておかなかったら、他にやる機会なんてなかっただろうから。
ああ、ちゃんと自立できてよかった。
過去になった今からは、回想的にそう思える。
「……でさ、あの化け物って、結局何だったの?」
「さあ? 私にもよく分からないよ。透明か不透明かもわからなかったのは個性って何か、まだ人間にはよくわかってないってことで、それでもはっきりしてるってことは、それでも個性はちゃんとありますよって主張だったんじゃない? ……よくわかんないけど」
そう。あの心象世界のことを体験した私でも、詳しいことはまったくわからない。お母さんが化け物に変容したとかしてないとか、そうだったらあの夢と整合性が合わないし、時系列がちょっとずつずれてくることになる。あの夢がただのメタファーだということも考えられるが、詳しいことは分からない。
というか、考えてもしょうがないことだ。
「化け物って、多分天災扱いだから、目撃者が大量にいたとしても、風化されればそれでおしまい……まあ、化け物の性質上、そんなに人目につくのはないんだけどね」
「あー、そうだね。ずっと人のいないところだったからね……人がいたのは、あの中学校のグラウンドでだっけ。いやー、あれはびびったね。本当に」
「びびらない戦いは、なかったと思うんだけどね」
「……右腕、大丈夫?」
夏だというのに、私は薄い長袖を着ていた。理由はもちろん……この右腕の傷を隠すためだ。なんとなく、人に見られるのは嫌だったのだ。包帯を巻いたりしていたが、それはそれで怖がられてしまうので、結局長袖ということで落ち着いた。
「うん。傷口はもう完全に塞がってしまってるから痛みは全然ないよ。ただ、やっぱり周りの人の視線が気になるし」
「まーそうだよねー。それ見て、痛々しく思う人がいたら気の毒だんもんね。夏なのに長袖着てる変な奴―って後ろ指さされるほうが大分マシか」
「そーだね」
紗那の言葉に軽く返して、私は時計を見る。十二時半、そろそろみんな来る頃だと思う。
「……あれっ、リリお姉ちゃんにサニーお姉ちゃんですか?」
少女の声が、私たちを呼ぶ。見ると、そこには……おや? 一瞬誰か分からなかったけれど、これは、もしかして……いや、言動から考えれば分かる。間違いない。
「カノンちゃん!? 大きくなったね!」
「久しぶり、カノンちゃん、ほら、座って」
「ありがとうございます」
数年間見ていなかったけれど、ここまではっきりと印象が変わるとは、まったく思いもよらなかった。向かい側。紗那の隣に座る。
見知らぬ制服。えっと、五年前に8歳だったから……ちょうど中学生か。それにしては大人っぽい言動になったように思える。人って、こんなに変わるものなのか。
「今中一か。どう? 中学校は」
「楽しいです。ちょっとずつ友達も増えてきましたし……」
「うまくやれてる? 勉強とか」
「はい、それはばっちり! この間なんて、学年順位一位でしたよ!」
「そ……そりゃすごい」
高校三年生時点での私の最高成績より上か……変なコンプレックスを抱いてしまう。そうか、カノンちゃんはもしかすると天才級に頭が良かったのか……まあ、すごいことだ。褒めておこう。
「二人は、今は?」
「私は就活中……というか、まだ勉強中って感じかな。紗那はまだ大学生」
「ダブっちゃった。カノンちゃんはならないように気をつけなよー」
紗那はカノンちゃんのほっぺをぷにぷにとつつく。子供の扱い方は変わっていないようだ……まあ、この五年間で、変わったことも、変わってないこともいろいろあるだろう。
「ういーす……おう、久しぶり」
低く、ダレた声で私たちに話しかけてきたのは、髪がぼさぼさの……え?
「……もしかして、ジャック?」
「ああ? ……そうだよ。なんだよ。久しぶりだな、リリ、サニー、カノン」
「久しぶり……って、どうしてそんなにぼさぼさなの」
髪をかきながら、ジャックは私の隣に座る。
「あー……昨日の仕事が今日にまで縺れ込んじまってよ。昨日はまったく寝てねえんだ……ちょっと休ませてくれ。久しぶりのあいさつは後で言わせてもらう。大人になったな、リリ。変わってねえな、サニー。制服似合ってるぞ、カノン……じゃあ、な」
そう言って、ジャックは机に突っ伏した。
すぅー、すぅー。と寝息が聞こえる。
「……寝ちゃった?」
「と、思う……マイペースだね。これは変わったのか、変わっていないのか」
「あはは、ジャックも大人になったってことじゃない? なんか仕事してるみたいだね。お疲れモードって感じかな」
「ジャックさんも、おしごとを……私だけ仕事してないですね」
「あー、仕事してないって点では、私も紗那も同じだから」
「私は留年だけどねー」
軽く言う紗那。
まったく、お気楽なものだ。
「あ、そうだ、彼氏とかできた? 二人とも」
「か、かか、彼氏ですか」
ぼん、と真っ赤になるカノンちゃん。この辺りは変わっていないのか。恋に敏感な、中学生……青春だなあ。私はほとんどをフイにしてしまったけれど。
「大学にいる間に、何人かとは付き合ったけど、ゴールインはできそうにないかな。そんな段階」
「おうおう。人生勝ち組はすごいね」
「……そう? これくらい普通じゃないかな、って思うけど」
「くぅ……リア充め。クリエイター気質の女には誰も寄ってこんとばい」
「九州弁……」
その様子では、彼氏はできなかったようだ。……そんなに外見悪そうには見えないのだけれど。むしろかわいいほうだと思う。初めて会った時は正直、何だこのビッチと思っていたのに。大学で何があった。違う大学に進んだから分からないぞ。
そんな不満を、紗那はサイダーを飲み干して解消する。
「それで、あと一人、ルートさんは?」
「そのうち来るんじゃないかな。もしくは……外で待ってるか、かな」
私は扉のほうを見る。その様子を、紗那とカノンちゃんは不思議そうな顔をして覗き込む。
「どういうこと?」
「法律関係に進もうとしていることをどこからか知ったのか、ルートさんは私とどうやら太いパイプを作りたいようです。まあ、結構連絡取り合っててね……」
「まさか、そういう関係だったりするの!?」
食い気味に突っかかってくる紗那。そういうって、どういうだよ。語勢からして、いやらしい意味だろう。
「……違うよ。何言ってんの。あくまでもビジネスライク。ルートさんのところも、うまくいってるみたいだよ。現状報告してくれて、私からもアドバイスをしてみたりしてね。いろいろ、持ちつ持たれつなわけ」
「あの……ルートお兄ちゃんのところに、就職しているような感じがするんですけど」
「……おや?」
言われてみればそうだ。
暴力団の傘下に入った裁判官……嫌だな。ルートさんのところは反暴力団だけれど、みんなに納得してもらうには相当の時間がかかると思うから。そもそも暴力に暴力で対抗しようとする発想が反社会的か……まあ、そのあたりは持ちつもたれつ。お互い隠していきましょうや。ルートさん。
「多分ね、こういう時は外で待ち構えてるんだと思うよ……ジャック。起きて。そろそろ行くよ」
「ああ? ったく……行くって、どこにだよ」
「そういえばまだ聞いてなかったね。どこに行く予定なの?」
「ああ、そうだね。……あの路地だよ」
「あの、マンションの隙間の薄暗いところ? よく化け物と戦った?」
「そう」
「…………」
カノンちゃんは陰鬱そうな表情を浮かべている。そりゃあ、実の兄……知らないのか。でも、兄のように慕っていた人が死んだ場所に、行くのは気が引けるだろう。
……私にとっても、あの場所は決別の地だ。私自身と、決別した場所。今更行って、何になるというんだという気持ちもある。
でも、行かなきゃいけない。そうも思う。
「……カノンちゃん、大丈夫?」
「あ、大丈夫です……はい。大丈夫です」
「無理しないでね。さとり、カノンちゃんは車の中に乗せたまま、あいや、私とカノンちゃんは車の中にいるよ」
優しさを見せる紗那。どうしてこのやさしさで男が寄らないのか……甚だ謎だ。カノンちゃんは紗那に対して、あっけらかんとした笑みを見せた。
「大丈夫ですって。そんなに私、ヤワじゃありませんから。それに、私も決別しなきゃいけませんし」
「おお、偉い」
素直に思ったことを口にした。そうだな。過去に決別を果たす……私はこれを、高校時代にした。化け物の助けを借りて。でも、カノンちゃんは化け物なんかの力を借りず、一人で乗り越えようとしている。
立派だ。私より、ずっと。
「じゃ、そろそろ行こっか。ルートさん、多分待ってるよ」
「あ、ちょっと待ってほしいです」
席を立とうとした私を、制止するカノンちゃん。どうしたのだろうか。
「どうしたの、カノンちゃん」
「あのですね。思ったんですけど……名前で呼び合いませんか?」
「…………」
なるほど、決別というなら、それも決別か。
「そっか……もう、私。プレイヤーズのリーダーじゃないんだよね。このコードネームも、もうおしまいかな」
「ニックネームってやつでいいんじゃない? 愛称だよ愛称」
「それはそうですけど、その……」
何か、もじもじするカノンちゃん――いや、かなめちゃんか。
「中二病っぽくて、恥ずかしいなって……」
少女らしい言葉を聞いて、私も紗那も、一瞬の静寂の後――私と紗那は笑いだした。
笑わないでくださいと、カノンちゃんは困ったようにあたふたとする。
「あっはっは! いやー、若いね、若い! 私もまだ十分若いけどさ!」
「若いって、その発言自体ばば臭いでしょ。あー、あー……そうだね。戻そうか」
そこも、日常に。
「私の名前は、星宮紗那だからね! って、さとりにはいっつもそう呼ばれてるか」
「そうだね、私と紗那の間だけ、コードネームで呼び合ってなかったね」
「なんかそれ、不平等っていうか……うー。嫉妬します!」
嫉妬って。
嫉妬ってあんまり自覚できるものではないからなぁ。言葉にして出してるから、大したことはないだろうけれど。感情以前の何か、みたいな。
「えーと、紗那おねえちゃん!」
「あぁー! 本名でもいいね。うん、問題ない! おねえちゃんってついてるだけで最高!」
「紗那、年下ならなんでもいいのかい……私の名前はさん付けでいいからね。カノンちゃん」
「かなめです!」
「ああそうだった、かなめちゃん。ごめんごめん」
私は、あくまでもなんでもないかのように、ただの日常のように。充実した、それでもどこか欠けている日常を、愛するように。
あくまでも、普通に。少しだけくすりと笑って、私は言った。
「私の名前は、吉光里利。まあ、いろいろあったけど、これからもよろしくね」
【吉光里利の化け物殺し 終】
あとがき
最近というかもう一昔前なんでしょうが、いわゆる『無個性型主人公』というものが流行った気がします。今こそテンプレだと批判されていますが、人は誰しも、初めから個性を持っているわけではありません。何かがしたい、そう思って個性なるものを獲得するわけです。もちろんそれを何かの創作にあてるもよし、スポーツにあてるも良いでしょう。物理に捧げる人生というのも、また面白いものかもしれません(理系感)。無個性主人公の成長物語はそこにあります。しかし逆に、個性を手に入れたくて何かをしようと思うこともあります。内からの衝動ではなく、個性を求める外側からの要求。クリエイターだから創作活動をするのか、スポーツ選手だからスポーツをするのか、物理学科だから物理をするのか。外側からの評価に見合うよう、行動する……純粋ではないにしても、それ自体は別に悪いことはないはずです。内側からと、外側から。バランスを保ちながら、進んでいくものではないでしょうか。才能なんて、結局どのくらいそれに打ち込んだか、なんですから……いや、執筆してないのは勘弁してください。私の本業は物理なんです(逃げ)。
この作品はタイトルの通り、吉光里利ちゃんが化け物を殺す物語です。テーマを一言で言えば、『個性ってなんだ?』です。それをずっと考えながら書いていました。その時の状態のことを言うのか? 役職、立場のことなのか? 過去そのものが個性なのか? それとも、個性がないなんて状態は、ないんじゃないか? そんな『個性』に振り回される、『無個性』主人公の里利ちゃんのお話です。
これは今年の2月から『1日一万字計画』とか題して書いて、4月から投稿を進めてきた作品です。完結しているのに投稿が遅れたときもありました。申し訳ありません。今回は行間を空けてみたのですが、少しは読みやすくなったでしょうか。次回作のネタは頭の中に徐々にできつつあります。いつとは断定できませんが、今年中に書けるかな。もう2016年上半期は終わったのか……頑張ります。
それではこのあたりで。ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。乱文失礼しました。




