Ⅱ
……真っ白な空間。色のない空間。光の中は、何もない。ぼうっとしているような。夢を見ているような……そうか。これは夢だ。化け物に触れて、ここはおそらく――化け物の中なのだ。
そこに……一つの影があった。人の、影。人の形をした、それが……
「……お母さん?」
私のお母さんが――あの人が、そこにいた。その人は、私を視認すると、複雑な表情を浮かべて……そして、頭を下げて、こう言った。
「ごめんなさい」
「……違う。お母さんはそんな口調じゃない」
すぐに断定できる。私の中にある記憶に、そんなものはない。
「本当に申し訳なく思ってるの……あなたが個性を捨てたのは私のせいなのに、私は何もしてあげられなかった」
やけにきれいなことを言う、あの人の形をした何か。……お母さんを、私が妄想しているのか。そうか……どこか、私のお母さんを理想化しているのか。こんなに優しいお母さんならばよかったよね、と。そんなことを思っていなかったかといえば……嘘になる。
もしくは……本当にお母さんなのか。私が嫌に、思いすぎているのか。嫌いすぎているのか。
……でも、たまには思っていたんだ。本当に、たまにもたまに。お母さんは……本当に悪い人だったのかって。
「あんたに、私をかわいがる気持ちが、少しはあったのは分かってるよ。伊達にニュースは見てない……子殺しの親なんて、いくらでもいるからね」
もちろん化け物みたいなお母さんのことを、塵芥ほども良いものだとは思いたくなかったけれど。だから思った瞬間に、かき消してしまうようなものだった。
「でも、もしかして私に個性を戻そうとしてくれたのなら……感謝しようとおもう」
おかげで、友達はできたのだから。かけがえのない、友達を。
……でも、その一方で。失ってしまった友達もいる。いやいや、私のそばにいなかったというだけで……ジャックの両親も。ルートさんのお兄さんも。死んでしまったんだ。
「……てめえのせいで、この世界は散々だ。私のせいでもあるけど……もともとはやっぱり、あんたが悪い。あんたが、この世界にいなければ!」
怒りが、前に出てくる。
いなければ。
お母さんが、いなければ。
私だって、生まれずに済んだのに!
「……ごめんなさい」
「謝るなよ……このクソ親がッ! よくも……よくも私を、おもちゃのように扱いやがったな。てめえの感情を押し付けるだけのおもちゃに! ふざけんな!」
ずっと言いたかった、罵声。神奈川に行った時も、言えなかったこと。言う相手がいないんじゃ、私の中の気は、まったく収まらない。
「私も、心の中ではそんなことしたくなかったの。でも、心を支配する化け物が、私を……本当に、ごめんなさい」
「……抗えない衝動、ってか。そんなもの……巣食わせるなよ。心の中に化け物を入れることほど、気持ちの悪いものはないと思うよ。……自分の心は、自分のものだ。化け物に支配されてたまるか!」
暴力という衝動。自分の欲望を、自分の主義主張を貫き通したいという衝動。誰にだってあるのかもしれない――個性の化け物。
お母さんは抗えなかった。抗おうと必死に努力したけれど、最終的には私に個性を捨てさせた。お母さんの心の中の化け物が――私を生んだ。私の、人格を作り上げた。
……化け物のせいだって?
ふざけるな!
私は声を一段と大きくして言う。いや、叫ぶ。宣言するように、叫ぶ!
「私は抗ってやる! 最後まで、死ぬ瞬間のその時まで! 誰にも私は支配されない、私は私だ! 吉光里利は、生まれてからも、死ぬまでも、吉光里利だ!」
お母さんはそれを聞いて……ほほ笑んだ。
見たことのない顔……いや、眠っている間に、瞼の向こうに見た景色なのか。
私は妙にすっきりとした気持ちで、お母さんを見た。
「お母さん。あんたを嫌ってて、本当によかったよ」
絶対にあんなふうになってやるものか。嫌悪の感情は、一番の個性のつけどころだから。……いや、それだけじゃあ、個性にはならないんだ。
「私みたいにならないで。それだけが私の望み」
「……そうだね。そしてあんたは、自分の望みを叶えた……私に、化け物を完全に退治させて、個性を。ちゃんとした個性を、手に入れられた。あんたみたいに……ひがみや妬みしかない人間には、絶対にならないから」
化け物を倒していくなかで。プレイヤーズに出会って。私は変わったんだ。
そして、これからも、変わった姿を見せ続けなきゃいけない。
それが、私の個性なのだから。
「……さて、もう時間がないわ。ここでお別れ」
「……せいせいするよ」
「ねぇ……あなたの望みは、何?」
「え?」
「ジャックに言ったじゃない。化け物を倒した後は、何をするの? ――里利は」
お母さんの、覗き込むような質問。
……決まっている。
そんなの、ただ一つ。
あんたが、死ぬまでできなかったことを。私はやってやろう。
私は、あんたとは、違う。
そして、これまでの私とも――違う。
だから答える。
私は……すべてが満たされた笑顔で答える。
「幸せに、生きてやるよ」
轟くような光の渦に、私たちは飲み込まれた。




