Ⅲ
どうしよう。
事務所から出るときも、思っていたことはそれ一つだった。化け物とどう戦うか。あるいは、どんな化け物を倒すか。
紗那の言っていた檻という方法はかなり良いだろう。みんなを守ることができるし、できるなら私も傷つきたくない。直接触れる、ということの危険は実際、あるわけだけれど。
それよりも、私が考えていたのは――どのような化け物を殺すか、ということであった。
化け物は触れれば殺せる。しかし、殺した後どうするか。私がどうなるのか。私の個性が化け物によって注入、あるいは移植される。そのときに、だれも望まない個性を受け取ってしまったら――それは、あまりにも嫌だ。
嫌な個性を受け取ってしまった時は、もう一度化け物を生み出して、リセットされるのを待つ――というのも一つの手段として考えた。しかし、その方法はもとから無理なのだ。
化け物は私の個性の器。それが持ち主、私のもとに帰ってくれば、もう外に出る理由はない。ただ自分が嫌な性格になったからというだけで、器自体を放棄する理由にはならない。
自分が嫌だと思うのは、どんな個性がいいか、理想を持っているからだ。器を手放すには、その理想がなくなっている必要がある。なりたいものがない。そんな状態でないと、化け物は生まれない。
そう。あのときの私のように。
……それに、そもそも個性は考え方とも言い換えることができる。犯罪的なことを許容する個性を手に入れてしまったら、それを手放そうという考え方そのものが生まれてこない。もちろん、もともとの持ち主がその個性を手放した理由はあるのだろう。それは例えば、周りから言われたからとか、環境が変わったからとか……だから、紗那やみんながいる限り、私の個性はいくらでも直しようがある。
けれど、そんなことまで頼みたくなかった。
もともと、化け物を生み出したのが私の責任なのだから……私の手ですべてをしょりしなければならない。少なくとも、私はそう思っている。いずれ、私の目の前に立ちはだかるものであったのだ――それが、遅かったというだけ。
遅かったから、みんなを巻き込んでしまった。
化け物に巻き込まれたんじゃない。
私と化け物の関係に、みんなを巻き込んだんだ。
だから――私一人で決着をつけたい。
そう思いながら、事務所の階段を下りていた。紗那もルートさんも前にいる。夜も更けてきたので、ひとまず解散ということになったのだ。
……何も決まっていない。
主に、私がどうするのか。
「ねぇ……リリお姉ちゃん」
上の階から、カノンちゃんの声が聞こえた――さっきまで眠っていたはずだ。みんな出て行ったから目を覚ましたのか。コンクリートの階段の踊り場に、カノンちゃんの小さな影が伸びる。
「ん。ああ、起きてたんだ」
「うん……あのね、お姉ちゃん……」
「どうしたの?」
何か言っておきたいことがあるのか。カノンちゃんが呼びとめるくらいなのだから、何かあるのだろう。
「……化け物、殺せそう?」
カノンちゃんが、少しカノンちゃんらしくない言葉を発した――気がした。いや、これがもともとのカノンちゃんなのか。自ら化け物を殺すために志願した――その心のうちに、どれだけ熱いものが詰まっているか、わからない。
「……どうだろ」
私はそんなカノンちゃんに、何の虚飾も加えないで素直な気持ちを伝えた。
「殺すこと自体は、できるんだと思う。でも……殺したあとが、いろいろありそうなんだよね」
この間まで、ジャックやルートのことがネックになっていたが……翻って、私のほうに問題があることが分かった。化け物を殺して、私はどうなってしまうのか……自分自身の問題でありながら、私自身認知していなかったとは、何とも皮肉な話だ。
「……でも、いつまでも考えててちゃ……だめだよね」
「……うん。分かってるよ、カノンちゃん」
カノンちゃんの言うとおりだ。私の問題だ。私の覚悟次第で、どうにでもなる。私の個性がどうなってもいいと言うのなら、それだけで問題は解決する。
だから、こうして考えているのは――下手の考え、休むに似たりというものだ。ただ時間を引き延ばしているに過ぎない。その間に誰かが襲われ、ともすれば命を奪われかねないというのに。
「……私が決断すれば、簡単に物事は解決する……実際、そのほうがいいかもしれないけどね」
「…………」
「私が生み出した問題だもん。私自身が解決しないと……ほかの人を、巻き込むわけにはいかないからね。私が化け物に特攻して、そして殺されれば……化け物は死ぬ」
その場合、私も死ぬ。
もちろん私は死にたくないし、みんなも、私を死なせようとは考えていない。でも考えているはずだ。私が死ねば、すべて終わるということを。化け物と相打ちにすれば、終わるということを。
「……リリ、お姉ちゃん」
「ん?」
カノンちゃんが、らしくもなく深刻な表情をする。
「お姉ちゃんは……自分に、個性が……ないんだって、思ってるの?」
カノンちゃんの瞳の奥に、何かが見えた気がした。
「……それ、どういうこと?」
室内だというのに、風が吹く。カノンちゃんの髪がなびかれる。踊り場の窓が開いているようだ。
「お姉ちゃん。お姉ちゃんが、勝手に思っていること……ある意味、独りよがりだよ。誰も……そんなふうには、思っていない……よ」
「…………」
今度は、私が沈黙する番だった。
「お姉ちゃんは、責任感がある。……簡単に他人に投げ出したり……しない。お姉ちゃんは、冷静な判断力がある。一時の感情を……爆発させることも、ない」
「……別に、そんなことはないよ。家出した時は、実際そういう気持ちだったし、あくまでも、消極的なモチベーションで動いてるだけだよ」
「……お姉ちゃんは、謙虚、だよ。自分のことを……こうだって決めつけない……いや、決めるのを……たぶん、怖がっている」
「…………」
まさか、カノンちゃんがここまで鋭い言葉を言うとは思わなかった。普段とのギャップに、驚きを隠すことができない。
「誤解しないで、リリお姉ちゃん。ただ、お姉ちゃんなら分かると思って言ってるの。化け物の殺し方」
化け物の殺し方。
そうだというのなら――つまり。この方法を使えば、化け物を殺すことができる。
「……もし、それが本当だとしたら……確かに、この方法なら、誰にも被害を出さずに終わらせることができる……でも、それって」
「自信を持って。リリお姉ちゃん」
カノンちゃんが、微笑みを見せる。
「お姉ちゃんがこれまで積み上げてきたものは、全部無駄じゃないんだよ。ぜんぶ、リリお姉ちゃんのもの。お姉ちゃんの個性に、全部入ってる」
「……何か、成し遂げたことなんてないけどね」
「結果がすべてじゃないよ。すべてが結果だよ。リリお姉ちゃんがこれまで頑張ってきたこと。いろんな努力。ぜんぶ大切なもの。だから……もっと、自信を持って」
「……そうだね」
カノンちゃんの言葉の真意は、分かった。そうだ……そうなのだ。私が決断するかどうかではなかった。私が自信を持てば……自信すれば持てば。すべての問題は解決する。
化け物に傷をつけられるかもしれない……ということは、あまり重要ではない。むしろ、一度くらい傷ついていないと――被害者の人たちに、申し訳が立たない。
私がどんな個性になるのか――それについては、完全に解決した。
「ありがとう、カノンちゃん」
お礼を言う。いつもぼうっとしているような子だけれど……芯がここまで強いとは。
むしろ私のほうが恥ずかしく思ってしまう。
「頼みます……お願いします。リリお姉ちゃん」
ぺこり、と頭を下げられた。
……カノンちゃんの背負うもの。
レンドくんのこともそうだし、その前に能力を――触れた瞬間に相手の心が読めること――手に入れたこともそうだ。どれほどつらいことがあったのか。
大きすぎて私には分からない。
けれど。
覚悟と、自信は、私にも持てる。
私だって、人生、背負ってるんだ。




