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吉光里利の化け物殺し 第三話  作者: 由条仁史
プロローグ
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プロローグ

 誰かが――私のお母さんが。


 誰かを――幼かったころの私を。


 殴っている。


「……痛い! 痛い! 痛いよぉ!」


 涙目になりながら暴力に曝されているのは、幼かった私だ。ただ暴力をそのまま受け入れるしかなかったから。

 何も、反撃の手段を持っていなかったから。


 ……今こそ、家庭内暴力や児童虐待への関心は高まり、気軽に相談できるような環境は整っているが、この時代には、そんなものなかった。家の中のことは家の中で。そういう時世だったのかもしれない。

 でも、そんなことは実際どうでもいい。もちろん周りにいる人が早く見つけてくれていれば、こんなことにはならなかったかもしれない。もっと早く、暴力は終わったかもしれない。ただ、それはあくまでも他人からの干渉であって、この時の私にはどうしようもないことだ。


 だって、知らないんだから。

 情報網を、持っていないんだから。

 ……だから、虐待されても、ただ痛いと、わめくしかないのだ。


「おかあさん……痛いよ……やめ――」


「うるさぁぁぁぁいっ!」


 半狂乱になっているのはどちらか。泣きついて母親に縋りついている在りし日の私か、方やそんな娘にも容赦なく怒鳴りつけ――いや、これは叫びか。ただ自分が言いたいだけの金切り声の叫びを浴びせて、娘を殴っている母親なのか。


 ……いや、そもそもこの家の、空気から狂っていた。

 はじめから。

 ……物心つき始めたころから、私は暴力を受けてきた。

 いや、今だから分かる。私に物心がついてきたから、お母さんは私を殴り始めたのだと。もちろんその前に、暴力性の土壌はあったんだろうけれど。お母さんの人生が、どんなものなのか。少なくとも私は知らない。


 お母さんは、狂人だった。

 現代の医学で調べれば、何かの精神疾患だと診断されるだろう。今でこそそう思う。しかるべき投薬と治療で、少しでもなんとかなる……いや、この話はやめよう。


 私は、お母さんが大嫌いだったのだから。

 自分を殴ってくる親を、どうやって愛せるのか。

 ……いや、でも暴力を受けていた時期は、そう思っていなかったように思う。子供は母親を愛するものだということが、生物的にわかっていたのか。もしくは友達から親との良好な関係を聞いて、元気そうに話すのを聞いて、自分も元気に接しないといけないと考えたのだろうか。


 だとしたら、愚かな脳みそだ。

 ……あの時の自分に、言い聞かせてやりたい。今すぐ、逃げろと。


 今すぐ、お父さんに相談して、それが無理なら友達の家にでも頼って、逃げろと。一刻も早く、逃げだせと。あんな家にいては、精神がおかしくなってしまう。だから、すぐに逃げて、もっとまっとうな人生を送るんだ、と。

 頭のおかしくなって、何にも興味を示せなかった私が言うんだ。

 私よ。こんな私になってくれるな。


 ……お願いだから。この状況はもうやめてくれ。

 何度目の想像だろう。あの6畳程度の部屋で、頭を、腕を、足を、殴り、蹴り、そして罵声。暴力の雰囲気がこの場にはあるし、そして二人は、ちょうどぴったり、その雰囲気に合っていた。

 おぞましい。と思ってしまうのは私でなくてもそうだろう。人と人の喧嘩がとても恐ろしいのに、弱いものを徹底的にいじめるのは、とても、見ていてつらい。

 ……味わってもつらい。


 ただ――こうも考えずにはいられない。

 お母さん――加害者は、辛くないのか、と。

 当時はそんなことを考える余裕もなく、ただ痛みに耐えるしかなかったのだけれど、今になってわかる。引っ越してから数年。私も成長し、いろいろ知っていく中で――加害者側の心情というものも、考えてしまうようになった。

 どうして、お母さんは私を虐めていたのか?


 ……今になってみればようやく分かる。


「あんたみたいな、どうしてっ! どうしてそんなに明るく! 笑顔を振りまくことができるのよ! 私なんか、私なんかっ! うぁぁ、あああああああああ!」


 そして私を投げるように突き飛ばす。私はたまらず床に頭と背中を打ち付ける。涙ぐむ。


「……ひ、く。うぅ……っ!」


 涙。その涙を見て、お母さんはまた怒りを露わにする。


「どうしてそんなに泣いてる顔もかわいいのよっ! なんでなんでどうしてどうしてっ!? うああああああああぁぁあぁあああっ!」


 横たわっている私に、容赦のない蹴り。もちろん体の軽い私はそのまま部屋の壁まで転がった。


 ……お母さんは、かわいそうな人だ。

 私がただ嫌いというだけではないのだ。

 多分――これは私の勝手な妄想なのかもしれないけれど、お母さんは、とてもつらい人生を送ってきたのだと思う。


 具体的に何がどうということはわからない。けれど、つらくて、つらくて……実の娘である私にも八つ当たりしなければ気が済まないほどに。

 私にも、同じような辛い人生を送ってほしかったのか。


 ……実の娘に自分の辛さを押し付けることによって、自分は幸せになれると考えていたのか。不幸せを、押し付けることはできると、考えてきたのか。

 母親のすることではない。

 当然、そんなことはできるはずはない。


 むしろ……抱きしめて、欲しかった。


 今更か。


 今更だけど……そう。本当に今更。もうどうしようもないけれど。今自分の頭を掻きむしっているお母さんに言いたい。手を上げるな。拳を握るな。怒りを露わにしてはいけない。むしろ、親は子を、そっと抱きしめるものだろう。

 抱きしめて、愛情を確認しあうものだろう。


 ……そんな思いも、もう届かない。

 ……届いたとしても、聞く耳を持っているのか。

 お母さんは、結局のところ自分のことしか考えていなかったのだ。自分さえ良ければ、それでよかったのだ。実の娘、なんて言ったって、嫉妬の対象になれば容赦なく暴力をふるう。


 嫉妬の対象となるのは、自己の優位性を侵害する危険のある相手だ。

 お母さんが私に対して、何を譲りたくなかったのかは知らない。けれど、その優位性は、暴力によって保たれていた。

 暴力という基準を持てば、私とお母さんの順列ははっきりと分かれているから。


 ……でも、その発散の仕方は、間違っている。暴力が終わらなかったということは、暴力ではない部分で、嫉妬していたのだ。

 それが、私の可愛さ、元気さ、溌剌としたようす。自分で自分のことを評価するのは気が引ける……が、私はそう判断する。昔の写真――母親は映っていない――を見たことがあるが、私の容姿はふつうにかわいいものだったように思う。とびきり、とか、美少女、とか、そういうことではなかったけれど。そんな私に、お母さんは嫉妬していたのだろう。

 若さ、可愛さ。元気さ。

 ……お母さんよりは持っていたものだ。だから、嫉妬した。


 だから、暴力をふるった。


「ぅぅぅぅあああああ!」


 叫んで、今度は床をたたく。

 狂ったように、狂って。


「どうしてそんなに明るいのよ、なんでそんなにいい子なの!? あんたをそんなやつにしてたまるものか、う、うぇ、うわぁぁああああ!」


 ……お母さんは、泣いていた。

 嫉妬に狂った。そう言ってしまえば女性として、少しは華やかにも聞こえるものなのかもしれないけれど、現実はそんなことはない。実の娘にまで嫉妬して、そしてどうにもならなかった人。暴力で解決できないことは分かっているはずなのに、やめられない人。


 私の性格、言動――個性が許せなかった人。

 私から個性を奪った人。


「その明るい個性を、ねえ。その元気な個性を、ねえ! そのかわいらしい個性を! 私にちょうだいよ! なんで、なんで。なんであんただけぇぇ!! あああぁぁぁ……」


 私に、個性は恐ろしいものだということを吹き込んだ、張本人。



 個性――人に元来備わっているもの以外の、何か。

 容姿、知識、経験、身体能力、社交性、関心、誰かを思いやる気持ち、真面目さ、気品、専門性、言動、ものの考え方、懐の広さ、頑固さ、気難しさ――



 これは、少女が化け物を倒す話である。



 少女が手放した『個性』の化け物を、少女自身が倒し、取り戻す話である。

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