#4 球技対抗戦②
301病室に顔を出すと穂月の姿はなく、隣のベッドに喘息で入院したという祐佳がいるだけだった。祐佳は大星の顔を見るや否や、朝食を食べる手を止めてあたふたとし始める。挙句に「ごほっごほっ」とせき込んだ。
「おうおう、落ち着け~落ち着け~。オレは穂月の兄ちゃんだ」
大星がそう話しかけると、祐佳はゆっくりと呼吸を整えて水を口にした。どうやら喘息の発作ではなく、ただ食べていたものがつっかえただけのようだ。
「喘息だってな。あんま慌てっと体に悪ィからよ、オレの顔覚えておけ。な? 毎朝ここにきてっから、そんたびにビクビクされちゃオレもアレだからよ」
「……はい、もう覚え、ました」
祐佳は恐る恐るといった風に頷いた。
「あ、でよ、穂月がどこ行ったか知ってっか?」
祐佳を見てわかるように今はちょうど朝食の時間のはずだ。しかし穂月の姿はベッドになく、朝食も用意されていない。
「その、朝ごはんを食べる前に検査をするって、ついさっき……」
「あぁん? 穂月のヤツ、具合悪くなったんか?」
大星が思わずいつもの調子で睨んでしまった。当然、祐佳はビクついてしまう。
「おおお、悪ィ悪ィ……、別に怒ってねぇから」
「あ……、はい……、お姉ちゃん、べつに具合悪そうじゃなかったです。先生の方から呼びにきてましたけど」
どうやら容体が急変したとかではなく、予定されていた検査ということらしい。
「ふ~ん、んじゃ仕方ねぇか」
穂月と話す分の時間が空いてしまった。学校に行くにはまだ少し早いので、大星は祐佳と会話を試みることにした。
自分と同年代よりも、妹がいるせいか、うんと年齢が離れている相手の方が大星にとっては話し易い。
相変わらず祐佳は大星への警戒心を解いていないように思えるし、明日以降のことを考えれば、少しでも慣らしておくに越したことはないだろう。
祐佳の体の為にも、大星のメンタルの為にも。
「あ~オメェ、いま何年生だ?」
「え、あ、四年生、です……」
「そーなんか。喘息はもう長ぇのか?」
「は、はい、ちっちゃいころから……」
祐佳も穂月と同様に入退院を繰り返してきたのかもしれない。大星のことを怖がってはいるが受け答え自体はしっかりとしていることからも、入院中などに大人と接する機会が多かったのではないか、と想像できた。
祐佳は大星がよく知る人物にとても似ている。その境遇もしっかりしているところもだ。
「オメェさ、この病院の岬先生って知ってっか?」
「あ、さっきお姉ちゃんを呼びにきたのが岬先生って……」
穂月の主治医である岬先生。奈智の父である。
「その岬先生の娘がよォ、オレの同級生で、穂月のダチなんだ。奈智っつうんだけどな、ソイツもオメェくらいの年の頃に喘息で入院してたんだってよ」
「そう、なんですか。会ったことはない、です」
「そか。奈智はな、いまは病気も治してめちゃ元気だぞ。すんげぇ勉強もできるし、ダチもいっぱいいるしなぁ、ビビるくらいにしっかり者でよォ、超すげぇヤツなんだ」
「ほぇ~すごい人なんですね……、勉強も得意じゃないし、友達もいないわたしなんかとは全然違う……」
やはり病気のこと、なかなか学校に通えないことを気にしてしまっているのだろう。
「ま、『自分なんか』っつってるオメェは確かにいまの奈智とは全然違ぇなぁ」
「…………」
その一言に祐佳は寂しそうに俯いた。
「でもよォ、その奈智もな、病気の頃は落ち込んでたっつってたわ。そりゃそうだよな、辛ぇし苦しいし、学校に行けなきゃ勉強も遅れちまうし、友達とも距離を感じちまう」
「じゃ、じゃあ、その奈智さんはどうやってそんなすごい人になれたの?」
「ん、なんだ、教えてほしいんか?」
「……うん」
祐佳は顔を上げた。自分だってそうなりたい。でもどうすればいいかわからない。そんな葛藤が垣間見える顔をしていた。
大星は「んじゃ教えてやる」とわざとらしく、祐佳にこう一言告げた。
「奈智もなぁ、『自分なんか』って思ったんだ」
「…………?」
直前に否定されたことがいきなり肯定され、祐佳の頭の周りにクエスチョンマークが飛び交うのが見えるようだった。もちろん大星には祐佳をからかうつもりなどなかったが、まさしくそれは欲しいと思っていた反応でもあった。
「オメェは『自分なんかダメ』っつってしょぼくれてるだけ。奈智は『自分なんか落ち込んでる暇はねぇ』っつって頑張った」
自らを「なんか」と落とすベクトルが違う。
「この違いがわかっか?」
「あ、うん……。わかる。わかるけど……」
そう言って祐佳は再び俯いてしまった。落ち込んでいる暇があるなら頑張れと言われているのがわかったのだろう。
しかし、それがどれだけ大変なことかを祐佳はすでに身をもって体験してきたからこそ、簡単ではないことも同時に痛感しているはず。
それはずっと穂月を見てきた大星にもわかっていた。奈智の過去を聞いた今ならなおさらだった。それ故に、当時穂月や奈智が手にできたものが、今の祐佳にないのだということもまた大星にはわかってしまった。
昨日の朝に見かけた祐佳の母。真面目そうな、おそらく良い親なのだろうという印象だ。祐佳を見ていてもわかる。
だが、親では埋められない寂しさもあるだろう。
祐佳は病気と闘いながら、孤独とも闘ってきたのだ。
「いまは入院したてでそんな余裕もねぇだろうけどよォ、辛かったり寂しかったりした時はな、せっかく穂月が隣にいるんだ、アイツと話でもしろよ。年はちょっと上だけどな、穂月はんなこと気にしねぇでオメェとダチになってくれる。つか、多分アイツはもうオメェのことをダチだと思ってんな、きっと」
「えっ、そんなすぐに友達になってくれるわけないよっ」
「ん~、そうかぁ? ま、騙されたと思って話しかけてみろって。今度は奈智も連れてきてやっからよ、アイツも間違ぇなくオメェとダチになるっつうな。これでもうダチが二人できたも同然よ」
穂月に奈智がいたように。奈智に穂月がいたように。
祐佳にもそんな誰かがいることが、きっと少しだけ力になる。
「オレだって……、あ~、まぁオレはいいか。オレなんかがいたら他にダチができなくなっちまうな」
「あ~『なんか』って言ったぁ」
「あぁん? あ~、これはイイ方の『なんか』だ」
「ずるい~! アハハ」
いつの間にか口調も柔らかくなった祐佳が初めて笑顔を見せた時、
「え、お兄ちゃん?」
と、穂月が検査から戻ってきた。
「お、穂月。検査終わったんか?」
「う、うん。あ、ごめんね~。今朝検査が入ってるの忘れてて、昨日言えばよかったんだけど」
「まぁ気にすんな。ほら、コレな。ちゃんと食えよ」
大星は今日の分の大福が入った紙袋を穂月に渡す。
「あ、ありがと……。ってかお兄ちゃん、時間平気なの?」
「あぁん?」
サッと時計に目をやると、時刻はすでに八時三十二分。遅刻確定のお知らせだった。
「おいおいおいっ祐佳! なんで言ってくれねぇんだよっ。オレ行くわ、じゃな!」
勢いよく病室を飛び出していく大星。そのすぐ後、廊下からは看護師の注意する叫びとガシャーンという何かが崩れる音が聞こえてくる。
「アハハ、穂月お姉ちゃんのお兄ちゃんはおもしろいね」
入院して以来、ずっと大人しかった祐佳の様子の変化に穂月も気付いたようだった。
「お兄ちゃん、祐佳ちゃんのこと名前で呼んでたね。お兄ちゃんは友達だと思ってる人のことしか名前で呼ばないんだよ?」
「えっ」
「見た目はちょっとアレだけどね、一緒にいて面白いし、ホントは優しいから。仲良くしてあげてね」
「うんっ」
祐佳は少し驚いた後に笑顔のままで頷いた。そして、
「あ、あのね……、穂月お姉ちゃんもわたしと友達になってくれる?」
と、モジモジしながら訊いてきた。
(ああ、やっぱお兄ちゃんって……)
人見知りしがちな祐佳となかなか話すきっかけを見つけられずにいた穂月は、それをあっさりしてみせた大星を改めて凄いと感じた。
祐佳だけでなく、奈智や祈里、それに先日のウサギもそう。
その数こそ少ないが、気難しそうな相手ともあっという間に打ち解けてしまう。あんな見た目をしていなければ、きっと大勢の友達に囲まれていたに違いない。だがそれも自分の為だということに穂月は薄々気付いていた。
そんな兄がくれたお膳立て。
「もう友達、だよっ」
穂月はそう言ってベッドの上の祐佳に抱きついたのだった。