#4 球技対抗戦⑧
そして続く二球目のことだった。
同じくアウトコースではあるが、一球目より明らかに外れたボール球。警戒しすぎた為にコントロールが乱れたのだ。
しかし、見逃すのも容易い一目で分かるボール球だというにもかかわらず、虎丸は思いっきりフルスイングをした。天川高校の誰もが「ラッキー、儲けた」と思っただろう。
だがその瞬間、鈍い音と共に、
「ぐわぁっ」
と、苦痛の叫び声が上がる。
ボールを受けたキャッチャーの声だ。
なんと虎丸はフルスイングした際に、その勢いのままでキャッチャーに目掛けてバットを振り抜いたのだ。バットはわき腹付近に強く当たり、キャッチャーは悶絶しながらうずくまる。
すぐさま選手一同が駆け寄った。
笹原も見竹マネも、審判や観客として試合を見ていた教師もその様子に集まってくる。
騒然とする会場。先程の大星のデッドボールの比ではない。
「おお? なんやすんまへん。ワイ、大振りなんですわ」
そんな中でただ一人、虎丸はへらへらとそう言い放つ。
「わざとだろっ!」
笹原が声を荒げて虎丸に詰め寄った。確かに、ちゃんと見ていた人ならば、それが故意であるとわかるほどにあからさまなスイングだった。
振り抜く際にわざわざ左手を離し、右手一本で大きく後ろへとバットを回す。その動作があまりにも不自然だった。
乱闘直前の緊迫した雰囲気に、警備を担当していた柔道部員たちもグラウンドへと入ってくる。
「なんやなんや、ごっつう人たち連れ添ってぇ……、って、あ、じぶん、天川高校の部長やん。どしたん、その手? 怪我してもうたんかぁ。試合に出てへんからどしたんかと思てたわぁ」
虎丸はしらじらしくもそう言い、
「ああ、でもなぁ、言い掛かり付けるんわスポーツマンらしくないで? わざとやゆう証拠なんてあらへんやろ。それともなんか証拠見せてくれるんか、あ?」
笹原は逆に虎丸に詰め寄られ、「くっ」と唇を噛みしめる。
「おいオメェ」
そこへ大星が割り込んだ。
「ん、誰や?」
虎丸がその視線を大星へと向ける。
「こがねから話は聞いてんだろ?」
大星がそう返すと、虎丸はマスク越しでも分かるほどにその表情をしかめた。
「ほな、じぶんが大星とかいうヤツかいな? なんやどっかで見たことあるような顔やが……、まぁええか。じぶんに言われた通り、ワイは首を石鹸で綺麗に洗ってきたんやで~。それでこんなに遅れてしもたんや」
「んなこたぁどうでもいい。随分と卑怯な手ぇ使ってくるじゃねぇかよ、あぁん?」
「じぶんまでそんなこと言うんかいな。まったく勘忍してほしいわぁ」
大星と笹原に睨まれた虎丸はポリポリと頭を掻く。
「すぐに救急車、いや、自分の車で病院まで運びます。あばらが折れてるかもしれない」
駆け付けた教師の一人がそう言った。キャッチャーは痛みに顔を歪めさせたまま、担架に乗せられて運ばれていく。
「あ、私も付き添います!」
そう言ってマネージャーも帯同していった。
「あれまぁ~、ほんに悪いことしてしもた」
虎丸はそう言いつつも、運ばれていくキャッチャーには目もくれず、
「ほな、試合を続けましょか。天川の部長はん、はよ代わりの選手出してぇな。あ、そういや人数ギリギリだったんとちゃうかった? どうしますのん? かわいそうやけど棄権ってことになるんかいなぁ?」
飄々とのさばった。
大星は今すぐこの場で虎丸を殴り飛ばしたい衝動に駆られた。拳に力が入り、今にも飛びかからんとした時だった。
「僕が出ます」
笹原がキャッチャーミットを手にしてそう言った。
「えっ、部長はんってば怪我してはんのやろ? 無理せぇへん方がええで? またバットが当たってもうたら大変や」
悪びれた様子もなく虎丸は言う。
「オメェ、ちょっと黙れ。笹原、こい」
大星は笹原を引っ張って、虎丸から距離を取る。
「あの野郎はまた仕出かすつもりだぞ。こっちの人数がいなくなるまでずっとキャッチャーに据わったヤツを潰す気だ。わかってんだろ?」
「わかってますよ。だから僕が出るんです。一年たちにこれ以上怪我はさせられない」
「あぁん? オメェが更に怪我しちまったら一緒だろうがっ。それにオメェ、その左手でどうやって球受けんだよ?」
「……だったらどうしろっていうんですか!」
笹原の覚悟は本物だった。こんなところで試合を終わらせるくらいならいっそ死んでもいい、とでも言い出しそうな眼をしていた。
「僕はやります。先輩、守備位置についてください」
「待て」
大星はそんな笹原からミットを奪う。
「邪魔をしな――」
そして、代わりに自分が持っていたグローブを差し出した。
「キャッチャーはオレがやる。オメェはライトに行け」
「でもそれじゃ……」
虎丸の餌食になる人間が変わるだけ。
「黙れ。試合に勝ちてぇなら言う通りにしろ。球もろくに受けれねぇオメェじゃ役に立たねぇっつってんだ。そのグローブもはめんな。ライトにつっ立ってボーっと空でも眺めてろ」
食い下がる笹原に大星は更に付け加えた。
「オレはよォ、トラックに轢かれても骨一本折らなかった男だ。それに比べたらバットくらい屁でもねぇんだよ」
「先輩……」
「オラッ急げ!」
大星は笹原の尻を叩いて送り出す。
「ちゅーわけで審判、試合続行だ。さっきのキャッチャーの代わりに笹原が入る。守備位置も交代な」
キャッチャーマスクと防具を装着し、大星はホームベース後ろの定位置へとしゃがみ込んだ。
「ほんまにアホやなぁじぶん。どうなっても知らへんで?」
左打席に入る虎丸が言う。
「フン、テメェ試合終わったらツラ貸せよ」
大星が言い返す。
「じぶんの入院先にでも顔出せばええやんな?」
「やれるもんならやってみろ」
二人の火花が散る。
「私語は慎んで。それから山王のキミ、スイングには十分注意するように」
審判からの忠告が入り、九回表二死ランナーなし、カウント1ボール1ストライクからの試合再開と相なった。
直球、変化球のサインなど知るはずもない大星は、ただど真ん中にミットを構える。真っ向勝負だ。一年生ピッチャーもそれに頷き、振りかぶる。
大星はどこをバットで殴られてもいいように全身に力を込めた。
――ズバンッ
構えたミットに気持ちの良い衝撃が伝わる。
「ストライク!」
審判のコール。虎丸はスイングしてこなかった。
「最後のチャンスやったのになぁ?」
「あぁん?」
虎丸は首をコキコキ鳴らして言った。大星はボールをピッチャーへと投げ返す。
「デッドボールでワイを退場さすラストチャンスや。そんで全員巻き込んでの大乱闘。盛り上がる展開になる思たんやけどな。案外腰抜けやな、じぶん」
そうなればすぐさま試合は中止になるだろう。虎丸はもはや勝つことすら考えておらず、おそらく初めから野球部のことなどどうでもよかったに違いない。
「いまは野球やってんだ。ケンカだったらあとで付き合ってやる。嫌ほどな」
「……そうなればええけど、な」
大星は再びミットをど真ん中へと構える。次は必ずフルスイングが飛んでくる。もちろん大星目掛けて、だ。
それでも逃げるという選択肢はなかった。ここまで両校とも良い試合をしてきたのだ。一人のバカにそれをぶち壊されたまま黙っているわけにはいかない。虎丸がどんな暴挙に出ようとも、こちらは野球で勝負する。
それこそが笹原の、野球部員の、そして大星の戦いだった。
ラストボール。ピッチャーのワインドアップモーション。
大星は再び全身に力を込めた。
ボールがピッチャーの手から放たれる。コースはど真ん中。ナイスボールだ。
その瞬間、虎丸が体の向きを変えた。前のように振り抜きざまにバットを当てるのではなく、スイング自体を大星に目掛けて繰り出したのだ。
狙いは後頭部か。
ビュンッと空を切る音が耳をつんざく。
そして、
――ドンッ
物凄い衝撃が『背中』と『左手』に同時にやってきた。
大星はその勢いに押され、前方へとつんのめるように倒れ込む。
観客のどよめき、近付いてくる足音。それに続き、
「グッ……、ど、どないなってんねん……」
虎丸の苦痛に歪む声が大星の耳に届いた。
大星は何もなかったかのように立ち上がる。
「先輩!」
周りには審判やチームメイトたちが駆け付けており、山王高校野球部員までベンチを飛び出してきていた。
「先輩、頭大丈夫なんですか?」
ライトから駆け付けた笹原が開口一番、そう心配そうに声をかけてきた。
「オ、オメェ、それだとオレの頭がおかしいみてぇじゃねぇか……?」
大星はキャッチャーマスクを取ると、審判に向けてミットの中身を見せた。
「三振バッターアウト、だよな?」
そこにはしっかりと収まった白球。
審判は「本当に大丈夫なのかね?」と確認してきたが、大星は「なんともねぇ」と、それに首を振ってアピールする。
「バッターアウト! そしてキミは退場だ」
大星の無事を確認した審判は手を抑えて立ち尽くす虎丸に向かってそう告げた。その一声に警備担当の天川高校柔道部員たちが一斉と虎丸の周りを取り囲み、場外へと連行しようとその両腕を掴む。
「ま、待てやっ! なんや、なんなんやじぶん! なにをしたんや!」
柔道部員に掴まれた虎丸はもがきながらに投げかける。
フルスイングで後頭部をぶっ叩いたはず。にもかかわらず大星は無事で、代わりに自分自身の両腕が強い衝撃により痺れている。まるで鋼鉄でも相手にしたように。
大星は虎丸の方に体を向ける。
すると、背中をよじ登ってきた二匹のウサギがその両肩からピョコッと顔を出した。
「なんやそのウサ公……、あ、あ、それがじぶんの神使かっ」
虎丸はその顔を驚きに染めながら、柔道部員たちに引き摺られていった。
「ウサ……? 何のことですか?」
笹原が訝しげにそう言うのに対し、
「さぁな。大方オレのことを獲物だとでも思ってたんじゃねぇか? アイツ、トラのマスク被ってるし、狩りといえばウサギだろ?」
と、大星はとぼけてみせる。
「そのウサギにまんまと後ろ足で蹴られたってわけですか」
「お、笹原テメェ、なかなか上手いこと言うじゃねぇかよ」
そんな軽口を叩きながらベンチへと戻る二人だった。
続く九回裏。
その二人の活躍によって、スコアボードに『1』の数字が刻まれることとなったのだった。