お局おばさん万歳104
何か闘病日記みたいになって来たな(^0^)/まあいいや続けよう(^0^)/ほほほほほほほほほほほほほほ(^0^)/諸兄よどう思う(^0^)/お笑い草か(^0^)/
祖母は私にこう言ったものだ。
「どんな事にも負けては駄目だ」と。
この神経症という病気は鬱病をも孕み、抗い難い自殺願望が擡げて来る(*_*)
神経=精神のストレス耐性が欠如し、少しでも辛い現実に直面すると、様々な過去の心的外傷が疼き、建設的に物事を考える事が出来ず、自律神経が勝手に動き出しパニック障害を引き起こし、激しい脈動と過呼吸が起き、死への現実逃避を図ろうとするのだ(*_*)
正に祖母の言葉通り、死への誘惑(現実逃避)に負けたら、ジ、エンド、お終いとなるわけで(*_*)
こうして小説を書いていても、心の根底ではそんな葛藤が続いているわけで(*_*)
祖母はこうも言った。
「捨てる神があれば、必ず拾う神もあるから心配無い。悪い事ばかりは続かない。明日は明日の風が吹くからな」と。
そうだ、幼子を抱える私にしてみれば現実逃避などしてはいられないわけで(^0^)/
子供達の明日を夫婦で支えてやらなければならず、私が怖じけづき(笑)リタイアするのは妻に対する最大級の不忠、不孝となるだろう(*_*)
中三の娘が今しがた来て「ねえ、パパちゃん、今日数学のテスト、メチャ難しいから、休んでいい?」と言って来た。
私は咄嗟に「駄目だ。零点でもいいから、受けろ。現実逃避するな!」と鋭意喚き(笑)
それはそのまま己への叱咤激励となり、支払いもまともに出来ない金欠病や、世間の蔑視構造から逃げてはならない事の戒めとなるわけで(^0^)/
この長女の言葉は、逆の意味での祖母に依る私への戒めと捉らえるべきだと、私は思った次第で(^0^)/
そして私は祖母の教えを、まだまだ時間をかけて子供達に伝承して行かなければならない義務を負っており、死ぬなど以っての他なのだ(^0^)/
そして朝早くから勉強を開始していた長女は、炊飯器の米が炊き上がったのを、条件反射的(笑)に、部屋から出て来て、炊き上がったご飯を掻き回すのを見て、少しづつだらしないのが矯正されているんだなと、私は仏頂面をしながら、この小説を書きつつ、この長女の動きも、祖母の戒めなんだなと感じ、感謝感謝の朝を迎えた次第で(^0^)/
さあ子供達を学校に送り出さないといけないので、死んでる暇なんかなく(笑)筆を置き、今日もろくでなしピエロの一日のスタートを切ろうではないか(^0^)/
まだまだこの神経症との闘いは続くわけで(*_*)
しかし子供達やカミさんに怒鳴られ(笑)励まされ(笑)支えられながら、それを祖母の叱咤激励だと感じる、自分に感謝して、悔いのないように歩こうではないか(^0^)/
しかし本当にこの神経症と言う奴は厄介だな(*_*)
やってられんわ(*_*)
ほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほ(^0^)/
何か闘病日記みたいになって来たな(^0^)/まあいいや(^0^)/
ほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほ(^0^)/
諸兄よどう思う?(^0^)/
うーん、しんどいわ(^0^)/
お笑い草か?(^0^)/
ほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほ(^0^)/