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吉光里利の化け物殺し 第三話  作者: 由条仁史
第1章 見えなかったもの
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 お母さんは、もうすでに亡くなっていた。


 そのことを教えてくれたのは、私のおじいちゃんだった。

 父方の、おじいちゃん。


 ……会って、話をしようと思ったのに。これじゃあ興ざめだ。どこかの病院で療養している姿を想像していたのだが……これは。どうしたものか。

 お母さんが埋まっているという霊園に着き、その墓の前にたどり着いた時も、私は呆然としていた。

 私は、両親を失っていたのか――


「…………」


 作業のように、花を束ね、挿す。バケツの水を柄杓ですくって、花立てに入れる。

 極めて、心の中は落ち着いていた。

 ……波が立たない、凪だった。


「……お母さん」


 いるはずもない人を呼ぶ。

 この墓に、骨壺があるのだろう。そう思うと、案外近いものだなと思う。


 ……お母さんの死因は、自殺。

 私と別居を始めて、そう長く間を空けずに。だそうだ。


「……本当、何をやっているんだか」


 何をしているのだろう。せっかく実の娘が会いに来てやったっていうのに、姿も見せない声も聞かせないだなんて、どんな母親だ。

 会いたくもないけれど。


 ……そう、か。むしろ拒絶しているのは私なのかもしれない。私は――お母さんに会えなくて、ほっとしているのか。

 見れば、きっとあの時のことが、フラッシュバックしてしまうから。きっと、立てなくなってしまいそうだから。

 だから、紗那も連れてきたんだけど。


 その必要も、なかったのかもしれない。


「ねえ……実際のところ、どうだったの?」


 誰もいない、いるはずもない墓石の前で、私は対話をするように独り言をつぶやく。誰も聞いている人はいない。誰も答えない、一方的な対話。

 現世にいる私の声を、反論できずに聞きやがれ。


「実際のところ……私をいじめて、何か変わった……? あれだけ殴って、蹴って……わめき散らして。何か変わった? どうか、感じたの?」


 墓石は何も応えない。

 そもそも、反応なんて期待していないけど。

 ……応えろよ、と思ってしまうのは理不尽というものか。


「幸せに、なった?」


 天国で。

 いや、あいつは地獄にしか行けるものか。もし天国に行ったのなら、私は天の神様を恨んでやる。いや、恨むという強い感情すら向けたくない。ただ、馬鹿な神だと蔑むだけか。

 ……そもそも、神様なんて信じちゃいなかったけれど。


 どちらにせよ、お母さんは幸せに、なれたのだろうか。天国か、地獄で。

 死後の世界とやらで。


「……なれるわけ、ないよね」


 嘲笑的に、呟く。細めにしていた目を数瞬瞑り、もう一度目を開ける。


「あんたみたいな人間が幸せになったんじゃあ、世も末になっちゃう……幸せの源泉をほかに求めて、不幸の原因を他人に押し付けて……そんなんじゃ、死後の世界でも幸せになれない」


 現実世界と、同じ目に遭うだけだ。

 この人は……考え方の根本から、幸せにはなれない人なんだ。


 自分を、持っていなかったのだ。自分の信じられる何かがなくて、誰かしか、何かしか信用できなくて。自己評価が、とても低くて、でもプライドだけは高くて。評価されない原因が自分にあるのも気付かずに。もしくは気付いて。それでも私をいじめるだけいじめ抜いた――最低の母親。

 私の知る中で、最低の人間。


「ざまあみろ……」


 その言葉は自然に口から出ていた。

 ……でも、その言葉は自分にも返ってきた。


 自分の信じられるものを持っているか。それは他人に依存していないか。

 自己評価とプライドのバランスは保てているのか。

 自分が評価されていない原因は自分にあるのがちゃんと理解できているか。


「…………」


 最後は、ちゃんとできていると思う。

 でも、それ以外は……私にちょうど当てはまることだった。


 ……紗那。

 星宮、紗那。

 傷心状態の私に、愛してくれる人の存在を教えてくれた人。

 でも……それに依存しては話にならない。

 紗那にべったりと張り付いているのでは、私は私じゃない。


 ……お母さんは、何に依存していたのだろう。自己の精神の寄る辺を、どこに求めていたのだろう。


「お父さん、かなぁ……」


 結婚相手、夫であるお父さんだろう。そのくらいしか考えつかない。なるほど、そう考えればいろいろなことがしっくりくるような気がする。お母さんはお父さんにべったりと、その精神を依存していたのだ。精神のよりどころ、気持ちの――よりどころ。

 私に嫉妬していたのか、という考えも、これで少しは補強されるかもしれない……別に、積極的に考えていたわけではないのだけれど。

 少々、考えざるを得ない状態で、ここまで来たのだから。


「……ざけんなって」


 自己評価は低い。そのことは自覚している。では、プライドは? ……そんなの、どうやって知ればいいんだよ。多分……高いんだろうけれど。

 周囲に対する壁が高いように。

 ……そういうことなのかもしれない。


「ちっ……」


 お母さんの、二の舞じゃないか。

 あんな、クズなお母さんと? 頭のおかしい、どうしようもなく狂った人間と、私が同じ?


 吐き気がする。

 殺意が湧く。何に? 知らない。自分にだろう、多分。


 絶対に、あんな人になるものか。

 そう思っていたのに。


 だから、誰ともかかわらないようにしていたのに。それは無駄だったということか? ただ、お母さんと同じ土俵に立つ、前段階に過ぎなかったということか?


 私も、誰かに暴力をふるってしまうのか――


「……っ!」


 目をぎゅっと瞑る。頭が痛い。殴られる私、殴っている私――違う、違う!


 フラッシュバック……嫌だなあ、こういうの。突発的に現れるし、ふとした瞬間に考えてしまうのがよくない。

 でも、想像してしまった。私が、私の子供を殴っているシーンが。見えてしまった。お母さんのような、ヒステリックな叫び声をあげて。


「違う、違う、違う。違う……」


 言い聞かせる。そうだ。まだ未来のことだ、何も決まっていないじゃないか。まだ、何も決まっていない。私に子供ができる気はしないし、仮にできたとして、絶対に同じようには育ててたまるか――


 ――カエルの子は、所詮カエル。


「違う!」


 うるさい私の頭の中! とっとと消え失せろ!

 ざわ、ざわ、ざわ。頭の中の騒音がどんどん大きくなっていく。自分の足元がぐにゃりと歪んでしまうような錯覚にとらわれる。そう、錯覚だ。現実的にそんなことはありえない。でも精神的には? 精神の足元がぐらついて――だから、そういうことはもう考えないでって言ってるじゃん!


「……とり、さとり!」


 紗那の声だ。はっと目を開ける。私の肩に手を置き、こちらを心配するまなざしを向けていた。


「……大丈夫?」


「……待ってて、って。言ったじゃん」


 思考と一緒に、呼吸も乱れていることに気付いた。落ち着け……落ち着け。


「叫んでる声が聞こえたから……心配になって」


 諭すような口調で言う。やっぱり紗那は優しい。その優しさに、依存してしまいたくなるくらいに。

 ――ここで、紗那に頼りっぱなしでいいのか? そんな声が頭の中から響いてくる。立ち上がろうと足に力を入れたが、入りきらずによろめいてまたしゃがんでしまう。


「……大丈夫。大丈夫だから」


「全然、大丈夫そうに見えないんだけど……ほら、立てる?」


「うん、だから大丈夫だって……」


 立ち上がる。


「……ねえ、紗那」


「うん?」


「……ちょっと、真面目な話するね」


「私はいつだって真面目ムードだよ。なんでもきませい」


「あはは……。えっと、さ」


 空を見上げる。晴れてはいるけれど、なんだか単調な青だった。


「私が、お母さんから暴力を受けていたって話は、したよね」


「……。うん。聞いた」


「それで……。……」


 どう、言おう。

 言葉に詰まる。

 ……数秒の沈黙が場を凍らせる。


「……さとり。言いたくないなら、無理して言う必要はないよ」


「……っ」


 紗那は何も聞かずに、ただ微笑むような顔を私に向けた。


「気にならないかと言えば嘘にはなるけど……でも、さとりがそんな険しい顔をしているほうが、もっと嫌かな。早く立ち直って……笑顔が見たい」


「……笑顔?」


 見せてたっけ。

 紗那には……というか、私が笑ったことなんて、そうそうない気はするけれど。


「うん。笑顔。かわいい笑顔」


「……えー」


 自己評価が低い原因。私の容姿。


「かわいくはないよ」


「うーん。いや、そうじゃないと思うんだよね」


「ん?」


 紗那は私の顔をまじまじと見る。


「さとりってさ、女の子女の子しているかわいさじゃないんだよね」


「うん、かわいくないもん」


「違う違う。なんだろう……そう、そう! 男の子らしいんだ!」


「……はぁ?」


 何を言ってるんだこいつは。


「ボーイッシュなんだよ! そうだね……なるほど、髪が長かったからなんか違和感あったんだ……」


 違和感って。聞き逃さなかったぞ。突っ込まないけど。


「短髪、似合うね。そっちが断然いいよ」


「……はぁ、ありがと」


 とりあえずお礼を言っておいた。自分がかわいいかは置いておいて……むしろかっこいい系? いやいや、それこそ……。


「…………」


 ただの、自虐に過ぎないのか。自分には見えていない自分……ジョハリの窓。もしかすると、紗那の前で、何回も笑っているのかもしれない。自分にそんな記憶はないが……。


「どう?」


「うん?」


「……落ち着いた?」


「……うん。ありがとう、紗那」


 少しは、だけど。


 ……まだ、私は信じられる自分というものを持っていない。自分がどんな存在なのか、まだはっきりとわかっていない。紗那と、これからどんな関係を築いていくのかも分からない。

 でも、私は信じよう。お母さんの二の舞には、絶対になるものかと。


 墓をにらみつける。

 そして目を数秒、瞑る。

 …………。


 目を開けて、深く呼吸をする。


「……じゃあ、行こうか」


「もういいの?」


「うん。十分」


「分かった。……私も、手を合わせていい?」


「……。いいよ」


「ありがと」


 紗那と場所を変わるように移動する。紗那は黙祷するように、手を合わせる。

 ……きれいな空だ。まったくもって。

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