お局おばさん万歳55
そして今現在の主要病(笑)命題は脳梗塞に非ず、神経症パニック障害だと断言出来る。ほほほほほほほほほほほほほほ(^0^)/諸兄よどう思う、お笑い草(^0^)/
少し眠り、体調がほんのりと回復(笑)して来たので続けよう(^0^)/
私は瞑想をやりながら、自分の病を凝視し、それと格闘(笑)しながら戦う行者だ?(笑)
己の歩んで来た道を振り返り、その中にある心身共に共存している病気(笑)を瞑想で内視し、一つ一つの細胞を隈なく凝視?(笑)し、その病震度?、深さを感じ取り、タオ?との連携の本、或は癒し、或はその病の深さを推し量り、戦略を立て、タオからの指示を待つ修業?(笑)を日夜展開しているわけだ。(笑)
私は所業無常の時の切断された断面を?(笑)全身全霊の細胞を以って(私は霊魂に細胞があると思う事にやぶさかではない。ほほほほほほほ(^0^)/)凝視し、生命活動を行っているわけだ。(^0^)/
そして今現在の主要病(笑)命題は脳梗塞に非ず、神経症パニック障害だと断言出来る。
この病(笑)凝視は正確的確を要し、目測を誤れば、所謂己自身のカタストロフィ(笑)を招来する事となり、日々一刻一秒が生死を賭けた(笑)真剣勝負となるわけだ。(笑)
その細胞で(笑)病を凝視?する瞑想の細やかなタオ的(笑)教示に依って、或は?(笑)癒しを施し、或は保留し、継続凝視をして行くわけだ。
タリラリラン(^0^)/
この凝視に関する、私自身に於ける細胞単位の差別偏見蔑視観?(笑)は、私の内部に皆無、無いと言う事を敢えて(笑)強調したい。
つまり私は培って来た独自の細胞瞑想凝視(笑)により、差別偏見蔑視の偏狭性(笑)から脱却した解脱者(笑)だと言う言葉が言い切れるわけだ(笑)
だからその全身全霊の細胞?を駆使した瞑想凝視に一切の偏った差別偏見蔑視観に根差した偏狭性は無いと言い切れ、自ずと自負しているわけだ(^0^)/
ほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほ(^0^)/
ここに少しでも世間(笑)一般的な偏狭性があれば畢竟私は生きてはいないという事となるわけだ(笑)
こんな刹那の断面を霊魂の細胞単位(笑)で凝視しながら暗中模索、生死を賭けた生存競争をしているのが私と言う存在の在り方だと断定(笑)思うわけだ(^0^)/
だから私は全うき(笑)独自の世界観を以って?(笑)怨敵?(笑)差別偏見蔑視観を日夜全的に排除し、生命を維持している、阿呆ピエロおじさん瞑想装置(笑)と言う事が言えよう(笑)
つまり私は他者と全く違うエキセントリックな個性と、その異端性(笑)を誇りと為し、生きている行者と言い切れる(笑)わけだ。
この生き様が今したためている文章を描く原動力(笑)となっており、鋭意端的に言えば、円を全的に細胞もろとも生きている私に差別偏見蔑視観の偏狭偏りは一切無く、全的に生きている事に強い誇りを持っているわけだ(笑)(^0^)/
ほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほ(^0^)/ここがこの長い文章の落ちとなるのだが、世間の者共(笑)には私のこんな葛藤相克など絶対に理解されず、偏狭性の本に変なオッサンと(笑)排除されているのが、私の日常と(笑)言えよう?(笑)
だが私はめげず(笑)そんな社会の偏った部分でしかない偏狭性を逆差別して、糾弾しているのが、この糾弾文章と言えよう(笑)(^0^)/
人生は深さ勝負だ(^0^)/
あらゆる要素を全身全霊の細胞瞑想装置で捉らえ、生命活動を維持している私は単なる異端児か?(笑)(^0^)/
単なる異端児だと感じ、蔑視する者はこの文章は読まず、円の中の偏狭的点の居心地の良い住まいで惰眠でも貪って(笑)いてくれ(笑)と言いたいわけだ(^0^)/
だがそのような者を、私は生きている者として捉らえないのも事実である事が言えよう(^0^)/
ほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほ(^0^)/今回は兄貴の登場を控え、私は戯画の上座から下座にするするすると移動するピエロの如く、この文章をしたためたわけだ(笑)
諸兄よどう思う(^0^)/
お笑い草か(^0^)/
ほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほ(^0^)/