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吉光里利の化け物殺し 第三話  作者: 由条仁史
第6章 理解してる。そのつもりだよ
18/30

 場所は、あの展望台だった。ジャックはガラス越しに町の様子を眺めていた。どう映っているのか、何が見えているのか。何を見ているのか。何か、どこか悲しそうな様子。


 ……というよりも、頭に包帯を巻き、頬に絆創膏をしている様子が、見ていて痛々しかった。長袖を着ているものの、パーカーは傷だらけだった。服なんだから替えればいいと思ってしまうが、どんな意地だろうか。替えたくないのだろうか。


「……ジャック」


 私の言葉に、ジャックは何の警戒もなく振り向いた。私だとわかった瞬間に、なんとなく残念そうな顔をした。目を合わせてくれない、というか。


「なんだ……リリか」


 そう言って、ジャックは私に背を向け、ガラスの向こう側を再度覗いた。


「何してるの? こんなところで」


「別に……何もしてねえよ。ただぼうっとしてただけだ」


 ぶっきらぼうに答えるジャック。


「……それにしては、なんか悲しそうな顔してたけど?」


「…………」


 悲しそうな顔と言ってみたけれど、それはただの私の印象だ。適当なことを言っているのと何も変わらない。こういう使い方でよかったのだろうか、と言っている私本人が一番びくびくしている。

 幸いにも、ジャックは何の反応もしなかったけれど。


 ……って、そこじゃない。やるべきことは、この先にある。適当な言動について後悔をしている場合じゃない。


「ジャックってさ……私のために怒ってくれてたんだよね?」


「……まあな」


 案外素直に答えるジャック。


「私が前線に出て、死ぬことを恐れてる……そうだよね?」


「……死ぬっつーか、怪我してるとこを見るのも嫌だけどな」


「あはは。こんなに怪我してる人が、いまさら何言ってるのか。……確か

に、怪我をするのは怖いよ。死ぬのはもっと――怖い」


「だろ。だから……止めたんだ」


 でもそれじゃあ、化け物は殺せない。どう……思っているのだろうか。

 私の命と、化け物の存在。

 その天秤は、どう釣り合うのか。または、どう傾くのか。


「……ルートさんのことは、聞いたよ。部下の人に」


「はん。ルートがいかに虚勢を張ってるかってのが、分かっただろ? あいつのせいで下の連中は迷惑してる。でも、一向に化け物を殺すことができてねえ……間を取り持つことがあいつの役目で、化け物の殺し方を考えるのもあいつの役目だ。それが、あいつの責任だろ」


 なのに――と、ジャックは拳を固めて、言った。


「お前が言った言葉で、あいつのやってきたことが、すべて否定されちまったんだ。あいつの責任が、すべて、消え去ってしまった」


「…………」


「化け物に対する責任、下の連中に対する責任。すべてがなくなった。本来あいつがたどり着くべきだった場所に、お前が早くたどり着いた」


 化け物に出会ったのは、私よりもルートさんのほうが早い。長い間。化け物と付き合ってきた。時系列的には、私のほうが早く会っているものの――私は、それを忘れていた。

 化け物の倒し方。殺し方。ルートさんはそのことを、ずっと。ずっと考えてきたのだ。私とは、比べ物にならない時間。


「なんつーか……むかつくんだよ。ルートが」


「ルートさんがむかつく? ……私じゃなくて?」


「ああ。お前が言ってることは、まあ、一つの殺し方なんだろうが……まだ、信用できるわけじゃねえ。だが、ルートはお前の言葉を、全面的に信用してんだ。いや……とりあえず信用してる、って立場か」


 ジャックは、私の言葉を信用していない。そりゃあそうだ。荒唐無稽で、突飛な話……化け物に理屈で挑むなんてことはできない。何を信用し、何を信用しないという線引きが必要だ。ジャックは、まだ私の言葉を信用に値しないという部分に置いている。


 ルートさんだって、私の言葉を、全面的に信用しているわけではないだろう。ジャックの言っていることに反するものの、あくまでも一つの説としてとらえている。

 信用しないと、動けない世界なのだから。


「あいつは、自分の説に自信が持てなくなったんだ。だから、リリの言葉を信用した」


「…………」


 自分に自信のない、とはそれだったか。部下からの信用が失われた、という意味かと思っていたが、なるほど……そう考えたほうがしっくりくるのか。


「俺は、それがむかつく。自分に自信がねえって、あの態度がむかつく。自信があるんならリリの言葉を信じるな。自信がねえならないとはっきり言え……どっちつかずの態度っつーのが、むかつくんだ」


「……ルートさんにもルートさんのプライドがある。そのプライドを守ってほしい……ってこと?」


「自分のプライドくらい、自分で守れ……他人に言われてへーこら従って……その態度が、俺は許せねえ。男っつーのは、そーゆーもんだろ」


 男のプライド。

 プライドを、守る。

 女の私には、分からない――なんてことでも、ない。


 今までの私は、家出する前の私は、プライドの塊のような人間だったから。一人を好んで、孤独を押し殺して、孤高を気取って……。プライドをまもりたいという気持ちは、よくわかる。だって、そのために私は家出をしたのだから。一人でいる、というプライド。それを守るために……。

 今思えば、下らないプライドだったと思う。


「……ジャックは、プライド持ってるんだね」


「ああ、持ってないと、ダメだろ。自分がどうしたいか。自分の中に一本、貫いたものがないと、人間としてダメだろ」


「…………」


 プライドがないと、優柔不断になる。自分の中に確固たる自己がなければ、自分として自立したものにならない。他人に依存していちゃいけない、の別の言い方か。


「でもさ、プライドが硬すぎたら、柔軟な発想はできないし……みんなと合わせないと、どうにもならないよ」


「はん。合わせる? んなの必要ねえ……俺は、そうやって生きてきた」


 ジャックは、一段と悲しそうな目をした。その様子に、私は少し、驚いた。

 ジャックがどんな人生を送ってきたのかは、私にはまったくわからない。けれど、まっとうな人生でなかったであろうことは想像できる。尖って、尖って。誰も同調しようとしなかった。化け物に出会って、化け物を殺すことに一生を費やすことに決めた。唯一意志が一致したのが、ルートさん。

 そのルートさんが、ジャックには優柔不断に見える。

 なるほど……むかつくのも分かる。


「……確かに、ジャックに私が、生き方について説くのは間違ってるのかもしれない。今までぼっちを気取って、家出して、紗那に慰められた私じゃあね……情けなさ過ぎて。ジャックみたいに強い人間じゃないし、私は私で、何か特別なものを持っているわけじゃない。たとえ、化け物がどうして生まれたかに迫っているとしても」


「……リリ?」


「ジャックには分からないかもしれないけどさ……私、プライドを捨てられて、良かったなって思ってる。いや……そもそも、私にはプライドなんてなかったんだと思う」


 あの時流した涙は、そういうことだ。

 プライドと呼べるような、たいそうな代物じゃなかった。プライドなんてものじゃなくて、ただの意地。ただのわがまま。だから簡単に破られてしまう。


「ねえ、ジャック……ジャックって、化け物を殺した後、どうするの?」


「あ? どうするって、そりゃあ……」


 ジャックはそこで、言葉を詰まらせた。


「……ごめんね、ジャック。でも、ジャックのルートさんに関する不信感は……いや、違うね。私に対する不信感は、そこにあると思う。ジャックは、化け物を殺した後に、何もすることがないんじゃないかって」


「……うっせえ、てめえ」


 ジャックは私のほうを睨みつける。でも、それ以上のことは言えない。私は顔を伏せた。自分は、なんてことを言っているんだろう。でも、言わないと進まない。これから先に、つながらない。


「ジャック。これは……私じゃどうしようもないんだよ。ジャックが決めないと。ジャックの未来は、ジャック自身が決めないと。私がどうこうできるものじゃない」


「…………」


 ジャックは現在、ルートさんに雇われている状態だ。化け物を殺すことについて、目的が一致しているから。でも、化け物がいなくなってしまえば、その目的が霧散してしまう。雇用関係もなくなってしまう可能性がある。


「ジャックも……プライドを捨てろなんて言わないけどさ。これからのことをもっと考えなきゃ」


「リリ……お前、俺に説教するために来たのか?」


「ん。私はただ、説得に来ただけだよ。どうすればジャックが私の説を受け入れてくれるか、考えて。まあ、説教臭くはなっちゃったけどさ。……私は、ジャックみたいに強くないもん。説教なんてできる立場じゃないよ。だから、お願いに来たんだよ」


 私は、ジャックに向き合う。一呼吸置く。そして、頭を――下げる。



「ジャック、どうか――私に、化け物を殺させてください」



 ジャックがどんな顔をしているのか、分からない。残念そうな顔をしているかもしれないし、驚いた顔をしているかもしれない。頭を下げている私には、床しか見えない。


 けれど、私にできるのはこのくらいだった。頭を下げて、頼み込む。ジャックが拒否するかもしれないけれど。そんなことを考えていたら、先に進まない。下手の考え休むに似たり。案ずるより産むが安し……まったく、よく言ったものだ。そのことが、昔の私には分かっていなかった。


 でも、今なら分かる。

 これが、人と関わるということなのだと。


「……リリ」


 ジャックはそう言って、私の頭に手を置いた。

 私は何事かと、顔を上げる。ぼろぼろで傷だらけの、複雑な表情を浮かべて、ジャックは。


「……ありがとな」


 そう言った。

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