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#1 大星とウサギ③

初詣の後、暴走するトラックから穂月を庇い撥ねられてしまった大星。

目覚めると、そこには……。

 むずむずとする鼻。頬に当たる湿った感触。

 違和感を覚えた大星は重い瞼をゆっくり開けると、薄暗い室内にぼんやりと浮かぶ白い天井が目に入った。いつの間にか夜になっているらしく、ここが自分の部屋でないことだけは分かった。

 

 すると突如、左右から毛玉のような物体が視界へと入ってきた。


「……あぁん?」


 二つの毛玉はごそごそと動き出すと大星の胸の上に乗っかり、その円らな瞳と湿った鼻、愛くるしい顔を覗かせた。


 二匹のウサギ。黒と白。


 二匹は潤んだ瞳でジッと見つめてくるが、大星はどうすればいいか、どういうことなのか何も分からず、ただボーっと見つめ返していた。


「あっ、目、覚めた?」


 女の声がした。しかし、胸の上にウサギがいるせいで首を傾けようにもままならない。


「はいはい、ちょっとどいてね~」


 声の主は二匹をどかし、大星に顔を見せるように覗き込んでくる。


「え、サト姉、か……?」


 大星は一瞬誰か分からなかった。祈里は巫女装束から私服姿へと着替えており、髪も下しているので印象がだいぶ違う。巫女姿以外の祈里を見るのは久しぶりだった。


「具合どう? 辛くない?」


 そして何より、午前中とのギャップが激しすぎたのだ。


 心配するようにそう声をかけてくる祈里は、へべれけ状態の緩みきった顔でなく、どこか優しく、どこか申し訳なさそうに微笑んでいる。

 大星は祈里のこんな顔、今までに見た記憶がなかった。子供の頃からの付き合いではあるが、いつも太陽のように笑っているか鬼のように怒っているかのどちらかだったし、ここ最近にしてみればタコのような酔っぱらった顔しかしていなかった。


「ちょいサト姉、どうしちまったんだよ、頭大丈夫か?」


 まるで別人のような祈里に対して、大星は思わずそう口走っていた。


「そりゃトラックにブッ飛ばされたアンタの方でしょっ!」

「あぁん? トラック――?」


 卯上神社。大凶。二匹のウサギ。しゃがみ込む穂月。そして回る世界。

 大星の頭の中に朝の記憶が蘇る。


「穂月、穂月はっ、痛っっ……」


 無理やり体を起こそうとして全身に痛みが走る。大星はそこでようやく自分がトラックに撥ねられたのだと自覚し、ここが病院のベッドの上であるということも理解した。


「ほらっ、その程度で済んだからって無理しないっ」


 祈里はもがく大星の背中に手を入れ、そっと抱き起こす。

 聞けば大星の容体は額に軽い裂傷、その他各所に擦過傷と打撲のみ。とても大型トラックに弾き飛ばされたとは思えないほどの軽傷らしいが、そんな自分のことなどどうでもよかった。


「穂月ちゃんならこっちのベッドよ」


 祈里がそう言って閉められていたカーテンを開ける。そちらへと目をやれば、確かに隣のベッドでは穂月が横たわっており、静かな寝息が聞こえてきた。すぐ脇には点滴の台が立てられている。


 大星は穂月の顔を見てホッとしたのも束の間、


「つか、なんで穂月までここにいんだ? もしかして怪我したんか?」

「ううん。怪我じゃないの」 


 首を横に振る祈里を見て、大星はすぐに察した。


 元々体の弱い穂月だ。急に走ってしまったこともそうだが、大星が目の前で事故に遭ったことにもショックを受けたのだろう。


「穂月ちゃん、アンタが撥ねられた後ね、真っ青な顔して取り乱してた。それでだいぶ体に負担がかかっちゃったみたい」


 大星や祈里がこれだけ話をしていても目を覚まさないのは、鎮静剤によって眠っているからのようだ。


「もしかして、入院――」

「……ええ、そう聞いた」


 大星はがくりと項垂れた。穂月が心配なのもある。それにこの時期に入院となると受験に影響が出るのではないかという不安もある。


「オレのせい、だな……」


 だがそれ以上に自らの責任を感じていた。


「それは違う。アンタは穂月ちゃんを守った。でしょ?」


 祈里は真っ直ぐな声でそう言うが、大星にはとてもそんな風に思うことはできなかった。

 やるせない思いに暮れる大星は拳を固く握り締める。


 すると足元まで退かされていたウサギたちが再び近付いてきた。二匹は湿った鼻先を大星の拳にちょんちょんと当ててきて、まるでその仕草は大星を心配しているかのようだった。


「なに病院に動物持ち込んでんだよ」

「あ~、元を辿ればこの子たちに責任があると思ってね、連れてきたのよ」


 祈里は言う。

 どうやらこのウサギたちはあの時飛び出していった二匹らしかった。大星は改めて二匹に目をやると、黒と白のふわふわは大星の膝の上で丸まって、潤んだ瞳でジーっと見つめてくる。


「さ、存分に叱ってやってちょうだい」


 二匹はその言葉の意味を理解したようにキュッと縮こまった。


 大星はそんな二匹にそっと手を置く。


「――怪我は、してねぇみたいだな」


 考えようによっては、この事態を招いたのは確かにこの二匹が発端だったかもしれない。だがこんなに愛らしい姿を見せられては叱る気など失せてしまう。それに、元より大星そんなつもりなど在りはしなかった。


「穂月に感謝しろよ? オマエらを助けたのは隣で寝てるアイツだ」


 大星が二匹の背中を撫でてやると、怯えたように固まっていた背中が徐々に温かみを帯びて解れていく。


「叱らなくていいの?」


 祈里は意外そうな顔をしていた。


「いいも何もねぇだろ。相手はウサギだぞ? 飼い主でもいりゃ話は別だけどよォ」


 躾のなっていないペットは飼い主の責任だ。大星がそう返すと、祈里は見るからにギクリとした。


「あぁん? もしかしてこの二匹、神社で飼ってんの?」

「えっ、いや、その、まぁ飼ってるっていうか、住んでるっていうか……」


 どうにも歯切れが悪いが、おそらくは神社に住みついた二匹にエサでもやっていたのだ。野ウサギにしてはやけに人懐っこいのはそのせいだろう、と大星はあたりを付けた。


「あ~、え~っと……、ごめん」


 祈里は何やら迷った挙句、ペコッと頭を下げた。


「いやいや、ああは言ったけど別に謝ることはねぇさ。結局は上手くやれなかったオレが悪ィ」


 たとえ祈里が本当の飼い主だったとしても、大星はそれでどうにかしようなどとは思わなかっただろう。自分や穂月を案じてくれている気持ちは重々感じていたし、このくらいで――、というには少々大事めいてしまったが、そう簡単に崩れるような間柄でもない。逆に大星の方が迷惑をかけてしまった申し訳なさを感じてしまっているくらいだ。


 誰のせい、誰の責任、そんな話は別にどうだっていいのだが、大星はそう思いつつ、あえてそこを突き詰めた時にどうしても引っ掛かってしまうだろう一つの要因が頭の片隅に過っていた。


(大凶、か……)


 今朝引いたおみくじ、実に五年連続となった大凶のことが気になっていた。引いた傍からこの事態では、過去の経験がある大星にとっては気にするなというのが無理な話だった。


「やっぱコレ、気にしてる?」


 祈里もそんな様子に気付いたのだろう。その手には件のおみくじをひらひらとさせている。


「今年も当たった、ってことになるのかな。うちのおみくじはすごいわ」

「ここまで当たってんのはオレだけな気もするけどな」

「ま、そうかもね。でもまぁ、アンタにだけ当たるおみくじだとしてもさ、悪いことばっかりじゃないといいよね」


 どうせ当たるなら良い方のことが当たってほしい。おみくじにしても占いにしても、それを見る者、聞く者ならば誰でもそう思うはず。それが叶えたい願いについてならなおさらだ。


「『叶えよ』って、中には『え~』って感じる人もいると思うのよね。せっかくおみくじ引いたのに『自分で何とかしなさい』って、神様に言われちゃってるみたいでさ」


 言われてみればそうかもしれない。『叶う』とされていれば単純に喜べるし、『叶わない』とされていればそれはそれで考えることもできる。しかし『叶えよ』ではおみくじを頼ってきた者を見放しているように取れなくもない。


「でもアタシはなんかカッコイイって思ったなぁ。だって男らしいじゃない? 願いは自分で叶えるモノだ~なんて」


 別に大星は祈里のようにカッコイイなどとは思わなかったが、確かに小さな希望は感じていた。むしろ見放されたと思ったのは大凶を引いた瞬間だったが、それも『願望――叶えよ』の一項目のおかげで救われたといってもいいほどだった。


「大星、アンタ早速一つ叶えたんじゃない?」


 大星の願望は穂月の健康と受験祈願だ。いきなり不安な出だしにも思えるが、見方によっては穂月に降りかかる大事故を何とか防げたともとれる。祈里はそういった意味で言ったのだろう。


「結果として穂月は倒れちまった。こんなんじゃ願いを叶えたなんて言えねぇし、言いたくもねぇよ」


 大星にしてみればこんな結果で納得できるはずはなかった。自分さえもっと上手くやっていれば――、そんな後悔しかない。


「あぁん? つか、なんでオレの願い事を知ってんだ?」


 祈里はまるで大星が何を願ったのか、それを正確に把握しているような口ぶりだった。


「ええっ? あ~、だから、ほら……、アンタってばさ、昔っから穂月ちゃんのことばっかりだったじゃない! そう! だからそうかなぁってなんとなく思っただけよっ」


 その様子はどことなく言い訳がましくも感じられたが、祈里にならばそう思われても仕方なくはある。


 子供の頃から体の弱かった穂月は入退院を繰り返すことも多く、学校も休みがちになり、そのせいでなかなか友達もできずにいじめられたりすることもよくあった。大星はそんな妹を守る為、常日頃から強くありたいと思い続けていた。

 元より力は強く、足も速かった大星。だが、何も小さいの頃からこんな喋り方をしていたわけではない。穂月をいじめようとする悪ガキどもを追い払う為、意図して威圧的な態度を取り続けてきたのだ。この目つきも昔はもう少しパッチリとしていたが、しかめ面を続けるせいでどんどんと鋭くなった。


 その甲斐あって穂月がいじめられることはなくなったが、大星の噂が広まったせいで友達もよりできなくなった。


 それでも、ずっと穂月の傍にいてくれた内の一人が祈里なのだ。祈里から見れば穂月は九つも下。当時は高校生、もしくは大学生だったにも関わらず、祈里は小学生の穂月と一緒になって笑い合っていた。


 そんな祈里だからこそ、大星がいかに穂月を大切に思っているか重々分かっている。穂月のことばっかりだと言われても大星には反論のしようもない。


「前さ、近くの建設現場んところで穂月が倒れたことあったろ?」

「ああ――、あった。覚えてる」


 大星が中学二年、穂月が小学六年の秋頃、いつもの診察を済ませた穂月と一緒に病院から帰る途中のことだった。


「あん時さ、サト姉がたまたま通りかかってくれなかったらって思うとよォ、未だに怖くなんだよなぁ。周りに誰もいなかったし、オレも焦っちまってたし……」

「あれは仕方ないでしょ」


 アパートの建設現場。強風により組み上げられていた足場の一部が崩れ、その下をちょうど通りかかった大星と穂月に目がけて落下してきた。それにいち早く気が付いた穂月が大星の袖を力いっぱい引っ張ってくれたおかげで巻き込まれずに済んだのだ。今朝のトラックの一件の逆の立場といってもいいだろう。だが、ショックで穂月は具合を悪くし、その場で倒れてしまった。また、死の危険を間近に感じた大星も気が動転してしまっていた。


 そこに偶然祈里が現れなければどうなっていたかなど、正直想像したくないことだった。


「穂月がいなきゃオレは死んでた。つかよ、二人揃って死んでただろうな。こういうのってアレだ、一蓮托生ってやつ。せっかく兄妹揃って助かったのにオレだけがピンピンしててよォ、アイツだけがずっと苦しんでるっつうのはなんか納得できねぇ」


 あの時のようにうろたえるだけじゃいけない。今回のように中途半端に守るだけじゃいけない。ましてや二人して不幸になるのも願い下げ。大星の願いはその先にあるものだった。


「だからオレは叶える。これは穂月の為でもあんだけど、オレ自身の為でもあんだよ」


 大星がそう言い終えると、まるで話に耳を傾けていたかのように膝の上でじっとしていた二匹のウサギが急にもぞもぞ動き出し、大星の体に自分の体を擦り寄せてきた。


「あぁん? くすぐってぇ……、つか痛ぇ、痛ぇって」


 怪我で上手く身動きが取れない大星はもがこうとするも為す術がない。


「…………」


 その様子を祈里は黙って見守っていた。


「おいっ、見てねぇでコイツら何とかしてくれっ」


 大星の必死な救援要請も無視し、祈里は「ふぅん、そうなの――」と訳知り顔で頷くと、


「大星、アンタ退院したらすぐ神社に顔出しなよ」と、一言。

「お、おう、急になんだよ?」

「見舞いにきてやってんだから、退院の報告くらいしにくるのが礼儀ってもんでしょ?」

「いや、まぁ……、んなこと別に改まって言わねぇでも顔くらい出すって」

「その時にでも祈里お姉さんが有り難いお話を一つ聞かせてあげよう。一応、今日のお詫びとお礼ってことでね」

「あぁん? 酔っぱらいの話なんざ有り難くも何ともねぇし」


 神社にいる時の祈里はほぼ確実といっていいほどに一杯やっている。ただでさえ酔うと絡んでくるのだ。「話を聞かせてやる」などと宣言されれば、わざわざ地雷を踏みに行くのとなんら変わりない。


 祈里はあからさまに嫌そうな顔を見せた大星にデコピンを一発喰らわせると、ピッタリとひっついていた二匹のウサギを抱きかかえた。


「話ってのは願いを叶える――、そう、コツみたいなものだから。騙されたと思って聞きにきなさい」


 そう言った祈里の目はとてもまっすぐに大星を貫いていた。抱かれた白と黒の二匹は名残惜しそうに大星を見つめている。


「とりあえず、いまは安静にして早く治しなね」


 そうして病室から出ていく祈里とウサギたち。


「…………」


 先程の優しげな表情もそうだが、祈里の真面目な顔もまたあまり見慣れたものではなかった。


 と思いきや、祈里はすぐまた病室へ顔を戻し、「言い忘れてた」と舌を出す。


「さっきまでね、なっちんがお見舞いにきてたよ。アンタらなに? もしかしてデキてんの?」

「あぁん? な、なに言ってんだよっ」

「うそうそ。倒れたアンタたちを見つけたのがなっちんなんだ。退院したらお礼しなさいよ」

「おお、そうか、分かった」

「んじゃ、お大事に~」


 そして今度こそ去っていく。


 すっかりいつも通りに戻っていたが、その前の見慣れない祈里の様子には胸がざわつく思いがしていた。


 それが何を物語っていたのかを知るのはこれより六日後、大星が退院した日のことになる。

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