Ⅰ
私は展望台に来ていた。この街にある、やけに高い塔。いつも登下校の時には目に入っていたけれど、ここに来るのは初めてだった。眼下に広がる景色。私の住んでいる町。私はもう神奈川の人間ではなく、この街の人間なんだなと、強く思う。
こうして俯瞰してみるのは初めてだった。
「……お前、リリか?」
後ろから声をかけられ、振り向く。ジャックが驚いたような目でこちらを見ていた。この間見たときと全く印象は変わっていなかった。ジャックからそんな顔で見られるのは初めてで、そして心外であった。自分も十分変なくせに……。まあ、無理もない。だってこんな格好しているんだもん。男のように髪を短くしているんだから。髪の長さで人間の印象って相当変わるものだから。
「そうだよ」
「いや……マジで……ぷくっ、やばいってそれ……くく」
「……なぜ笑う」
本当に心外だ。笑うことはないだろう。しかも大げさに笑ってくれるなら少しは良かったが、そんなに笑い声を押し殺すような笑い方をされるのは御免だ。バカにされているような感じがする。
「っくく……ま、似合ってんじゃねーの? そっちのほうが」
「……一応ありがとう。笑ったことはちゃんと覚えてるからね」
「だー。そりゃ、家出した奴が断髪して来たら、驚くさ」
「驚くのはいいけど、そこからどう笑いに転換するのかが分からないんだけど」
「いや、だって、おかしいだろ?」
「……はぁ」
ため息をつく。こんなんだったら断髪なんてしなけりゃよかった……する必要もなかったわけだし。そもそも何のために断髪したんだっけ? 家出少女は危険だから少年のように見せよう、とのことだった気がする。それのどう違うんだか。あの時の自分の判断が間違っていたとは思えないけど、こうしてジャックに笑われることを考えれば、後先考えない行動だったと思う。
「久しぶり、どうだったよ、はじめての家出は」
ジャックが私の隣に立つ。ガラスの向こう側に広がっている景色を見遣る。表情はなんか小ばかにしたようなにやけ笑い。
「……ま、過去の自分と決別してきた、って感じかな」
「自分探しってやつか? くだらねー」
そして笑われた。少し癪に障る。
「くだらねー。か……そうだね」
下らないものだったかもしれない。ジャックには何も関係しなくて、私にしか関係していないことだ。自分の都合だけで、物事を進めてしまった。紗那にも、神田さんにも。そしてプレイヤーズのみんなにも。
関係ないのに、巻き込まれてる。
理不尽、だったと思う。
「……ごめんね、ジャック」
「ああ? 何が」
「駅で、ジャックに暴言吐いたこと」
「ああ……へっ、うまいじゃねーか、あの暴言。今考えたら全然大したことねーのによ。あの時は見事にしてやられたもんな」
そう、あの暴言はまったく大したことはない。ただその場をやり過ごすためだけの言葉。相手の反論が通らない部分だけをなぞって言う。
……というか、自虐しか言ってないんだけどね。
「俺もさ、なんでリリが必要なのかって考えてみたんだよな」
「……プレイヤーズに、ってこと?」
「ああ、そーすると、本当に何も思い浮かばなくて。お前の言う通り、単なる成り行きでそうなったんだと思う。俺もルートも、何も考えずにお前を起用していた」
何も思い浮かばなかったって。それはそれで傷つくなぁ。まあ、私が行ったことではあるんだけどさ。
……プレイヤーズは実質、ジャックとルートの二人で十分回っているのだ。あの時のような強化された化け物が出てきたとき以外は、十分に対処できる。プレイヤーズは今のところ、強化された化け物の退治のためにあるようなものだ。
「考えても思いつかなかった。どうしてお前が必要なのか」
「……必要なのは決まってるんだ」
「ああ。お前は必要だ」
極めて冷静にジャックは返答する。私も極めて平静を保とうと思いながら言葉をかえす。必要だという言葉が体の中でこだまする。
「理由が思い浮かばない、ってこと?」
「そーなんだよなー……どう戦いに参加できるってわけでもねえ。化け物に対して戦略を立てるわけでもねえ。どっちもルートがやってくれる。他に何があるかって言われれば、思いつかねえ……だから俺はこう考えた」
ジャックは私のほうを向き直る。私はごくりと、小さく唾を呑む。
……どう、言ってくるのだろうか。
理由がない、でも必要。その言葉の示す先は、私でも予想できる。人が人を必要とするのは、何もフィジカルな面だけではない。メンタルの、もっと大事な部分に必要とされることだってある。
……だから、少し覚悟している。
まだ何を言い出すか分からないけど。
「――リリ、お前はさ」
「……うん」
ぎゅっ、と胸を抑える。私にそんな気はないけれど、万が一だ。
「――プレイヤーズの、マスコット的存在なんだよ」
「……はぁ?」
ジャックが返した返答は、私にとっては拍子抜けするものだった。え、何? マスコット的存在? どういうことだよ、意味が分からない……そんな言葉が頭の中を高速で通過していく。そして覚悟していた何かがもろくも溶けていくようだった。
いや、別に期待していたわけじゃないけどさ。返答もこちらでは考えられなかったし。万が一だって私も思っていたじゃないか。万が一のことに気を配るのはいいことなんだろうけれど、これは……なんかがっかりする。
いや、決して私の想像の通りにやってほしかったとか、そんなのはないけど。
「……どうした? リリ」
「いやなんでもない……」
がくっと手すりに寄り掛かかってうなだれた私を、ジャックは気にかける。もうちょっと前の段階で気にかけてほしかったな……いやいや、必要はないんだって。別に。
女の子の憧れではあるんだけどね。
……憧れ、ね。そういうのを意識するようになった自分に、少し驚く。以前の私だったら、淡泊に受け止めていただろうから。何も変な期待や想像をせず、受け流してから反応していただろうから。今みたいに、シチュエーションから考えたりはしなかっただろうから。
「……それで、マスコット的存在って、どういう意味? 意味が分かんないんだけど」
「あー、いや、別にお荷物ってわけじゃあねーぜ」
「それは分かってるよ、なんとなく……で、お荷物じゃなかったら、何なの?」
「そこにいるだけで安心する、なんつーか……そう、恋人のようなもんだ」
「……恋人、ねえ」
想像していたことが遅れてやってきたので戸惑ってしまったが、内心を押さえつける。一度がっくりとした分、全然ときめかない。マスコットという言葉がなければ、少しはときめいたりもしたのだろうか。
「別に誰かの恋人ってわけじゃないぜ、しいて言えば、みんなの恋人だ」
「意味わかんないんだけど、そっちのほうが……ってか、それってもしかして私に告白してる?」
「ははは、まさか」
だと思った。デリカシーがないというか……まあ、デリカシーという言葉を使ったことはあまりないのだけれど。使いどころが見当たらない。そういった色恋沙汰とは本当に無縁だったから。
……これから、縁があったりするのかね。
「なんつーか、みんな守りたいものがバラバラなんだよな……特にルートは何を守りたいのか、全然わかんねえ」
「みんなって……ジャックに、ルートさんに、紗那に、カノンちゃん? ……守りたいものって、何なの?」
「はは、お前、こっちに帰ってきてから質問の数がめちゃくちゃ多いぜ。何だ何だ、って。そんなに気になるか?」
「……いや、ただ訊いてるだけだよ。別に何もない」
――ただ、ジャックの言葉にハッとしたのは事実だった。そうだ……私は何か、変わっている。以前の私とは少し何か違う……それが質問だってことか。何にも興味を持てなかった私が、他人に興味を持ち始めたってことか?
「まあ、カノンはまだ幼いし、よくわかんねえが……サニーの守りたいものは、お前だろ、リリ」
「……そう、なんだ」
だから、あんなにも私に優しいのか。本当に、どうしてそこまでしてくれるのか、甚だ疑問なのだけれど。
「だから、みんなで同じものを守ろうってことにして、化け物を殺すことに集中する。それが一番いいんじゃねえのかな、って」
「共通の目標……化け物を殺す、以外の目標、か。ジャックは何なの? 私を守る以外の目標って」
私を守る、という言葉をサラッと出してしまったが、いつの間に守られる前提になったのか。ジャックはそんな言葉尻をつかむことはしないが、自分ではその言葉を言ったあと、私は本当に変わったなと思った。
「あー……ないな。化け物を殺す。俺はそのために化け物を殺す。そんだけさ」
「……立派だね」
単純だとも言える。単細胞だ。化け物に対する恨みとか、そういうもので動いているのだろうか。化け物を殺すことだけを目標にしている……なるほど。それで数年間生きてきたのだから、今更変えることなんてできない、か。
「…………」
説明、しなければならない。
あの化け物について。
でも、結局、どう説明しようか、ということは思いつかなかった。紗那に説明したように説明するのが一番だと思った。信用してもらえるか、ポイントはその一つだけだ。
けれど、私の話を……隣にいるジャックは信用してくれるか。化け物を殺す。それは私が過去と決別することと同義なのだが、それを理解してくれるだろうか。
化け物と私の関係を、理解してくれるだろうか。




