#2 大星、人助けを試みる①
祈里の提案により『勝手に”ぎぶあんどていく”大作戦』が開始された。
しかし、なかなか上手くやれない大星。
そして時は一月一〇日水曜日の夕方へ。
あれから連日、大星は何とか困っている人を探そうと躍起になっていたのだが、結果はご覧のとおりに思わしくない。声をかけた生徒たちが置いていった財布と傘を見つめつつ、大星は心の中で反省をしながら職員室を目指していた。
すると、不意に後ろから肩にタオルが掛けられる。
「その様子だとなかなか上手くいってないのかな?」
声の主は奈智だった。鞄と傘を手に持ち、どうやら今から帰宅する装いだ。
「ん、ああ……。まぁ……」
大星は雪で濡れてしまった顔をタオルで拭きながら、細々とした声でそう呟いた。
ここまでの『勝手に”ぎぶあんどていく”大作戦』、大星が手にした幸福は未だゼロ。焦りを通り越し、意気消沈といった様子だった。
「オメェはこんな時間まで何してたんだ?」
「私? 私はほら、明後日の土曜日は山王高校との球技対抗戦があるでしょ。その準備を手伝ってたの。私は時間に余裕もあるし、去年もいろいろとやったからさ」
山王高校とは、ここ天川高校と学業からスポーツまで事あるごとに競い合う、いわばライバル関係にある学校だ。球技対抗戦は野球やサッカー、バスケットボールなど、その二校の球技を扱う部活動同士が試合を行う伝統行事の一つ。元は校長同士が旧知の仲だったことがきっかけになったらしい。
奈智は前年度、生徒会に属していた。それに加えて後輩からの信頼が厚い。その為、高三の三学期となった今もその準備に駆り出されたのだろう。余裕があるというのはすでに進学先が決まっていることを指している。
「そうなんか。じゃあよ、その準備ってやつ、オレも手伝うか?」
「あ~、うん。でも人手は足りてる――、かな?」
大星の申し出に気まずい様子を見せる奈智。
対抗戦の準備は生徒会が主導で行われている。もちろんいざとなれば大星にも出来る仕事は山ほどあるだろうが、ただでさえ後輩たちで形成されている今の生徒会に、上級生の、しかも大星のようなパッと見て不良っぽい人物が入り込むのは業務進行に影響を及ぼしかねない。むしろ周りにビクビクされては大星も気分を害してしまう。そう奈智は案じたのだ。
「でもよォ、それだとやっぱなぁ……」
「いいのいいのっ。好きでやってることだし」
ますます落ち込む大星に、奈智は取り繕うようにそう言った。
「それに言ったでしょ? 矢場くんにもそうだけど、穂月ちゃんにはもういっぱいもらったから、気にしないでって」
「……ああ」
実は現在遂行中の『勝手に”ぎぶあんどていく”大作戦』について、大星は初めに奈智に事情を打ち明けていた。いきなり全くの見ず知らずの人間に作戦を実行するのはさすがに無理があると判断したわけだ。
奈智にはくろことましろの姿が見えない。声も聞こえない。
それでも大星の話をジッと聞き、それを疑うこともなく幸福を提供すると言ってくれた。その話が事実であると提示する証拠など何も無いのに、奈智は「わかった」の二つ返事で頷いた。
本来ならばそこで、大星が先に奈智の幸福を増やさなければならないのだが、奈智はそんなことしなくていいと断った。しかし、それではwin-winの関係が崩れてしまうし、奈智が不幸に近付いてしまうことになる。
大星はその点をしっかり説明した上で食い下がったのだが、
――私、穂月ちゃんと仲良くなった頃、ちょっと落ち込んでたんだよね。
と、奈智は昔を思い出すように語り始めたのだ。
奈智が穂月と初めて出会ったのは小学五年生だった頃。穂月は二年生で入院中だった。
「あの頃、実は喘息持ちだったの」
いくら自宅の隣だとはいえ、奈智が病院へよく顔を出していたのは自ら通院する必要があったからだったらしい。
「そのせいで運動はできないし、発作が起こると苦しいし、あんまり遠くに遊びに行くこともできなくてね。同級生の子たちがみんな楽しそうに笑ってるのを見て、ああ、なんで私だけこんな辛い思いしなくちゃいけないんだろう、って落ち込んじゃってた」
奈智は一枚の写真を取り出した。
病室のベッドに座ったその当時の穂月と、隣で微笑むまだ幼い奈智の姿。そこには大星も写っている。
「でも、穂月ちゃんは私なんかよりももっとずっと大変だった。なのに前向きで、何一つ諦めてなかった。病気も治す。学校にも行く。友達だって作る。ずっとそう言って頑張ってたよね。いま思い出してみてもホントに頑張ってたと思う。小学二年生の女の子がだよ?」
大星だってその場にいたのだ。ひたむきな穂月の姿はもう目に焼き付いている。
「穂月ちゃんとお話しするようになって私、もうホントに恥ずかしかったの。年下の穂月ちゃんがこんなに頑張ってるのに私はなに落ち込んでるんだろうって、落ち込む資格なんてないって思った。それにね、そんな穂月ちゃんを支えてるのが優しいお兄ちゃん、矢場くんだって知って、羨ましかったし、尊敬もした」
「奈智……」
「いまの私がここにいられるのは二人のおかげ。二人が私にいっぱいくれたおかげ」
奈智は愛おしそうに写真を眺めていた。
大星は奈智がそんな風に思っていたなんてことを全く知らなかった。
喘息のことだって初めて耳にした。
当時の奈智はそんなこと何も言わなかったし、もしかすれば穂月も知らないかもしれない。むしろ貰ってばかりだったと思う。穂月の友達になってくれたことも、寂しがる穂月をいつも支えてきてくれたことも、こんな自分とも分け隔てなく話してくれることも、そんな全てが幸福と呼ぶにふさわしいモノだ。
「だからね、今度は私が穂月ちゃんにあげる番。それが不幸だなんて思いもしない。矢場くんと一緒。穂月ちゃんの幸せが、私の幸せでもあるんだよ?」
似た境遇にあった奈智だからこそ、感じることがあるのかもしれない。大星はそんな風に思った。
そうして奈智は、快く幸福を提供してくれたのだ。
大星としては、その球技対抗戦の準備を手伝うことで何とか埋め合わせが出来ればと一瞬考えたわけなのだが、奈智の反応から、自分では役に立つよりも迷惑を掛ける方が大きそうだと察せられた。
「ハァ……、オレ、まだ何にもしてねぇよ……」
大星の口から思わずそんな弱音が洩れ出した。
「誰だってそう簡単にはいかないと思うよ。人の幸せを増やすなんて難しいと思う」
「でもよ、それ以前にオレは誰からも話すら聞けてねぇんだよなぁ」
「あ~、矢場くんにとってはそっちの方が苦手分野なのかもしれないよね」
「けど苦手だなんだっつってる時間もねぇし……」
確保した幸福は大星の二つ、祈里の四つ、奈智の四つ、計一〇個。
それが天器移譲から五日目の今日現在、残りは五つ、五日分となっている。依然として穂月の中で天器は定着しておらず、このペースだとまだしばらくはかかる、とくろことましろが見立てていた。
「ねぇ、矢場くん。コレ見て」
奈智は愚痴る大星から先程貸したタオルを取り、それを広げた。
「今、矢場くんがしようとしていることって、こんな感じだと思うの」
『Me for You,You for Me』
――アナタの為に、ワタシの為に。
タオルにはそう刺繍がされていた。
「誰だっていつも一人では強くいられない。矢場くんが人に歩み寄るのに苦手意識があるのも知ってるけど、私もいるってこと、忘れないでほしいな」
奈智はそう言ってタオルを肩にかけた。
照れ臭そうに顔を赤くする奈智の仕草に、大星はほんの少しだけ見惚れてしまっていた。