#5 幸せを感じる瞬間(とき)①
「山王高校野球部対天川高校野球部の対抗戦は『4―5』で天川高校の勝利です」
『ありがとうございましたっ!』
両校のナインが整列し、互いに礼を交わす。
これにて試合は終了だが、何も問題が解決したわけではない。
「天川高校の皆さんっ、荒れた試合になってしまい、申し訳ありませんでした!」
両校ベンチへと引き下がる前に、山王の一人がそう言って頭を下げた。どうやら四番を打っていた彼が部長なのだろう。その彼に他の部員も倣っている。
天川高校の一年生部員たちがその様子に圧倒されている中、笹原が一人歩み出て、相手の部長に手を差し出した。
「アナタ方は最初から最後までちゃんとプレイしてたじゃないですか。悪いのは虎丸一郎太一人ですよ」
そうして部長同士が握手を交わす。
「ああ、実際そうみてぇだぞ」
そこに口を挟んだのは大星だ。「おーい、奈智」と戻ってきていた奈智を呼び寄せる。
「みんなお疲れさま。笹原くん、最後のヒット凄かったね~。あ、矢場くんも、えっと、ナイス……、あ~、何て言うんだっけ?」
小走りで駆け寄ってきた奈智は開口一番笹原を褒め称え、大星には微妙な表情を向けながら首を傾げる。
「振り逃げです。岬先輩」
「あっそうそう、えっと、ナイス振り逃げ? だったよね」
笹原がわざとらしく教え、奈智も自信なさげにそう言った。
「うるせぇ、どうせならオレの華麗なベースランニングを褒めろっ」
九回裏、先頭バッターだった大星が三振振り逃げで出塁。
その後、退場したキャッチャーの代わりに九番バッターとなった笹原が左手の怪我をおしつつ、右中間へのタイムリーヒット。
大星の全力疾走の甲斐あってホームでのクロスプレイの末にサヨナラ勝ちを収めたのだ。
「まぁそれはともかくよォ、どうなんだ? 調べは付いたか?」
「うん」
先程笹原が言ったことは大星の予想通り、まさに本質をついていたのだ。
「例の『のぞき』、虎丸くんの単独行動だったみたい」
試合前に耳にした山王部員の「巻き込まれた」という発言。それに引っ掛かりを覚えた大星は、山王で起こったという『のぞき事件』の全容をもう一度詳しく調べてもらうよう奈智に依頼していた。
先日、奈智が山王高校へ足を運んだ際は放課後ということもあって事情を知る人間が少なかったかもしれないが、今日は三年生を除くほぼ全校生徒がこの場にきている。奈智はその中で見事に情報収集の任を果たしてくれていた。
「あ、こっちの事情知ってたんすか。そうっす。アイツは一人でのぞきに入ったくせに、それに野球部も巻き込んだんす。それで俺たちはこの対抗戦に勝たないと活動停止処分って言い渡されて……。いくら無実だと言ってもなぜか聞き届けてもらえなかったんすよ……」
山王の部長は無念そうに話している。
「えっと、それはね、その『のぞかれた』っていうテニス部の女の子たちが野球部の人たちもその場にいたって証言したからなんだって。虎丸くんに脅されてたみたいだね。こっちで何とかするよって言ったら話してくれたの。校長先生にも本当のことを話すって言ってくれたから、処分は取り消されるんじゃないかな」
やはり奈智に頼んだのは正解だった。情報を集めるだけでなく、それをあっという間に解決にまで持っていくその手腕。国政を任せれば間違いなくこの国を導いてくれそうなほどに優秀で惚れぼれしてしまう。
「それホントすかっ? ありりゃとまっす!」
『ありりゃとまっす!』
山王野球部一同は奈智をまるで天から舞い降りた女神様かのように崇め奉った。
「じゃあ、あの脅迫も……?」
笹原がこっそりと耳打ちしてくる。
「ああ、そうだよな?」
「うん。この人たちは知らないことみたいだよ」
虎丸が笹原を脅した一件も独断で行ったことのようだった。そもそも試合を見ていて分かった。山王野球部は真面目に試合に取り組み、正々堂々と勝利を目指していた。笹原もそれを感じていたからこそ、こうして握手を交わしたのだ。
「そう、ですか、よかったです。でも……」
試合した相手に悪意がなかったことに胸を撫で下ろす笹原。だがこうして天川高校が試合に勝利した以上、虎丸は脅迫通りに事を実行に移すのは間違いない。
「おっと、こっから先はオレの仕事だ。笹原、オメェは病院行け。運ばれたキャッチャーくんが心配だろ?」
虎丸にやられた一年生キャッチャーはあの後すぐに病院へと運ばれた。おそらく岬病院だろう。
「あ、はい……、そういえば矢場先輩も頭は大丈夫なんですか?」
「いや、だからその言い方だとよォ……、ああ、まぁいいか。オレは見ての通りだ。いいから行け」
大星は面倒くさそうにシッシと手を振る。
「わかりました。また後ほど挨拶させてもらいます」
そう言うと、笹原は一年全員を引き連れて走り去っていった。
「あ、じゃあ俺らもこれで失礼するっす。おるられさっしたっ」
山王野球部も一礼の後に去っていく。
「矢場くん、私も見てたけど……、ホントに大丈夫なの?」
奈智も若干心配そうに顔色を窺ってきた。
「ん? 大丈夫だぞ。くろことましろが助けてくれたからな」
虎丸のバットが大星に振り下されたあの時、くろことましろが盾になってくれていたのだ。殴られたはずの後頭部ではなく、どうやら二匹に蹴られたらしい背中に衝撃を感じ、大星は前へと倒れた。その背中は多少痛むが、頭の方は全く持って問題ない。
今思えば、今年の元旦にトラックに撥ねられた際も二匹が守ってくれたのではないかと大星は思った。でなければあんな軽症で済むはずがないのだ。
「え、でもそれでウサちゃんたちは大丈夫なの?」
「ああ、いまもそこら中を駆け回って……、あぁん?」
くろことましろはウサギ姿のままでグラウンド、外野方面を駆けずり回っている。それはいい。二匹は広い場所にくると走り回らずにはいられないのだ。
それはいいのだが、
「あ、さっきから走り回ってるあの人、もしかしてウサちゃんたちと遊んでたりする?」
どうやら奈智は気付いていたようだ。しかし、大星はその光景を見て二重に唖然とした。
一つ。二匹のウサギが追いかけているのが大きなトラだったこと。
言わずもがな、そのトラはこがねだ。虎丸が連れ去られた今、なぜゆえこの場にとどまっているかわからない。しかも普通、自然界で鑑みれば追う追われるが逆にも思える構図だが、雰囲気的に見てもどうやら遊んでいるだけらしいことが見て取れる。
だが、この様子は奈智には見えていない。
もう一つがその光景を異常なモノへと変貌させていた。
なんと、その三匹の神使と共に走り回っている珍妙な生物がいたのだ。奈智にも見えているのだからそれは人であり、大星にも見覚えがあった。
試合中、生徒たちに混ざって観戦していた着ぐるみ。遊園地にでもいそうなマスコット然としたウサギの着ぐるみだ。その着ぐるみが重そうな体のままで三匹と一緒に追いかけっこしているではないか。
「あ~……、ありゃサト姉だな」
「ええっ?」
神使の姿が見えており、なお且つウサギの着ぐるみ。この場にくる予定だったのにまだその姿を見せていない人物。思い当たる人物は祈里の他にいない。
大星と奈智は外野へと移動し、
「なにやってんだよ」
と、声をかけた。
「あ、お疲れ~。いやぁこの子たち元気元気。野球見てて体動かしたくなったからさ、ちょっと走り回ってみたけどついてけないわ」
祈里は着ぐるみの頭部分をパカッと取って汗だくになった顔を晒した。
「いやぁ、それにしても大星! すごい活躍だったねぇ。あのデッドボール喰らった時なんて腹がよじれるくらいに笑ったよ」
どうやら聞こえてきていた笑い声は祈里のものだったらしい。
「他にも見所あったろうがっ、って、どわっ」
文句を口にした大星に覆い被さるようにトラ姿のこがねが乗りかかってきた。こがねは大星に抱きつく形で人の姿へと変わる。
「大星はぁん、試合ごっつかっこよかったでぇ。ウチ、ウチな、大星はんに惚れてしもたんや。ウチをアンタの女にしてくれへん? な、ええやろ?」
こがねは豊かな胸を押し付け、足を絡ませ、大星にピタリと身を寄せる。
「あ~! 不潔っ不潔っ!」
「大星さん、エッチな顔になってますよ?」
くろことましろもバニーガール姿へと変わって突撃してくる。
三人に押し倒される大星。
その様子が見えず首を傾げる奈智に、
「奈智ちゃん、気をつけないと大星のこと取られちゃうかもよォ?」
と、祈里が一言。
「え、ええ!? な、何の話ですか?」
「お、おい、サト姉、なに言ってんだよっ」
「なぁ、ええやろ~ってぇ。ウチの気持ち受け取ってやぁ」
「ちょ、ちょっと、離れなさいよっ」
「大星さんのお手伝いはしろたちがするんですっ」
くんずほぐれつのこの場を収拾する人物は、ここには存在しなかった。