お局おばさん万歳56
幼く無垢な心は脆弱なわけで(*_*)諸兄よ、どうだ、お笑い草か(*_*)
幼い無垢な心は脆いわけだ(*_*)
家の長女は集団虐めを受けた時、とある養鶏場の臭いと同じ位「臭い、汚い」呼ばわりされ、その事柄を担任の先生に暴露した時「あの養鶏場が可哀相だ」と自分を卑下し泣き笑いの表情を作った。
その言葉を聞いて、恩師とも呼べる担任の先生が深く感銘を受けていた事を私は記憶しているわけだ(^0^)/
その自己卑下は明らかに己の自信の無さの顕在化であり、記号的偏狭価値観から外れている事に対する劣等感と言えよう(*_*)
だがその長女の自己卑下は、私から見ると、自分が一人苦悩し負けずに集団虐めに打ち勝った事への、裏返しの意味での心の強さ広さを顕した、しなやかな優しさの顕在化である事が鋭意類推出来る。
そして虐めた者達への提言忠告として「短所ばかり見ないで、長所も見るべきだ」と担任の先生に看破明言し、彼らの偏狭性を暗に糾弾する憐憫の顕れでもあった言葉だと思う。(^0^)/
早く言ってしまえば、長女は養鶏場を偏った意識で盲目的に馬鹿にする偏狭性は抱いておらず、その養鶏場が自分よりも優れた物だと言い切れる、自己を卑下出来るしなやかな強さが窺えたと言う事だと思う。(^0^)/
家の長女は成績も悪く、養鶏場よりも自分が劣った存在だと感じている健気(笑)な天然キャラお馬鹿さん(笑)なのだが、親の愛情や先生の情愛を信じ、それを活用して自分を護った強さはあり、脆く崩れ去る脆弱さは無かったからこそ、無事救われたわけだ(^0^)/
だが広い世間、家の長女のようなある意味したたかさを懐に抱いている児童ばかりではない事は自明の理であり、その子達が傷付き、逃げ場を失い、脆く崩れ去るのが私はどうあっても不憫でならないわけだ(*_*)
優しいだけで、無垢で脆弱過ぎる魂にはしなやかなるしたたかさが無いからこそ、脆弱なのだから、虐めてはならないのだとする図式を私は強く主張したいわけだ(^0^)/
人を苦しめ虐める強さ?(笑)は、裏返しとしての己の脆弱さ、偏狭性の捻れた、単なる顕在化と私は断定するわけだ。(^0^)/
ほほほほほほほほほほほほほほ(^0^)/
諸兄よどうだ(^0^)/
弱い者虐めをする事は己の弱さを立証する理であり、最も恥ずべき事だと思うが、どうだ(^0^)/
お笑い草か(^0^)/
ほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほ(^0^)/