お局おばさん万歳40
夜空を見上げ、半月の遮光の中で風に舞い踊る私の影を私はそぞろ見上げ、月を愛でるように笑い拍手を贈る所作は、魂のラインダンスか?ほほほほほほほお笑い草か(^0^)/諸兄よ、どうだ(^0^)/
かなり前、もうその書物のタイトルも覚えていないが、その書物にはこんな事が書いてあった。
「死は肉体の中で生と常にせめぎ合っている」と。
今ふと私は夜空を見上げた。
本日は半月だ。
夜空の主役は月で、青空の主役は何と言っても太陽だろう。
月が死を代弁し、太陽が生を代弁するならば?
月である死の肉体があるとして、太陽である生の肉体と常にせめぎ合い入れ代わる現象が生じているから、眠りと覚醒があると仮定すれば、死の肉体が凝視している夢幻こそが、死の世界そのものなのか?
半月の光と闇を分け合うが如く、二つの世界は、まどろみの中で溶け合い、それが恍惚たる息吹になっているならば、死はちっとも恐ろしいものではなかろう。
死に虐められ恐怖しながら見上げる月と、死に虐めらても恐怖しないで見上げる月は、どちらが美しく見えるのだろうか?
静謐なる死と、うるさい死があるならば、私はやはり静謐なる死を倦怠の中で選びたい。
夜空を見上げ、半月の遮光の中で風に舞い踊る私の影を私はそぞろ見上げ、月を愛でるように笑い拍手を贈る所作は、魂のラインダンスか?
魂のラインダンスの肉体に虐められて、恍惚となって微笑んでいる自虐的な一時。
そんな夜だ。