お局おばさん万歳53
人生は深さ勝負。浅はかさこそが愚かさの真髄(笑)と言えよう。ほほほほほほほ諸兄よどうだ?お笑い草か(^0^)/
さてここで、家の長女の集団虐めを鋭意偏狭性と言う視点から分析精査(笑)してみよう(^0^)/
まず汚いに関する精査を行う。
家の長女は幼い頃よりその血筋から、所謂異形のもの(要するに霊魂)が見え、その者?達に対する畏怖の念があり、夜などトイレはおろか一人で風呂場に入れず(笑)畢竟シャワーを嫌い避ける顛末を迎える異端児?であり、その為身嗜みを整える事能わず、そそくさと学校に行き、その臭さを指摘され「臭い」及び均一平均値から外れた意味での「汚くキモい」と言う評価?(笑)を頂いた(笑)わけだ。(笑)
まずこの長女をキモいとした感覚の欠如分は、個としての長女の一連の特質を一切連想及び想像出来ず、その点に対する感覚の欠如分、つまり異形のものが見える事に対する異端視があると断定(笑)類推出来るわけだ。
つまり簡単に言ってしまえば、風呂に入らないには何かしらの事情があり、それが何かと言う連想、想像力が欠如していて、短絡的にキモい汚いとなってしまう短絡的偏狭性がある。
幼い頃、闇が怖くてトイレに行けなかった人も多いと思うが、その闇の中に異形の者が見えてしまっている長女は、中学生になってもそれが続き(笑)トイレはおろかシャワーにも入れなかった事情があるわけだ(笑)
そんな個の特有(笑)の事情を蔑視異端視して、偏狭なる価値観「キモい、臭い、汚い、馬鹿」とする想像力の欠如分を私は偏狭性として殊更に(笑)論い敢えて(笑)糾したい。
人の想像力は大衆操作の画一化の中で、その豊かさを剥奪され、日夜偏狭性におとしめられている事は想像に難くない(笑)わけだ。
ほほほほほほほほほほほほほほ(^0^)/
余りシニカルに逆差別の言葉を羅列して、優越感(笑)に浸るのは鋭意(笑)止そう。(笑)
つまり簡単に言ってしまえば、それぞれの個人差、事情を鑑みて思いやれる思慮深さ及び想像力、洞察力が短絡的に欠如していて、洗脳域の記号的感受性を全く疑問視出来ない偏狭性が、集団虐めをする者達にはそこかしこに見え隠れしているという事だ(*_*)
人間は考える葦ならば、考えなければ単なる葦?(笑)なのか?
そして虐めを受けていた時、私は長女の言葉を聞いて、感銘を受けた事を別記しよう。
「短所ばかり見ないで、長所も見ないと、駄目だと思う」
親の欲眼で見ても、家の子は出来?(笑)の良い子ではなく、私達は手をやき、彼女を導くのにまごついているわけだ(*_*)
だが家の子は優しい天真爛漫な長所もあり、それを慈しみ溢れる眼差しで見詰めていてくれた担任の先生もいたわけで(^0^)/
その偏狭性の欠如分(笑)が効果を発揮し、家の子は集団虐めに打ち勝ち、九死に一生を見出だしたわけであり、その恵みに私はひたすら感謝の念を抱いているわけだ。
偏狭性の無い思慮深さ万歳(^0^)/と敢えて言いたい。
ほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほ(^0^)/
人生は深さ勝負。浅はかさこそが愚かさの真髄(笑)と言えよう。^0^)/
深く物事を考える事は人生の宝だと追記したい(^0^)/
うるせー助平糞爺、てめえなんかの能書き聞きたくねえや、すっこんでろ!阿呆が(-_-メ)
兄貴ほほほほほほほ能書き言えるのも生きている証でありんすよね。あちきには不完全な科学万能主義者の愚かしさは無いでやんす、ほほほほほほほ(^0^)/
諸兄よどう思う(^0^)/
お笑い草か(^0^)/