Ⅱ
神奈川の移動には、東京にいる親戚が手伝ってくれた。おじいちゃんに連絡したときに協力を仰がせてもらった。お父さんの、お姉さんの、ご主人。紗那に聞いて調べてみると、伯母婿さんと言う間柄だ。神田さんという。私からすれば、会うのは初めてなのだが、神田さんからすれば小さい時のことをよく覚えているという。私の知らないところで、私の知っている人はいるんだなぁ……親戚って、そういう人間関係の網のようなものかもしれない。どんなに孤独を気取ろうとも、自分のことを覚えてくれる人がいる。
……所詮、完全な孤独なんて存在しないということなのだろうか。
「里利ちゃんって、今年でいくつになるんだっけ」
運転している神田さんが、私に尋ねてきた。ちなみに私と紗那は後部座席に座っている。運転席の後ろに紗那、左に私。
「17です。高校2年です」
「へぇー。そうか……もう高校生になるのか。やれやれ、時間がたつのは早いね……、そっちの子は、えーと」
「あ、紗那です。星宮紗那」
「へぇ。良い名前だね。紗那ちゃんも、同い年?」
「はい、そうです。同じ高校です。違うクラスですけど」
「……学校、休んできたらしいけど、大丈夫なの?」
「大丈夫じゃないですけど……ちょっと、決別したいと、思ったので」
私は自分の素直な気持ちを言葉に表す。
「そうかい……自分の過去と向き合う、か……」
神田さんは運転に徹してくれていたが、なにか思いをはせるような口調だった。その口調を、紗那は見逃さなかった。
「神田さん?」
「ああ、ごめんね。ちょっと康哉のことを思い出してな……」
「康哉?」
「私のお父さん。吉光康哉」
「働いてばかりで、家にいる時間は本当になくて……大変だったと思うよ」
「…………」
私のお父さんが死んでいることも、紗那には教えている。ただ、こうして親戚の人の話を聞くのは、なんというか……くるものがある。なにか、つっかえているものがある。
「あの……どんな人だったんですか?」
「康哉のことかい?」
「はい。私の、お父さんのことです」
手を、ぎゅっと握る。紗那が、私のことを心配そうに見ている。大丈夫。大丈夫。
「……そうだな。康哉と会うのは、年末くらいだったが……まあ、男同士いろいろつもる話もあって……そうだな。康哉は……ひたすらに、頑張り屋だった」
「……頑張り屋、ですか」
「そう。里利ちゃんと、奥さんと。……いろいろ大変な家庭を回していくのに、とても気を遣ってた。いつも里利ちゃんと奥さんを心配していたよ。里利は大丈夫なのか、気にかけてた。……でも世間はそういう制度も整っていなかったしね。なかなか相談しづらいことだっただろうし……何より、責任感が強かったからね」
責任感。
私がリーダーに選ばれたのも、それが理由だったっけ。ルートさんは違ったけど……ほかのみんなの意見は、だいたいそうだったと思う。ジョハリの窓……そうか。私は責任感のある人間なのか? ……家出をした段階で、責任感も何もないか。
「遺伝だね。里利ちゃん」
「え?」
「お父さんの責任感を、里利ちゃんも持ってる」
「……ないですよ、そんなの」
視線を落とす。自分の足を見る。
「過去に向き合うって、大事だけど、結構しんどいことなんだよ。神戸のほうで、何があったのかはよく知らないけれど……でも、その責任をとろうとして、里利ちゃんはいま、こうして頑張っている」
「頑張って……ますかね。私」
「ああ、頑張ってるさ」
神田さん。
私のことを知っているといっても、よくは知らないはずだ。でも、ここまで他人を肯定できるものか。……これが、年齢というものなのだろうか。年を取って、経験を重ねて……ここまで優しくなれるものか。
いや、そうやって生きてきたのが、神田さんなのか。
「……まあ、苦労する性格だったけどな。いいやつなんだが……自分のことを顧みないやつだった。どんな時でも、まずは目の前の困っている人を助けることを優先する……そんな奴だった」
お母さんも、助けられたのか。救いの手を伸ばしてもらったということか。そして――結婚。なるほど。少し想像ができた。めったにない救いの手に、がっつくようにお母さんはしがみついた。そして離れられなくなった。私のことを敵視するまでに。
私がお父さんに取られるのが、嫌だった……?
……やっぱり最低の母親だ。
ただ、お父さんの世話焼き加減も、問題の一端だったのではと思う。責任感の、強い、か……自分で何とかしなければならないと思っていたのだろうか。家庭内暴力も。
……その割には、何かをしてくれた記憶はないけれど。
私が眠ったあとにお父さんは帰ってきているらしかった。もしかしてその時にお母さんに何か言っていたのかもしれない。……無駄に終わったんだろうけど。
「……このあたりだね」
神田さんが言って、私は窓の外の景色を見る。そうだ、ここだ。このあたりだった。なんだか、懐かしいような、まったく違う場所に見えるような。
「里利ちゃん、覚えてるかい?」
「……はい。なんとなく」
「7歳の時引っ越したんだよね? じゃあ……十年か。街並みも変わるって」
そうか……もう、十年も経っているんだ。そりゃあ、ところどころ違うところがあって当然か。
「あのアパートは……まだあるんですよね?」
「ああ、鍵は大家さんに頼めば貸してくれるって連絡ついてる。里利ちゃんの名前を出したら、覚えててくれたよ」
「……そう、ですか。ありがとうございます」
意外だった。案外、私のことを覚えてくれている人が多いものだ……ひょっとすると
神戸よりもこっちの知り合いが多いかもしれない。もちろん、小さい時の話しかないけれど。
……まあ、家庭内暴力があったから、そりゃあ覚えてるか。当時は相談するのもはばかられた状態……だったのか、その大家さんの正確なんて分からないけれど。それどころじゃなかったという線もあるか。大家さんも、個人だし。
「着いた……ここだ」
息を飲む。そう、もう目の前には――
愛しの我が家があった。