Ⅰ
……昨日の化け物は、紗那とルートのコンビネーション技で倒し切ることができた。あのときの最強クラスの化け物でなくて、良かったのが一安心。
しかし、一安心ではないことがあった。
ジャックが――化け物に、やられた。
どの程度深い傷だったのかは分からない。
翌日。私たちはジャックのお見舞いに行くことになった。
……紗那の場合は背中だった。背中の、できるだけ浅いところ。でも、ジャックは――腹を。脇腹を。えぐるように切り裂かれたのを、私は間近で見た。
だから――病院にくるまで、下手をすれば、下手をすればと思っていたけれど――
「ちっ、情けねえぜ」
と、元気そうにしていたので、私は安心した。
「んだよ、その顔。死んだ人に会いに来た、ってかぁ?」
「安心してるんだよ。あー……具合はどうなの?」
「へっ、ちょっと入院が必要なくらい、どうってことはねえ」
紗那の軽口にも乗っかって、いつもの元気なジャックで変わりはしなかった。でも、その姿は、あまりにも――見ていて痛々しかった。
病院服だから? えぐられたであろうところに、大きなあて物がしてあるから? ……その姿が、あまりにも元気なジャックと不釣り合いで。
悲惨――だった。
「だが……これからどうするかだな」
ルートさんが話を化け物に切り替えた。ジャックの無事が確認できた。次は次で、考えなきゃいけないことがある。理路整然としている。
「どうする。ジャックが抜けたら、戦力が大幅に落ちる……なんとかなったが、紗那とのコンビネーションでは、限界がある」
「そうだね……大きさは無制限ってわけじゃないから。あんまり大きなのは作れないし……重いのも無理。ルートさんも、見えない物体で攻撃するのは……なかなか難しいって」
紗那の幻像創造でできた物体を、ルートさんの生命拡張で動かす。このコンビネーションにより、見えない金属の生き物を生み出すことができる。生き物だから、当然、殴ることや蹴ることができる。
「ちっ……このギブズくらい、なくても余裕なんだけどな」
「……そうなの?」
「駄目だ。安静にしてろ……あの傷で何が余裕だ。下手すれば死んでいたレベルだぞ」
「傷はふさがってんだろ? だったら大丈夫だ。痛いのくらい、どうにでもなる」
「病人はおとなしくしてろ。下手に動いて傷口が開いたらどうする……元も子もない」
「……この状況で、さすがに俺も呑気に考えているわけにはいかねえよ。リリが化け物に近づいて。触れて。そして化け物が消えて、ハッピーエンド……そうはならねえんだよ」
だから言ったろ、とジャックは私を見る。子供を見るように。まさかジャックからこんな視線を浴びせられるとは思っていなかった。
「化け物は近づいてくるものを襲う習性……ってのがあるんじゃねえかって思う。だから、近くになればなるほど、化け物との激しさは激しさを増す――簡単に近づけやしねえってことだ」
「そうか……」
ルートさんが唸る。私たちも納得した。……多分、ジャックしか知らなかったことだ。中距離以上の能力である生命拡張には分からなかった感覚。化け物を間近で見てきた人間じゃないと、分からない習性。
そこでジャックは、ルートさんに対して優位性を示そうとしたのか――いや、それでも、だ。この程度でルートさんがジャックの見方を変えるとも思えない……だから、言わなかった。
そして、知っていたから――私を執拗にも、化け物に近づけさせたがらなかった。執拗というほどではないが……私が提案した、はじめのころは。
「……ごめんなさい」
私はジャックに、頭を下げる。
「あ? なんでリリが謝ってんだ?」
「だって、私が言いだしたことじゃん。私が言いだして、それでジャックが傷ついたんでしょ? ……謝っても、謝り切れないよ」
「はあ? んなもん、あの展望台で全部清算したろ」
「……え?」
「衝撃だったぜ。……まさか、化け物を殺してくださいとは言われても、殺させてくださいなんて聞いたことがなかったからな」
「…………」
あの展望台での話か。
「約束は、ちゃんと守れよ。俺はお前に、化け物を殺させてやりたいと、思えるようになった」
「……ジャック」
そんな安らかな顔をするなんて。
これは責任重大だ――そう思ってしまう。
「……分かった。ちゃんと、倒し切る。いや――殺し切る」
「だがリリ。どうするんだ? これから」
「……どうするもこうするも、今ある戦力でなんとかするしかないですよ。ジャックは、申し訳ないけれどもう手札として使えません……」
「おおー。手札って言い方かっこいい」
紗那が冷やかす。今はそういうときじゃない……空気を読んでくれ。
いや、空気を読んだ上にやっているのか? なら、ありがたいな。
「このままで行きましょう。化け物との戦いは、接近するほど危険です――臨機応変に、やっていきましょう」
「リーダーだね! さっすが!」
「……そうだね」
やってることは完全にリーダーか……こういう風にチームを仕切り、今後の方針を立てるのは。
「はい! リーダーに質問!」
「……何、紗那」
「作戦とか、立てられないのかな。私の幻像創造とルートの拡張生命で、檻みたいなのを作れるんじゃないかって思ったの。これで、化け物をなんとか足止め、できないかな?」
「なるほど……」
しかし、その程度で大丈夫か、との疑念もある。化け物に強度はさまざま。弱い時の化け物だったらいいけれど――化け物はこちらから選べない。
「ちょっとよく、考えてみる」
カノンちゃんは、相変わらずぶるぶる、びくびくと震えて、私たちとジャックを交互に見つめていた。
「……大丈夫? カノンちゃん」
幼い子に、立て続けの恐怖――耐えられるものじゃないだろう。兄が殺され、そして最大戦力がこうして負傷した。……勝ち目なんてほぼないように思える。
理性的じゃなくても、感情的にもそう思う。だから、カノンちゃんはそれをひしひしと感じているのだろう。
感情を、共有する能力などなくとも。
「こ……怖く、ない、の……?」
……怖いよ。そりゃ。
でも、怖いだけで前に進まなかったら、そっちのほうが怖い――
私はカノンちゃんを、抱きしめる。
「大丈夫。なんとかしてみせる。説得力なんてないのは分かってるけど……それでも、やってみせるよ。化け物を、殺してみせる」
カノンちゃんのぬくもりを腕に抱く。やわらかい肌のすぐ近くで、命の温かさを、感じる。
「だから、任せて」
自分に言い聞かせるように、静かに言う。
どうすればいいのか? 具体的な策は何もない……どう、しなければいけないだろうか。カノンちゃんを守るためにも、この子に、これ以上つらい思いをさせないようにも――どう、しなければいけないだろうか。
それは私の仕事だ。
「……たたかう」
「……え?」
カノンちゃんが、囁くほどの小さな声で言った。
「わたしも……戦う。ジャックおにいちゃんの代わりに……戦う」
涙ぐみながら、私の腕を強く握る。体温よりも熱をもって、カノンちゃんは言う。
「それは……」
「戦う!」
カノンちゃんは、らしくもなく叫ぶ――いや、これが、カノンちゃんの本質なのか。心の奥底で、熱い思いを持っている――そういえば、ルートさんが児童養護施設を訪れたとき、カノンちゃんは自ら戦うと志願したのだったか。
ただの臆病な子供じゃない。怖いは怖い――でも、立ち向かおうとしている。
……私には、こんなことができただろうか。カノンちゃんの年齢の時に――小学生の時に、恐怖に立ち向かうことができただろうか。あのとき、恐怖と言うべき恐怖は確かになかったかもしれない。しかし、怖いことを承知で立ち向かうなんて――なかった。
どうして――この子は、こんなに強いんだろう。
そして、この子を、それでも戦わせるべきではないと思っている私は、どうすればいいのだろう。
カノンちゃんの言葉を、真っ向から否定することは、私はできなかった。
「……命を、そう簡単に投げ捨てちゃいけないよ、カノンちゃん」
紗那はしゃがみ込み、私たちと目線の高さを合わせる。
「ジャックの代わりなら、私が務める。だから――カノンちゃんには、カノンちゃんにしかできないことをやって」
「でも、それじゃあ……お兄ちゃんは……!」
レンドくんは。
カノンちゃんと、私の命を救うために、命をなげうった。
「レンドくんのためにも、だよ。レンドくんも、カノンちゃんに生きてほしいと、思っているはずだよ」
「お兄ちゃん、が……?」
焼肉屋で、レンドくんは言っていた。プレイヤーズに加入したのは、妹を守るためだって。
そしてその思いは、果たされた。自らの身を犠牲にして、その志を貫いた。
「カノンちゃんの命は、カノンちゃん一人のものじゃない……私たちみんな、カノンちゃんの命が大事なんだよ」
「……でも、生きてても……生きてたって、だって……」
「そんなこと言わない!」
私は、語気を強める。
「もう誰も殺させない。もう誰も傷つけさせない! みんな守る。みんな助ける! 化け物を殺して、ハッピーエンドを迎える!」
カノンちゃんに言い、私にも言い聞かせる。
バッドエンドでもなく、なあなあで終わらせるのでもなく。
ハッピーエンドをつかむ。
つかみとってやる。
どんなに絶望的でも、諦めてやるものか。化け物。




