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#1 大星とウサギ④

事故から六日後、退院した大星。

 一月七日、日曜日。

 晴れ間こそ差してはいるが北風が物凄く冷たい、そんな冬休み最後の日の朝、明日の始業式に何とか間に合う形で大星は無事退院と相なった。トラックにぶつかったにしては短い入院期間で済み、まさに不幸中の幸いといえるだろう。


「矢場くん、退院おめでとう」


 荷物や精算を母親に任せた大星が病院を出ると、岬奈智みさきなちがそう声をかけてきた。奈智はやや癖のある長い髪をまとめるようにマフラーを巻き、もこもこのコートを着込んでいる。この寒い中、わざわざ大星を待っていたらしい。


 奈智は天川高校三年四組の同級生だ。しっかり者で人当たりがよく、教師や下級生からの信頼も厚い。それに加えて彼女はここ岬病院の娘でもある。元旦の事故の際は倒れた大星と穂月を最初に見つけ、それ以降も何度か見舞ってくれていた。


「なんだ奈智、見送りにきてくれたんか?」

「うん。今日が退院だって聞いてたから」


 奈智とは中学校から一緒だが、それ以前からの友人なのだ。出会いは七年だか八年前のことで、その時も穂月はここに入院中だった。初めはたまたま病院の方に顔を出していた奈智と入院中の穂月が仲良くなり、それがきっかけとなって足繁く見舞いに通っていた大星も会話を交わす仲となったのだ。

 今はこうしてクラスメイトではあるが、大星からすると奈智は穂月の数少ない友達の一人という印象の方が強い。


「穂月のこと、よろしく頼むな」

「えっと、それはお父さんたちに言ったほうがいいんじゃないかな?」

 

 奈智はやや困った表情を浮かべてそう言った。奈智の父は穂月の主治医なのだ。ちなみに祖父が院長を務めている。


「いや、そうじゃなくてよ。オレも毎日顔出すようにすっけど、やっぱダチが顔見せてくれた方が嬉しいだろ?」

「ああ、そういうことなら、うん」


 奈智は神妙に頷いた。


 大星は今日で退院となったが、穂月はもうしばらく入院生活が続くことになった。検査結果が思わしくなく、今まさに再検査を受けている最中だ。ここ数カ月はだいぶ落ち着いていたようにも見えていたが、やはり先日のショックが大きかったと思われる。


「矢場くんは昔から変わらないね。穂月ちゃんがいっつも話してくれてたよ。優しくて家族想いなお兄ちゃんの話」

「オレは別にあたりめぇのことしかしてねぇよ。ウチは親父がいねぇし、オレがあれこれ考えるのは当然だろ」


 大星と穂月の父は、穂月がまだ母のお腹の中にいる時に他界している。その時のことは大星も三歳やそこらでよく覚えていない。だが、いつ間にやら『家族は自分が守るもの』と自然に思うようになっていた。そんな大星にとって、体が弱い妹を案じることは優しさでも何でもなく、家族として当たり前のことだった。


「受験近ぇけどよォ、無理すんなってオメェからも釘刺しといてくれ」

「だね……。私立受験まであと一カ月もないくらいだし、穂月ちゃん、隠れてでも無理しそうだから」


 過去に入院することになった際には全く不満を口に出さなかった穂月だが、時期が時期だけに今回ばかりはハッキリと難色を示していた。

 

 受験も大事だが、優先すべきは体の方。

 

 穂月もそんなことは分かっているだろうが、頭では理解できても心が納得しないこともある。学校に通えない寂しさや辛さを味わった経験のある穂月だからこそ、受験に傾ける想いの強さが他者とは違う。きっと穂月は無理をしてしまうだろうし、奈智もそれを分かってくれている。

 

 そして大星も、誰より近くで穂月が寂しがる姿や苦しむ姿をたくさん見てきた分、そんな過去の苦労や努力が実ってほしいと強く願っている。おみくじに記されていたように、いざその願いを叶える為には一体どうすればいいのか、大星は入院している間、ずっとそればかり考えていた。

 

 しかし、結局は立ち塞がる壁が強固で高いものだと認識したに過ぎなかった。

 大星は医者ではない。穂月の病気を治すことなど出来はしない。

 受験に向けて勉強を見てやろうにも現状ではそれもままならず、更にいえば受験までの期間もあまり残されていない。

 

 それでも諦めるわけにはいかないのだ。


「んじゃ、オレちょっと行くとこあっからよ。わざわざ見送りあんがとな」

「うん。また学校でね」


 奈智との会話もそこそこに、大星はその足を卯上神社へと向けたのだった。





 退院の報告が半分、願いを叶えるコツとやらへの期待が半分。

 大星の心境はそんなところだった。

 もしも祈里が泥酔でもしてようものなら、顔は出さずに帰ろうとも思っていた。今の大星には酔っ払いの相手をしている暇など在りはしない。

 

 しかし、いざ卯上神社にきてみると祈里は酔ってなどおらず、巫女装束に身を包んだ状態で神妙に待ち構えていた。

 

 大星は祈里がいつもくつろいでいる社務所の方ではなく、普段参拝者がお参りする拝殿の奥、ご神体が祀られた本殿へと通された。もう長いこと神社に顔を出しているが、この場に入るのは初めてだ。

 

 本殿内は蝋燭の灯りのみで照らされており、午前中だというのにもかかわらずどこか薄暗い。北風に吹かれない分だけ外よりはマシなのかもしれないが、それでも空気は冷やりとしており、どこか薄氷が張ったような緊張感が漂っていた。

 

 大星と祈里は向かい合うようにして座り、話し始めていた。


「――いま、なんつった?」

 

 大星は自分の耳を疑った。祈里の口から発せられたのは、大星の想いを踏みにじるだけでなく、穂月すら侮辱しているとも取れないような発言だったのだ。


「穂月ちゃんの努力が報われることはない。穂月ちゃんが救われることはない――、そう言ったんだよ」


 祈里は背筋を伸ばし、無表情のまま大星を直視している。


「急になに言い出してんだアンタ……。冗談聞いてる暇はねぇんだけど?」


 大星は失望した。穂月にとって祈里は大切な友達だ。祈里もそう思っているのではなかったのか。冗談でも口にしてほしいことではなかった。


「アタシは冗談を言ったつもりはないんけど」

「冗談じゃなきゃなんだっつうんだ!!」


 飄々と答える祈里に、大星は声を荒げた。バンッと床を叩き、足を立てて祈里に詰め寄る。


「控えな、大星。神様の御前だよ」


 怯む様子も悪びれる様子も一切見せず、祈里は大星を制するように手を前に出す。


 ――バシンッ


 大星はそれを手の甲ではたき、構わず祈里に詰め寄った。立て膝を付き、やや見下ろす感じで祈里を睨む。


「その神様の前でクソみてぇなことぬかしてんのはテメェだろ。どうした? 頭イカレちまったんか?」


 何よりも、懸命に病気と闘いながら生きてきた穂月への侮辱めいた発言に怒りが込み上げた。その怒りに呼応するかのように蝋燭の灯がバチッと揺らめく。


 激情のまま刺し貫くような視線で睨む大星とは対照的に、祈里の瞳は雪の降る夜のように静かで寒々しさを感じさせている。


 一触即発の空気の中、それでも祈里は続けた。


「アタシの頭はイカレてなんかいない。ただ現実を伝えてるだけ――」


 その言葉が耳に届いた瞬間、大星は祈里の襟元を乱暴に掴む。

 大星と穂月は祈里との付き合いは長い。共に一緒になって笑い合ってきた友達だった。

 だから、祈里だってそんなことを口にすれば大星が怒ることくらいわかっているはずだ。

 だが祈里は抵抗する様子もなく、大星に掴まれたままの状態で、


「穂月ちゃんは助からない。それが現実」


 と、抑揚も無く、そう言った。


 重苦しい沈黙が薄暗い室内に立ち込める。


「……ハァ、話になんねぇわ……。話になんねぇよ」


 先に退いたのは大星だった。襟元から手を離し、呆れきった表情で立ち上がると、座ったままの祈里を侮蔑の篭った視線で見下みくだした。


「何が有り難ぇ話だ。聞いて損しかしてねぇわ。アンタのその現実とやらは神様にでも聞かせてやってくれや。オレはそんなん絶対認めねぇし関係もねぇ。オレはオレでやれることを探す。そんで、オレが穂月を助ける。他の誰でもねぇ、オレが助けんだよ!」


 穂月の健康を神に願った。それを自分で叶えるのだと決めた。

 その思いの丈をぶつけ、大星は立ち去ろうと背を向ける。だがその束の間、その背に向けて「フッ」と鼻で笑ったような嘲笑が浴びせられた。


「あぁん?」


 眉間に皺を寄せた大星が振り返ると、その目の前には音もなく立ち上がっていた祈里の顔があった。先程とは逆の立場。今度は祈里が射殺すような視線で大星を睨んでいる。


「アンタがそんなんだからっ、アタシは穂月ちゃんが助からないっつってんだよ!」


 唐突に近付けられた祈里の鬼気迫る表情。しかし、こう何度も穂月の不幸を口に出されては引き下がれるはずもない。大星は負けじと祈里の額に自分の額を付け、ゼロ距離での視戦に応じた。


「『そんなん』ってなんだ」

「アンタの覚悟がそんなもんかってことさ」

「覚悟だぁ?」

「アンタ、やれることを探すっつったね。甘すぎるんだよ」


 祈里の吐息が嘲笑うかのように大星をくすぐった。


「それのなにがっ」

 ――ドォン


 いけねぇってんだ、と言葉を続ける前に、祈里に右肩を押された大星は襖へと倒れ込んだ。とても女とは思えないほどの力だった。


「ってぇなぁ、くそっ――」


 大星は勢いよく祈里の顔を見上げる。

 すると祈里の表情が一変していた。あまりの変わり様に戸惑うほどに。


「大星、アンタ一人じゃどうにもならない。やれることだけじゃダメ。ダメなんだよ――」


 そう呟く祈里。一瞬前、怒気を孕んでいたそれは今やその影もなく、涙こそ浮かべていないが泣いているように見えた。


「な、なんだよサト姉、アンタなにが言いてぇんだよ? オレにはさっぱり分からねぇ!」


 動揺していた。今日の祈里は何から何までらしくない。


「――とてもじゃないけど聞かせられない。大星、アンタの本気がアタシには全然見えてこない」


 祈里は大星から逸らした目をグッと伏せる。


「なんだよそりゃ……。オレのどこが本気じゃないっつうんだよ? 自分で言ってたじゃねぇか。昔っからオレは穂月のことばっかり考えてるって。それの何がいけねぇ? やれることだけじゃダメ? 穂月は助からない? 聞かせてくんなきゃ分かるもんも分かりゃしねぇだろ!」


 怒り、苛立ち、混乱、そして切なさ。そんな感情が入り混じった顔で大星は訴えた。


 しかし、祈里は何も言わず、目を伏せて俯いたまま。

 その時だった。


「もうそのくらいにしてあげなさいよ」

「かわいそうです……」


 祈里の後ろの方から声がした。子供――、女の子の声。

 だがそこに人の姿はなく、代わりにあったのは、


「ウサっ……、あぁん? オマエら、この前の――」


 そう、あのウサギたちだった。耳の立った黒ウサギと耳の垂れた白ウサギ。祈里の背後から出てきた二匹は、揃ってぴょこぴょこと大星の元まで近づくと後ろ足で立ってみせた。


「しゃべっ、喋った、か、いま……」


 大星がその二匹に戸惑いの視線を送り続けていると、


「なによ?」

「あ、おはなしの邪魔しちゃってごめんなさい」 


 二匹はさも当たり前といわんばかりに言葉を発した。


「いやいやいや、おいおいおい、なななななんだよこれ!?」


 突然の出来事に大星は悲鳴に近い声を上げた。

 それをよそに、祈里と二匹はさも平然と会話し始めた。


「くろこ……、ましろ……。いいって言うまで出てくるなって言っておいたでしょ」

「祈里ってばイジメ過ぎなのよ。あっ、でも、わたしは別にっ、コイツがイジメられててもどうも思わないんだけどっ」

「え~、くろちゃんが行こうって言ったから出てきたのに~」

「こらっ、しろっ、それは内緒にしておきなさいよっもうっ」

「あっ、ごめんね、くろちゃん」


「くろこ、アタシはねぇ、これからの大星には覚悟が必要だと思ってワザと厳しくしていたの。別にイジメてたわけじゃないんだよ?」

「大星さんの覚悟ならあの時にもう伝わっていました。ね、くろちゃん」

「ま、まぁね……」

「ちょっと、ましろまでそんなこと言うの~。これじゃあアタシはただの悪者じゃない……」


 三人、いや一人と二匹の会話はまるで友達同士のように弾んでいた。その一幕を前にして、大星は心穏やかではいられなかった。


「おいって! だからなんなんだよそれは?」


 完全に置いてけぼりを喰らった大星がそう声を上げると、すぐさま祈里はパンっと手を合わせた。


「悪ィね、大星。騙すつもりはなかったの。アタシは必要なことだと思ってやってたんだけどさ、この子らがあんまりイジメるなっていうから、一応謝っておく。ごめん」

「あぁん? あ、ああ、オレも手叩いちまったし、いい――、いやよくねぇけども……」


 よく分からないながらも、祈里が何か意図を持って話をしていたことだけは大星にも察しられた。だが、それよりもまずは目の前で起きている珍現象についての説明が欲しかった。


「コイツら、ホントにウサギなのかよ?」


 大星が二匹を指差してそう呟くと、不満そう――、かどうかは読み取れないが、ウサギたちは大星にその顔を見せるように振り向いた。

 二匹はどう見てもウサギだった。しかし九官鳥でもあるまいし、言葉を喋るウサギなど聞いたこともない。しかも会話が成り立っているのだ。鳴き声が言葉のように聞こえたとかいうレベルの話でもなく、もうここまでくると童話の世界にでも紛れ込んだと考えた方がまだ納得できる。その内にトランプの兵隊が出てきたっておかしくはない。


 しかし、そんな大星の混乱ぶりを逆撫でするように、


「アンタ、わたしたちがウサギじゃなきゃ何に見えるっていうの?」


 と、くろのと呼ばれた黒ウサギが。そして、


「大星さんって、もしかしてウサギ見るの初めてなんですか?」


 と、ましろと呼ばれた白ウサギがそれぞれに口にした。


「くっ……、なんだよ、やけに挑発的じゃねぇか……」


 大星は唇を噛みしめた。


「こらこら」


 ようやくこの状況を見兼ねたらしい祈里が二匹に話し掛ける。


「二人とも、大星が混乱しちゃっててかわいそうだから」

「ん、もうっしょうがないわねっ」

「う、うん。そ、それじゃくろちゃん、せーのっ、だよっ」


 すると二匹はそれぞれ返事をしてからピョンッとその場で前方宙返りをして見せた。


「うおっ」


 大星もそれを見てサーカス級の芸だと思った。だが、次の瞬間に二人が見た光景はまさにイリュージョンをも超越した衝撃的なものだった。


「……んぁが?」


 大星の口から変な声が洩れた。それほどまでに唐突だった。

 前宙した二匹のウサギが地面に着地する時、なんとその姿が人間の少女に変貌していたのだ。見た目からして十歳ほどの、しかもどういうわけかバニーガールの衣装にその身を包んでいる。


「どう? これでいい?」

「あ、あれ? 大星さん?」


 それを目にした大星は口をポッカリ開けたまま「…………」と硬直した。


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