Ⅰ
路地は工事があるとのことだった。マンションの外壁が取り払われ、舗装ははがされ、鉄筋の骨格だけが露出していた。荒れ果てた場所。夜中だから、誰もいない。
だから。
化け物が来る場所としては、十分だ。待ち構えていればここに来る。今までの出現位置から考えて。……いや、待ち構えるというか。これは儀式のようなものか。
「大丈夫か? リリ」
ルートさんが私に言う。
「当然」
私も、どうかしちゃったのかもしれない。変な覚悟が、私にはあった。多分、死ぬことすら、超越した何かが。このために生きているんだ。自分はこのために存在しているんだと思える何かが、ここにはある気がした。
「……無茶しないでね」
「その言葉は、聞きたくないかな」
「……さとり」
紗那は涙をぬぐう。
……どんな気持ちで、私の言葉を受け取っただろう。冷たい、と言う反応が一番わかりやすいだろうか。冷たい。冷酷。人の情を解さない……でも、そんな状態じゃなきゃ、化け物には向き合えなかったんだ。
これが、恐怖を克服するということ。覚悟なのだ。
……ただの捨て身かもしれないけど。
捨て身でも、なんでもいい。
とにかく、私は、化け物に対して、誠実であろうと決めたのだから。
生み出したなら、死ぬ時も一緒。そうだろう。化け物の生みの親、吉光里利。
「……でも、どうやって化け物を呼ぶんだ? 個性が分離するっつーんなら、どっかで個性が失われないとできないんじゃねーのか?」
「そうだね。それが化け物だから――でも、ここでは誰かの個性を待つ必要なんてない」
「……あ?」
理解できていないようだ。当然。他のみんなも驚いたような表情をする。。こんな――突拍子もない考え。私も、カノンちゃんに言われるまで気づかなかったのだから。
「ルートさん。化け物を生み出すのは、絶望――と言ってましたけど、もっと厳密にいうなら、失われた個性なわけです。そして、その失われた個性は、誰の、どんな個性でも構わないわけです」
「……気付いた、か……ここで、お前の個性を失わせようという話だな?」
「――はい」
ぎっ、と私はルートさんの目を見て、言う。なるほど……私に気を遣って、言わないでくれていたのか。ルートさんも、気付いていたんだ。
「ちょっと待ってよ。個性って……誰の? まさか、さとり、自殺をしようってわけじゃ――」
紗那が心配するように、懇願するように私に言う。その言葉に、心が少し、揺さぶられた。
「……確かに。言ったね」
「……さとり」
「でも、こうなることだったのかもしれない……ここで生き残れば、私の勝ち。死ねば、私の負け……それだけの戦いなのかもしれない」
「やだよ……やだよ……」
涙を惜しげもなく流す紗那。
……泣くなよ、紗那。
こっちだって、泣いてしまいそうになるじゃないか。
「……化け物を生み出すのに、私が死んでは元も子もないです……化け物で私は死ぬかもしれませんけれど」
「……それで、肝心のどうやって生み出すかを、まだ説明していないが?」
「そうですね……一言で言いますと」
星空を見て、深呼吸する。最後の星空かもしれない。そんなぼやけた夜空を見上げながら。
「私の個性を、化け物にする――といった具合です」
「リリの、個性を――」
「ちょっと待て、リリ。お前は化け物から、個性を抜き取られているんだろう? だったら、お前に化け物を生み出せるだけの個性はない」
「あは、傷つくこと言いますね。ルートさん……個性がないなんて、そんなの、ありえないんです」
私も、ついこの間まで、そう思っていた。私にできるのは、化け物の回収のみ。生み出すことなんてできやしない。だって、私には個性がないのだから。好きなものも好きなこともないし、何をしようにも自然体。そんな自分が――
「最近になって、変わってきたんです。私の、個性が」
「…………」
「プレイヤーズのみんなに出会って、化け物にであって……少しずつ、少しずつ、私の心の中は……変わって、いったんです」
何もなかった、私の日常。
みんなと出会って、基本的につらいことしかなかったけれど――それでも、空白よりはマシだった。モノクロの世界に、彩が生まれた。
楽しいことも、ちゃんとあった――
涙が、自然と出てきてしまう。
「いろんなことがありました。大変なこと、つらいこと。でも、それを一緒に、乗り越えられる仲間を持てたことは……私にとって、最高の……っ。これ以上ない、喜びだった……うれしかった……」
私は、化け物に出会えて、うれしかったのだ。心が、そう叫んでいる。
「不謹慎だってことはわかってる……けど、言わせて。ありがとう……迷惑がって、ごめんなさい……素直に、うれしいって……いえ、なくて……ごめんなさい……!」
こんなに複雑な気持ちで謝るのは、生まれて初めてだった。
「だから……この涙は。この思いは……個性なんだと思う。みんなと一緒に居られてよかった。そんな個性。これを……今から、手放す」
「…………」
残虐だ。
私は今から、目の前で。
殺人以上の罪を、犯す。
あなたのことを、これから大事に思いません。
……私は、そう言ったのだ。
「……待ってるから」
「え?」
紗那が、私に向かって言った。
「もどってきて……必ず! 信じてるから! がんばって! さとり!」
胸を引き裂かんばかりに腕に力を込めて。それでもどうにもできない悲しさ、くやしさ。そんな押し殺せない感情の大波を、無理やり押し縮めて。友人の勇気と喜びに、敬意を表して。そんな紗那に、私は――ただ、苦悩の念だけが残る。
紗那は息を大きく吸いこみ、私に向かって最大限の応援をかけた。
「がんばってぇっ! がんばってぇぇっ!!」
――私は、紗那に背中を向ける。
これ以上は、やめてくれ。頼むから、もう……見せないでくれ。そんなこと言われたら。私が、捨てられなくなっちゃうじゃないか。
紗那との思い出は強烈だった。あれ以上のものはない。私の人生の、絶頂期だった。
それを失うなんて、悲しくないわけ――ないじゃないか。
でも……頑張って。そう言われたのだから。
頑張ろう。紗那に再び会うために。私は――私の個性を、捨てよう。
残虐で、最低で、最悪な考えを。
私は、涙を腕でぬぐう。
「これが私の、最後の戦い」
何か黒いものが、当の私の中から出てくる。心から? いやいや、私の心の底から。
「決着しよう。化け物。私が死ぬか、生きるか――」
黒いそれは、流動し、うねり、集まり、膨らんで――
「――化け物。私を殺したいなら、好きにしろ! 私は――何も、後悔しない!」
さあ、今こそ自分のことだけを考えて。自分と向き合って。
他人のことなんかまったく考えない、あの時の自分へ――
化け物が――姿を現した。
夜中にふさわしい、そしてクライマックスを飾るにふさわしく、色は灰色。透明か不透明かなんて、こんな夜闇の中じゃ、分からない。それでも形だけはやけにはっきりとした、化け物の姿。
一言も発しないで、すぐそこにいる。気味の悪い人間以外のもの。
驚かない。
だって、あれは私なのだから。自分自身に、驚くなんてことはない。
私は、高らかに宣言する
「私が変わった意志がここで示された! 私は今こそ、過去と決別する!」
舗装はすべてなくなった、土の上を駆ける。化け物も、私に向かって走ってくる。爪を立てて、私の肉体を滅ぼさんが如く――!
でも、それがどうした。
私の覚悟っていうのは、こういうことを言うんだよ!
化け物の2つの爪が、私の右腕に――えぐるような切り傷を生み出す。がりがり、と骨がぶつかるような音がした。
痛い。
痛い。
最上級に痛い。
でも。
「あああああああああああああああ!!」
これは、悲鳴じゃない――雄たけびだ。
ここで、終わるわけにはいかねえんだよ!
勝負って言っただろ? 生きるか、死ぬか! 生存競争か。はっ。痛みで頭がおかしくなったか。それもいい……気絶しそうなほど、体中が悲鳴を上げるほどに痛いけれど、それも――覚悟の上だ。
「さ……これで、いいかい……?」
化け物の、身体に触れる。左手が、しっかりと、化け物に触れていた。
化け物の、すこししっとりした表皮を。ちゃんと私は、感じ取れている。
……光が。
私の左手から――いや、化け物から――あふれ出る。
すべてが、飲み込まれる。




