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#5 幸せを感じる瞬間(とき)⑤

「奈智、お前は少し席を外しなさい」


 十五分ほどして、奈智が自らの父であり、穂月の主治医でもある岬先生を連れて帰ってきた。今日の先生はまだ出勤前だという話だったが、その身にはすでに白衣を纏い、完全に医師として目の前に立っている。


「あ、いいんです、先生。なっちんにも聞いてほしいから……」


 穂月がそう言って奈智を引き止める。すると岬先生はコクリと一つ頷きを入れてから、その口を開いた。


「正月ここに運ばれてきて以来、穂月ちゃんには色々と検査を受けてもらっていたんだけどね。その検査結果を見る限りでは、どうにも病状が進行しているんだ」


 やはりそういう話か、と大星は思った。わざわざ先生の口から話してもらうなどと言われれば嫌でも察しが付く。


「ここ一年くらいは比較的安定していたと思う。症状的に診ても内科的治療で十分に日常生活は送れていたよね。激しい運動とかはさすがに難しいけど、入院しなくちゃいけないほどでもなかった」


 穂月が前に入院していたのは小学六年の頃。それから約三年間、特にここ一年くらいは大きく体調を崩すことなく過ごせていた。


「いままでは穂月ちゃんの年齢的な面も考えてそれがベストだと考えていたんだ。でもね、今の穂月ちゃんの状態は外科的処置、つまり手術を必要とするか否かのギリギリのラインまできてしまっている」


 岬先生は大星に一枚の紙を手渡した。


「手術……」


 その紙は手術の承諾書だった。未成年の穂月に手術を執り行うには保護者の同意が必要となってくる。


「うん。ただ、手術をしたからといって劇的に回復するかといわれるとそうじゃない。あくまでその可能性がある、というくらいに思ってほしい。それでも、手術せざるを得ない状況になってしまう前、つまり今ならその可能性が高いといえるのは事実なんだけど」


 先生の言いたいことは大星にも分かる。徐々に悪くなっている穂月の現状を考えれば、遠からずその『手術せざるを得ない状況』というのがやってきてしまうと考えるのは必然だ。そうなる前に、岬先生はこうして選択肢を提示してくれている。


「医師の立場からすると、今の段階ではどちらの方がいいと断言することはできない。患者さんの希望次第になる。大星くん、一度お母さんとも相談してくれないか? お店が忙しいとは思うけど、できれば病院の方に来てもらって詳しい話をしたいと思っている」


 矢場家は自営業を営んでいる。自宅一階が店となっており、岬先生も贔屓にしてくれている為、その辺りの事情も察してくれていた。

 大星は承諾書に目を落としたまま、黙りこくる。別に真剣にそれに目を通していたわけではなく、穂月の病状がここにきて悪化していることについて考えていた。


 祈里から話を聞いて以来、穂月には毎日欠かさず幸福の補充を行った。最終的にはこんな状況になってしまった原因を何とかしなければならないのもすでに理解している。

 穂月にとっての最大の不幸とはやはりこの『病気』なのだ。

不幸によってもたらされた病気だが、それがいつまでも治らないことに穂月自身が落ち込んでしまっていた。それで運を自ら掴めなくなり、窮地に立たされている。これさえなければ学校にも普通に通え、友達もでき、受験で悩むこともなかっただろう。


 だが、予想以上に事態は深刻だった。


 一日一個の兎大福で賄えるはずのものがそうはいかなくなっていた。くろことましろに言わせれば少しずつ悪くなっているとの事。


 その理由――。

 奈智もすでに気づいているようだった。大星ももちろんわかっている。

 わかった上で訊いた。


「穂月、オメェはどうしたい?」

「え、えっ、わたし……?」


 穂月は動揺を見せた。いきなり話を振られたから、ではないだろう。


「ああ。親に相談する前にオメェ自身がどう思ってんのか知っておいた方がいいだろ?」


 大星がそう言うと、穂月はただ一言だけ、


「……わかんない」


 と、呟いた。


 手術を受けるか否か。どちらを選んでいいか分からない。そう穂月は言ったのだ。


「そうか」


 大星が穂月の肩に手をやると、小刻みな震えが伝わってきた。


「……んじゃオレはいまからおふくろに話してくるわ。祐佳が戻ってきたら奈智のこと紹介してやってくれ」


「あ、うん……」


 大星はそのまま病室を出た。そして振り返り、奈智に視線を送る。


「……」


 奈智は瞼だけで頷いた。やはり奈智も全て分かってくれていた。





「大星くんっ」


 階段を下りようとしたところで岬先生に呼び止められた。


「僕、まだ勤務時間前だからさ、お母さんに話しに行くなら同行しよう」

「ありがてぇっす。すんませんが頼んます」


 岬先生は本当にいい医師だ。ここまで親身になってくれる医師に巡り合えたのも、穂月の掴み取った幸運に違いない。


「あ~、先生、ちょっと確認しておきてぇことがあんだけど、いいっすか?」

「ん、なんだい?」


 矢場家までの道中、大星はそう切り出した。両親に手術の件を伝える前に、どうしてもハッキリさせておきたいことがあったのだ。岬先生に呼び止められなくても、ロビーで待っているつもりだった。


「あのよォ、さっき先生は手術しても劇的に良くなるかはわかんねぇつったよな?」


「ああ、うん。僕も医者として、すぐにでも病気を治してあげたいと思ってる。けど、今の医療ではそう言わざるを得ないんだ。すまない……」


 岬先生は立ち止まり、その場で頭を下げた。


「ちょっ、やめてくれっ。別に先生を責めるつもりはねぇし、先生のことを信頼してっし、穂月だってそう。オレが訊きてぇのはそういうことじゃねぇんすよ」


 大星の慌てた様子に、岬先生も顔を上げる。


「仮に……、もし仮に手術して良くなったとしたらさ、穂月はすぐに退院できてバリバリ動けるようになったりするんすかね?」


 もしそうならば、手術の可能性に賭けるという選択肢も重々に在り得るものになる。穂月が迷う理由にもなるのだが。

 岬先生は大星の質問の意図するところを察したらしく「ああ、なるほど」と首肯してから、


「残念だけどすぐにとはいかない。病気が完治したかどうかは経過観察が必要になってくる」


 それにただでさえ体力のない穂月が手術をするのだ。その回復だけにも時間は必要になるだろう。


「まぁそうっすよね。ちなみにそれは……」

「うん、穂月ちゃんにもそう話してある」


「そう、すか……。オレが訊きたかったんはそれだけっす、ども」


 大星はペコッと頭を下げ、二人は再び歩き出した。

 穂月も手術を受けることでどうなるのかを理解している。その上で、どうするかの答えを出せずにいるということだ。

 それが何を意味しているのか。


(くそっ穂月のヤツ、なにが『わかんない』だ……)


 大星は心の中で呟いた。




 *――


「ただいまー、……アレ?」


 喘息の投薬が終わったらしい祐佳は病室へ帰ってくるなり、首を傾げた。初めて見る顔があったからだろう。


「祐佳ちゃん、おかえり。あ、紹介するね。わたしとお兄ちゃんのお友達で、岬先生の……」

「あっ、もしかして……、『超すげぇ』奈智さん、ですか?」


 穂月の紹介を遮った祐佳はやや緊張しながらも、まるで憧れているアニメヒロインを見るような目をしてそう言った。


「え~、矢場くんがそんな風に私のこと話してたの?」

「うん。頑張って病気も治したし、勉強もできるし、友達もいっぱいいるし、しっかり者だし、もう『超すげぇ』って言ってた」


 祐佳は更に目をキラキラとさせている。


「うん、なっちんはホントにすごいんだよ~。ってことで、この子が隣のベッドの藤江祐佳ちゃんです」


 穂月は改めて奈智を祐佳に紹介した。


「あ、岬奈智です。穂月ちゃんとはもうお友達になったんだってね? 私ともなってくれるのかな?」


「えっ、いいのっ?」


 奈智が手を差し出すと、祐佳はそれを見つめて驚いたように声を上げた。


「もちろん。私も祐佳ちゃんのこと矢場くんから聞いてね、ぜひお友達になりたいって思ったの」


「うわぁ~、ホントに大星お兄ちゃんの言った通りになった~!」


 祐佳はガシッと奈智の手を握り、それをブンブンと振る。


「なっちんさん、わたしとお友達になって! でねっ、でねっ、どうやったらなっちんさんみたいに『超すげぇ』になれるか教えてほしいのっ」


「ええ~、私なんか全然すごくないよ?」


 奈智は祐佳と手を繋ぐ形になってベッドまで連れて行く。


「あ~、それ大星お兄ちゃんが言ってたぁ。なっちんさんは『自分なんか』って言って頑張ったんだって」


「矢場くんってばそんなことまで話したんだ? うん、でもそう。私が病気だった時ね、自分なんか落ち込む資格ない、頑張ろうって思ってた。そう思えたのはこの穂月ちゃんのおかげなんだよ?」


「え~そうだったの~? 大星お兄ちゃんはそこまで教えてくれなかった」


 奈智の言葉に祐佳は驚いていたが、穂月までもが同じく驚いたような顔をしていた。


「穂月ちゃんにもちゃんと話したことなかったけど、私が頑張れたのはね、穂月ちゃんが頑張ってる姿を見せてくれたからなんだ」


 奈智はチラリと穂月を見た。穂月は俯き、黙って耳を傾けている。

 奈智は続けた。


「疲れちゃうときもあったし、挫けちゃいそうになったこともあった。でもね、私のことを心から心配してくれる人がいて、私よりも頑張ってる友達がいた。祐佳ちゃんの傍にもそういう人がいてくれる。このことをずっと忘れなければ、きっと『超すげぇ』になれると私は思うな」


「そっかぁ~、じゃあ穂月お姉ちゃんも『超すげぇ』なんだねっ?」


 ベッドに座った祐佳が顔を覗くように話しかけるが、穂月は笑顔を見せただけで何も言わなかった。


(穂月ちゃん……)


 奈智の目には、その笑顔がとても、とても悲しそうに見えたのだった。


 ――*

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