表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
49/115

お局おばさん万歳49

私は徳成や慈愛を地蔵菩薩のような祖母の中にしか見出だしてはいないから、祖母の教えを座右の銘と為し、模範として生きているわけだ(^0^)/ほほほほほほほほほほほほほほお笑い草か(^0^)/諸兄よどうだ(^0^)/

私は宗教の教条を様々に解釈して、結局営利目的や、組織としての独善的見地から他宗教を排除、あるいは弾圧する宗教団体が嫌いであり、例えば宗教の開祖仏陀やイエスキリストが唱えた教条を忌み嫌っているわけでは無い。





万物流転の法則や、汝隣人を愛せよと言った言葉等はむしろ好ましく受け止め、座右の銘にしたい位だ。





もう一度言う。




各宗教の開祖の理念や教条には共通項が見られ、そこには他者への慈愛が重要視されており、それを私は否定してはいないと言う事だ。





ただ悪しき人間の心がその教条を利用して、様々に捩曲げたのが、今現在進行している各宗教団体の姿であり、その排他性と独善性を殊更に嫌っているから、全的に宗教を嫌っている(笑)わけだ。





つまり教条は認め、それを組織論に則り運営している人間の団体が嫌いだと言い切れる。




残念ながら、その者達に私は開祖のような徳や慈愛を見た試しが無いわけだ。





もっと言えば、私はその徳成を祖母の美しい心の息吹にしか見出だしたことはなく、我が祖母は貧しく、物欲なく、在ったのは隣人への慈愛だけであり、その美しい心を愛でるからこそ、私はそれを由として、敬愛し、尊敬しているわけであり、模範として捉らえているわけだ。





派手さのまるで無い祖母の慈愛は正に地蔵菩薩のそれであったわけで(^0^)/





その子孫に生まれ、その慈愛に育まれ、その慈愛を心の糧として生きる自分に誇りを抱いているわけだ。





だから私はあのイエスキリストの生まれ代わりの人物に祖母と同じような質感を感じ、懐かしんでいるわけだ(^0^)/




汝、隣人を愛せよ、良い言葉だと思う。太宰治はキリスト教のイエスキリストに救いを求めたのである事を勝手に推測(笑)し彼の見識に間違いは無かったと私は思う。





汝隣人を愛せよを座右の銘にしていれば人を苦しめる集団虐め等無いわけだ。





ほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほ(^0^)/





汝よ?じゃなかった諸兄よどう思う(^0^)/





お笑い草か(^0^)/

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ