#4 球技対抗戦⑥
午前十時。定刻通りに試合は開始となった。
両校の出場選手たちがホームベースを挟んで整列をし、審判によって簡単なルールの確認と注意事項が説明されている。
しかし、そこに虎丸一郎太の姿はなかった。
「なぁ、虎丸はどうした? 試合には出ねぇんか?」
大星は整列の間際、向かい合った山王野球部員にこそっと話しかけた。その部員は怪訝そうにしながらも、
「あ? どっかいっちまったんだよ、アイツ。くそっ、張本人のくせして……」
と、答えた。
この様子だと本来は出場選手として数えられていたのだろう。
それはともかくとして、何やら引っ掛かる言い方だった。
「張本人って、のぞきの件か?」
「そうだっ、俺たち野球部は巻き込まれただけなんだ」
確か奈智の調べでは虎丸の友達が野球部員で、そいつとのぞきを実行したのがバレたという話だった。いま話している部員は巻き込まれた側の人間ということは間違いなさそうだが、彼は一体『誰に』巻き込まれたことに対してそんなに怒っているのか。
虎丸一郎太という人物は山王高校でも不良として名が通っているらしいことは奈智も言っていた。相当な荒くれ者だと予測が立つ。
そんな男が問題を起こすのは至極当たり前のこと。善良な部員からすると、むしろ野球部員でありながらに共犯者となった虎丸の友達なる人物に対して怒りを覚えそうなものだ。
しかし今、目の前にいる彼は虎丸を張本人と呼び、虎丸に対して怒りを覚えているようだった。
「おい、もしかしてよ……」
「そこ、私語は慎むように!」
大星が思い当たる節を確認しようとしたところに、審判からの注意が飛ぶ。
実際、それを確認したところですべきことは変わらない。が、気になるものは気になってしまう。
「では、先攻を山王高校、後攻を天川高校として試合を開始します。礼!」
『よろしくお願いします!』
互いに礼をした後、両校の選手たちは各ベンチへと戻っていく。
大星はその流れに乗って、ベンチ脇で観戦していた奈智に声をかけた。
「奈智、ワリィけどよォ、ちょっと調べてほしいことがある」
その身に宿った疑念を奈智に説明する大星。
「うん、わかった」
奈智はそれを聞き、その場から立ち去っていく。その背中を見送りながら、大星はグラウンドをぐるっと見渡した。
観客は各ベンチ付近を中心にそこそこの数が集まっている。時を同じくして体育館などでは違う球技の試合も行われている為、わざわざ寒い外でやる野球を応援しようと考える生徒は少ないが、それでも二クラス分くらいはいる。
その中には警備担当を仰せつかった柔道部員の姿も見え、お祭り騒ぎということで演劇部だろうか、着ぐるみをきて応援している者もいた。
三塁側ベンチ付近にはこがねの姿が見える。どうやらこちらの方を見ているようではあるが、その隣には誰の姿もない。まだ虎丸はきていない。それに加え、祈里やくろこ、ましろの姿も見つからなかった。もしかすれば本気で虎丸をブッ飛ばしにだけくるつもりかもしれない。特に祈里ならそう考えている可能性が十分にある。
「先輩、ベンチに入ってください。始まります」
「お、おう」
今は試合に集中すべき時。幸福を分けてもらう為には、どう考えてもこの試合に勝つ必要がある。その後のことはその時になってから。大星はそう自分に言い聞かせてベンチのど真ん中にドカッと腰を下ろす。
すると、
「痛ってぇええっ!」
大星はすぐさま飛び退き、転がった。
「あ、そこ金具が突き出てるんで気を付けた方がいいですよ」
笹原はそう言って手を差し出してきた。
「く~~~、笹原てめぇ、もっと早く言え、このバカ」
大星はその手を掴んでそう声を荒げたのだった。
一回表、山王高校の攻撃。先頭バッターを四球で出したものの、続く二番、三番と内野フライで打ち取り二死一塁。四番にはセンター前に見事に運ばれたが、こちらのピッチャーは一年生ながらになかなかしぶといピッチングをしてみせる。一塁三塁のピンチにも動じず、五番バッターを見事フルカウントで三振に切って取った。
ライトの守備位置に立つ大星にもチームの雰囲気の良さが感じられていた。ピッチャーだけではなく、他のメンバーも全力で打球を追い、よく声も出ている。
転校する笹原を勝利で送り出すという気迫がチーム全体を盛り上げていた。
しかし、山王高校は守り主体のチームらしい。高身長の二年生エースが放る角度のある直球と緩急際立ったカーブの前に、一回裏の天川高校の攻撃は三者凡退となってまう。
三回裏一死、スコアボードに『0』が刻まれていく中、ついに大星に打席が回ってきた。
「うっしゃあ!」
大星がネクストバッターズサークルからバッターボックスへ向かおうとすると、
「先輩、期待はしてませんから!」
と、笹原から声が飛ぶ。
本心なのか緊張をほぐす為かは不明だが、おそらく両方だろう。
なにせ、ここまで天川高校打線は誰一人として一塁すら踏ませてもらっていない。そんな相手ピッチャーから素人同然の大星がヒットを打てるとは期待していないだろう。
だが、ヒットを打たなくても一塁には進めるのだ。
大星がプロの外国人選手ばりの大仰な構えを取ったその第一球目。
山王エースが投げた緩いカーブはすっぽ抜け、弧を描きながら大星目掛けて飛んできた。
「どわっ」
大星は慌てて身を翻したが、白球は尻に直撃。
死球――。デッドボールである。
「おぅっ」
すっぽ抜けの緩い球。傍から見れば当たってもさほど痛くなさそうではあるが、大星は尻を抑えたままその場にうずくまる。
それを見た笹原と見竹マネージャーが救急箱を持ってベンチを飛び出す。審判やキャッチャーもその様子を見守り、相手ピッチャーは帽子を取って不安そうに視線を送ってきていた。観客もどよめいている。
「す、すぐ冷却スプレーをっ」
見竹は尻を抑える大星の手をどかし、患部目がけて冷却スプレーを噴射した。
「お、おい、やめっ、ぐぎゃぁぁぁぁあああああああ」
大星は絶叫した。選手たちや観客からは何事かと注目が集まる。なぜかはしたない笑い声まで聞こえてきた。
「えっ、えっ」
見竹は涙ながらに苦しむ大星を見て困惑する。
別にデッドボールが痛かったわけではない。ただ、命中したのが寸分違わず、先程ベンチに座った時に金具が刺さった場所だったゆえ、その時の傷が痛んだだけだった。
その傷口への冷却スプレー。さすがの大星もこれには沁みた。
「せ、先輩、だ、大丈夫です、か? プッ」
「くそっ、オメェも笑ってんじゃねぇ」
唯一、尻の痛みの原因を知る笹原は笑いが込み上げてきていた。
「いいから笹原、相手ピッチャー見てみろ」
見竹に処置をする振りをさせながら、大星は笹原に耳打ちする。
「わかんだろ? ありゃ豆腐メンタルだぜ」
相手ピッチャーは処置の間、キャッチャーとキャッチボールをしている。しかし、その顔は明らかに横たわる大星を気にしており、若干青ざめているようにも思えた。悲鳴はわざとではなかったが、ピッチャーとしてはボールを当ててしまった相手にあれだけ苦しむ様子を見せられれば平静としてはいられないだろう。
笹原はそれを確認すると、一つ頷き、
「仕掛けます。走れますか?」
と、一言。
「おう、指示はオメェが出せや」
大星はそう言って立ち上がり、二人はベンチへと下がっていく。
「キミ、大丈夫か?」
確認してきた審判に手を上げて応えておき、大星は一塁へと歩み出す。あからさま過ぎれば遅延行為と見なされ兼ねないが、なるべく相手バッテリーに尻の痛みをアピールしておいた。
なにはともあれ、これで一死一塁。天川高校初めてのランナーが出た。
そして次なる打者への初球は大きく外れてボール。
(間違いねぇ)
大星は相手ピッチャーの動揺を確信し、ベンチを見る。すると、笹原からサインが出された。
二球目。大星はピッチャーのモーションを盗み、盗塁を図る。そして打者はバントの構え。
バントエンドランだ。
打球はその勢いを殺し、ピッチャーの正面に転がる。だが、見かけによらず足だけは速い大星。キャッチャーはそれを見て一塁への送球を指示。しかし、その送球は一塁手の頭上を大きく超えた大暴投となった。
そして大星はまるでそうなるかを予測していたかのように二塁も蹴っていた。
転々とする白球。
それを横目に大星は三塁も回り、見事ホームへと生還。
バッターランナーも二塁へと滑りこんだ。
先取点である。しかも一死二塁のおまけ付き。
「しゃあああああ、どうだぁ!」
咆哮を上げながらベンチへと戻った大星は全員とハイタッチ。
「なんというか、矢場先輩らしいですね」
そう言ってきたのは笹原だ。
「あぁん? 卑怯とでも言いてぇんかよ?」
「いいえ……。ナイスランでした!」
見事なまでに虚を衝いてもぎ取った、とても大きな一点だった。