Ⅲ
翌日。独りぼっちの学校生活が、紗那によって活気づけられた、そんな昼休みのこと。
ルートさんから連絡があった。近くの中学校のグラウンドに出てきたそうだ。
「畦波って……すぐそこじゃん!」
私立だったと思う。私立畦波中学校。そのグラウンドとは……どんな個性が解放されたのか。とにかく、走らないと。舗装タイルの上を私と紗那の二人で走る。
「行ったことある?」
「いや、ない」
「場所は分かる?」
「さっき覚えた」
「ひゅう、さっすが」
私を褒めてるのか馬鹿にしてるのか。とにかくそんな紗那には構わずに、私は走る。
その横を、救急車が通る。私たちを見向きもしないで追い抜いていく。
「あ、さとり! あれだよ! 多分!」
紗那が指さす方向を見る。あれか。ちょうどグラウンドを囲むフェンスが道から見える。どこから登ればいいのか……
「入口どっちかな?」
「右でも左でもなく、上っ!」
紗那は私の手を強引に引いて、その場でジャンプした――そして、上に登っていく。ホップ、ステップ、ジャンプ――そうして、フェンスを飛び越えた。
「さすが、幻像創造」
「このくらいやらないと、ねっ!」
混乱している中学生の面々が見える。私たちの姿に気づいたのは、まず体操服姿の中学生の皆さん、次に教員のみなさん。そして次に見つけたのは警察の皆さん。こんなに大勢の人間に見られているとは、緊張せざるを得ない。いや、緊張する必要まったくないんだけど。
「さとり、回り込むよ!」
「うん!」
グラウンドの中心付近に、その化け物はいるようだ。ここからでは人が壁になっていて見えない……どうやら、ちょうど人がいるところに出てしまったらしい。ここじゃ逃げにくいだろうに……なんて、私は冷静すぎか?
「お前たち! どこから――」
やばい。化け物を倒すプレイヤーズといえど、私には大人を打ち負かすだけの力量があるわけじゃない。技術も能力もない。
だから、できることは――
「邪魔です! できる限り離れて! 生徒たちをもっと安全な場所に避難させてください!」
こうやって、口で相手を圧倒すること。この人は体育教師のようだ。熱血か、もしくは適当か――この場合熱血と考えたほうがいいだろう。そんな人には、より大きな声で訴えて、議論をほかの方向へもっていけば良い。
そうすれば、ひるむ。その隙に、私はその人の背後へ駆ける。とにかく、今は化け物を倒すことに加入しないと。
生徒たちは化け物に対して十メートルほどの円がそこにあるかの如く並んでいた。中にはへたり込んでいる生徒、何をすればいいのかわからない生徒、飛び出したいけれど、飛び出して何になると思い、ためらっている生徒。そして、目の前で起こっている戦闘に、非現実ながら感動を覚えている生徒。
化け物と戦っているのは、ジャックとルートの二人のようだ。正門……というか、グラウンドから裏の道に繋がっているようだ。そこに黒塗りの車が停めてある。そこから、この学校に入ってきたのだろう。
ジャックが日本刀で間合いをはかりつつ攻撃と防御。ルートさんが裏からちくちくと攻撃している。二人の戦い方がよくわかる……ではなく。この雰囲気は近づき難い。
「行くよ、さとり!」
「うん! 分かってるって!」
えっ、行くの、この状況で。声と頭の中が一致しない。とりあえず返事はしたけど。みんな見てる状態で。私たち制服だよ? ……なんて疑問はほんの些細なことか。まずはこの状況を何とかしないといけない。ええい、ままよ!
そんなわけで、中学生たちの奇異の視線を向けられながら、化け物に近づく。そのとき――化け物が、こちらを向いた。
これは、まずい――直感的にそう思う。足を止める。
化け物はジャックとルートを振り払い、私に向かって、走り出した。
化け物がこちらに向かって、駆けてくる。この個体は――いつもよりも、動きが速い!
踵を返し、人のいないほうに逃げる。私を追ってきてくれるのなら、これで中学生たちの安全も確保できるはずだ。
「ちょ……なるほど!」
紗那が私の行動に驚いたようだが、すぐにその意図を解してくれた。視界の端で、紗那が方向転換をするのが見える。
比較的に速いというだけで、さすがに超高速で動いてくることはないだろう。グラウンドの端にきたところで、再度化け物に向き合う。
来い。化け物。
私に能力がなくても、身体技能がなくても、それでも――一回でも手を触れることができたらいいんだ。一回でも。一回だけでも――
「だあっ!」
化け物に突っ込む。突っ込んでいけば、人間であればそのまま拳を叩き込んでくるのが定石じゃないか? もちろん、例外は大量にあって、思考を挟むならば無限の可能性があるけれど――化け物は、そこまで考え着かない。はず!
だから、化け物が爪をこちらに向けてきたのは想定内だった。そう、あとは、こちらが、化け物を回り込むように走れば――化け物の攻撃は当たらず、私は化け物の側面に手を触れることができる!
イメージはついた! あとは実行するだけだ――
化け物が迫る。距離は。速さは。計算よりも直感で! さあ、来い、化け物。
爪が、私目がけて振り下ろされる。その瞬間に、私は横に移動する。斜め右前に。化け物の攻撃は――当たらなかった。
よし。
これで、行ける――今度は、左に重心を移動させる。倒れこむようにして、化け物に――
その瞬間、重心が、下に移動した。強く。いや、強くでもなんでもない、ただの重力に従って。足が、ローファが――滑った。
しまった――と後悔したところで今更遅い。ここに来る時点で、持っている履物はローファだ。一般的な革靴だ。グラウンドで吐くようなものではない。グリップ性能は、グラウンド上では無いに等しい――
「わっ、だっ!」
つまるところ、私は転んだ。
まずい、まずい――顔を上げる。転んでいる場合じゃない。早く立ち上がって、すぐに、化け物に触れて――
化け物が、こっちを向く。
目が合う。
ひっ――と、声に出したのかすら分からない悲鳴。
そこで、私の思考はストップしてしまった。
――恐怖で。
一瞬、何も考えられなくなってしまった。
透明か不透明か分からない、形だけははっきりした、紫色の化け物。奇しくも――レンドくんを殺した化け物と、同じ色。
その色に、恐怖した。
紫色。
青あざの色。
私自身よく見慣れた、残虐性の象徴――
「リリーッ!!」
ざん、という音と、どん、という音と誰かの影で、私ははっと正気に戻った。
「あぶねえぞ! もちっと周りをよく見ろアホ! 力がねえのに突っ込むんじゃねえ!」
「ご、ごめんジャック」
「何のためにてめえの案に乗ったと思ってるんだ――お前が死んじゃあ、意味ねえじゃねえか!」
怒っている口調で、心配してくれるジャック。私はジャックの影で、立ち上がる。化け物は――何かに、押しつぶされているようだ。紗那か――幻像創造。よくやってくれた。
だが、その重量も、化け物の力が勝った。化け物は重荷を振りほどき、立ち上がる。今回も、紫色の化け物は――強い。
「俺が注意を引き付ける! その間に、やれ!」
ジャックはこちらを見ないで話す。頼もしい声だ。
「分かった! 無理しないで!」
ジャックは正面から突入し、私は後ろのほうに回り込む。目指すのは、あの硬直状態。その状態で、背後からなら――安全に、倒すことはできる。シルエットが同じならば、安全なはずだ。
「おおおらぁぁぁ! 化け物、こっちだあああ!」
ジャックが刃を振るい、化け物の顔を切り裂かんとする。化け物の背後ががら空きになる。一人では無理だったけど、今度こそ――
そのとき、化け物の体が、こちら側に揺れた。
こちら側に――爪を、突き立てるように。向きを変えた。ジャックとの剣戟はどうした? そんなことは考えている暇はない。とにかく、向かってくる爪に、どう対処すれば――
「危ねえッ!」
どん、と激しい衝撃が私の横っ腹に当たった。その重さ、いや、それ以上の重さを感じながら、ジャックが体当たりをしてきたのだということを理解した。
そして――
ジャックは、腹のあたりを、切り裂かれることとなった。鉄の香り。肉が引き裂ける音。スローモーションで流れる視界。
血が、また、飛び散った。
紫の背景は、あの時と全く同じだった。
――結局、なのか?
結局――化け物は。
倒せないんじゃないか?
そう思わせてくれた。




