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お局おばさん万歳79

人間は絶対の愛に育まれた不自由の中にユートピアを夢見、それをひたすら自由だと思い込んでいる矛盾した存在でしかなく(^0^)/ほほほほほほほほほほほほほほ(^0^)/諸兄よどうだ(^0^)/お笑い草か(^0^)/

エーリッヒフロムの自由からの逃走を私は何度も精読したものだ。




前述した尾崎豊ではないが、夜の帳の中に自由を求めるくだりがあるが、あれを自由からの逃走風?(笑)に言うと、不自由(笑)なユートピアの拘束を求めていると分析出来る。(^0^)/





法や慣例の縛りの無い自由の中には、不安や孤独、恐怖感が付き纏い、人間はその無軌道な自由を本能的に嫌う。(+_+)





その不自由としての日常から一時解放された気分を味わい(笑)人は不自由の中に立ち返り、安心感と安全なスタンドポイントを得る習性があるわけだ。(+_+)





だから人間は自由からの逃走的(笑)に言えば、不安と孤独感に満ち溢れた真正のアナーキーな自由など求めてはおらず、ほんの束の間の解放感を夜の帳の中で狂気カオスの解放の本に味わい、不自由としての安楽に戻って行く生き物だとする提言が自由からの逃走なのだ。(^0^)/




そして人間が求めるユートピアは、完全無欠な神の支配に置かれた、愛しかない夢幻世界であり、それが極楽や天国の理想像と重なり合って行くわけだ。





だから人間が求めるユートピア像にはアナーキーな自由の解放など微塵もなく、完全無欠な神への拘束的帰属を願う不自由への帰属しかない理となるわけだ(^0^)/





そして、アナーキーな自由に自由を求めるのを人間は未来永劫嫌い、完全無欠の存在の下で絶対の拘束の本に、愛と安心感と安全を夢見るのがユートピアと言う理になるわけだ(^0^)/





人間は束の間の解放感を求めているだけで、無軌道な自由などちっとも求めてはいないのが真理で、これはほぼ恒常的に普遍の理となる(^0^)/





そして尾崎豊が抱くユートピア像には無軌道な自由などなく、絶対の拘束の本にある愛なのだ(^0^)/





人間は絶対の愛に育まれた不自由の中にユートピアを夢見、それをひたすら自由だと思い込んでいる矛盾した存在でしかなく、それこそが尾崎豊の愛を代弁しており、心の美を代弁する所作だと言い切れるわけだ(^0^)/





つまり拘束万歳(^0^)/不自由万歳(^0^)/その中でしか愛を見出だせない人間存在の不自由な存在理由よ万歳(^0^)/と言う帰結になるわけだ(^0^)/





ほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほ(^0^)/




諸兄よどうだ(^0^)/





解放感味わって(笑)不自由に戻り、絶対無欠では無い愛に満ち溢れていない(笑)権力に縛られて安心感と安全を得て、心の美を損なう安楽なスタンドポイント、好きか?(笑)





所詮人間存在は完璧からも程遠く、完全無欠な神など恐れおののいているから、不完全でずる賢い、エリート達を神の如く敬うのがお似合いか(笑)(^0^)/




諸兄よどう思う(^0^)/




お笑い草か(^0^)/





ほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほ(^0^)/

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