#4 球技対抗戦⑤
大星が一塁側に戻ると、奈智が顔を出していた。
なにやら笹原と話をしており、周りには部員全員が集合している。
「どうかしたんか?」
「あ、矢場くん。ううん、一応、試合をどうするのかの最終確認を、と思ったんだけど」
棄権するかどうか。先も案じたように、この直前になって棄権を申し出れば色々とまずい状況になり兼ねない。笹原もそう考えているようだった。
「試合はやります。ただ、皆に悪いけど……」
怪我で試合に出られない笹原がわざと負けることを考えたところで、実際にプレイする一年生たちがそれに納得しなければままならない。
笹原がその話を切り出そうとした瞬間、大星がそれに割り込んだ。
「ああ、試合はやる。んで、ぜってぇに勝つ。だなっ、一年!」
『はいっ! 絶対勝ちますっ!』
大星の飛ばした檄に呼応するように、一年生全員が声を揃えた。
笹原が何を言い出すのかをわかっていたのだろう。棄権すると言い張っていたとはいえ、部内には誰一人としてそれを良しと考えていたものはいない。それくらいに一年生たちの士気は高かった。
「先輩、邪魔をしないでもらえますか?」
笹原はキッと大星を睨んだ。
「もう腹括れ。オメェの勘は確かに当たってる。けどな、コイツラのことをマジに考えんなら、今は試合に勝つことの方を考えろ」
「そんなこと言って、もし万が一のことがあったらどうするんですか? この試合、この試合だけ負ければいいんです! そうすれば何事も起きることはないっ!」
声を荒げる笹原。詳しい事情を知らない一年生や見竹マネージャーはそんな様子に只事ではない何かを感じていた。また笹原自身も、自らが怪我をしたことがよほど応えているのだ。仲間たちが自分と同じ目にあってしまうかもしれない、もしかしたらそれ以上かもしれない、そんな恐怖がその声を荒げさせているのだと、こがねから話を聞いた大星は今になってようやくわかった。
「この試合はっ!」
一年生の一人がそう叫んだ。
「俺たち一年にとって、この試合は、甲子園よりも大事です!」
他の部員も皆それに頷いた。
「俺たちは入部してから、ずっと部長に野球の面白さを教えてもらってきました。ここにいる八人は全員、部長のことをすごい先輩だと尊敬してます。そんな部長が試合を棄権したいって言うんだから、なんか止むに止まれぬ事情があるんだとも思ってました。けど、それがもし俺たちの為を思ってのことなら、どうか考え直して下さい! 俺たちは、どうしてもこの試合に勝ちたいんです! お願いします!」
『お願いします!』
一年生部員一同が帽子を取り、笹原に向かって頭を下げた。
「笹原くん、わたしからもお願い」
見竹にもそう言われ、笹原は苦しそうに顔を歪めている。
「なぁ笹原よォ、オメェは幸せモンだな」
幸福を奪われた相手に言うことではないかもしれないが、大星は自然とそう口にしていた。
今の笹原には幸福はなくとも、自ら掴み取ってきた『運』というやつが満ち溢れているのだ。
「試合が終わった後のこたぁ、そん時にでも考えろ。あ~、つかな、オメェはもう、んなこと考えなくていいわ。オレがここにいる意味がなくなっちまうから」
「先輩……?」
大星はそう言って笹原の首に腕を絡ませた。
「よォし一年ども、ぜってぇ勝つぞ! ほら、練習うちの番だっ。散れ!」
『はいっ!』
一年生たちは勢いよくグラウンドに飛び出していく。
「つーわけで、奈智。試合は棄権もわざと負けんのも無し。マネージャーもこれでいいな?」
「あ、はい……」
見竹マネは今日初めて大星と目を合わした。その目には怯えの色がまだ残ってはいるが、試合が通常通り行われることには喜んでいるようだ。
「あ、奈智、それでよォ」
大星には若干の心配事があり、奈智にそっと耳打ちをする。
いざ試合をするとなった時、まともな試合になるかどうかの心配だ。相手は脅迫してくるような連中。それが通らないと知ったら何をしでかしてくるかわからない。こちらが不利になるような策を講じてくるとも限らないのだ。
「あ、うん。わかってるよ」
しかし、そこはさすがの奈智だった。試合が行われる際の危険性を予め想定していたのだろう。せめて暴力行為だけは避けられるようにと柔道部の連中を警備担当として集めているらしかった。ここ天川高校の柔道部は全国レベルの猛者揃いで有名だ。いるだけで番犬としての役割は十分に果たされると思われる。
「やっぱすげぇな、奈智様は」
「様はやめてよっ」
「そうだ、笹原。オレは一体どこを守りゃいいんだ? 部長のオメェの代わりなんだから打順は当然四番だよな? 四番といえばやっぱサードか?」
「え、矢場くん、そんなこともまだ決まってなかったの?」
呆れたように奈智が言った。
「いや、まぁな。で、どうなんだ、おい」
未だ大星に肩を組まれた状態だった笹原はその拘束から脱しつつ、
「ライトで八番です」と、一言。
「あぁん? オメェ部長のくせにライパチだったのかよォ。だっせ~なぁ」
ライパチとはその呼び名の通り、守備位置がライトで打順が八番のことを示す。ライトにはあまり強い打球が飛んでこず、八番バッターというのは打線の中でも最も下位にあたることから野球が下手な選手を差した言葉なのだ。
「いえ、僕は四番でサードです。先輩にもそれで出てもらうつもりでしたけど……、この試合、勝つんですよね?」
素人の大星が四番サードでは勝てるモノも勝てなくなってしまう。ライパチを指定したのは、笹原が覚悟を決めた証でもあった。
「フン、言うじゃねぇか」
「でも、野球は全員が九分の一です。一人欠けても成立しません」
笹原は姿勢を正し、被っていた帽子を手に取った。
「いろいろと生意気言ってすみませんでした。改めて今日試合、僕の代わり、よろしくお願いします」
そう言って、大星に向かって深々と頭を下げる。
「おう、任せておけや」
そう言って大星もライトへとダッシュしていった。