#1 大星とウサギ①
一月一日、元旦。
高校生活最後の冬休み中である大星は三つ下で中学三年生の妹、穂月を連れて、ここ卯上神社へと初詣にやってきていた。
ここはその名の通り、干支の『卯』であるウサギを祀っている神社で、大星たちにとっては自宅から最も近い、氏神様に相当する。
「しっかし、ここは相っ変わらず……」
「……うん」
二人は朱色の鳥居の前に立ち、境内を眺めた。
そこは元旦だというにもかかわらず人気がなく、物悲しさを感じるほどに閑散としていた。せいぜい数羽の鳩とカラスがいるくらい。
だがそれも仕方のないことかもしれなかった。
ここから少し足を延ばすと全国的に名高い熱城神宮があり、近所の者は皆そちらに参じているのだと思われる。なにせ日本の初詣参拝者数ベスト3に入るほどの規模なのだ。有難味を受ける印象度合いの桁が違う。
そこと比べてしまうと圧倒的な見劣りをする感は否めないが、それでも大星たちの初詣といえば毎年必ずここ卯上神社だった。
その理由を一つ挙げるならば、それは『人混みを避ける為』だ。
穂月は体が丈夫な方ではなく、尋常ではない混み具合を見せる熱城神宮にはとてもではないが連れていくことはできない。
その点この卯上神社なら、たとえ正月であってもこの有様なのだ。自宅の近所ということもあって、穂月には打って付けの初詣スポットとなっている。
とはいっても、仕方なしにここを選んでいるわけでもない。
もう一つの理由として、近所であるがゆえの馴染み深さが挙げられる。
子供の頃、大星はそれこそ毎日のように遊び場として通っていたし、穂月も体調の良い時は散歩がてらに顔を出していた。なかなか遠出できない穂月にとっては特に思い出の詰まった場所といえる。
むしろこちらのほうが主な理由となるだろう。
二人は朱色の鳥居をくぐり、手水舎で手を清め、拝殿の前までやってきた。大星は財布から五百円玉を二枚出し、その内の一枚を穂月に手渡す。賽銭だ。例年の百倍、大奮発の五百円。二人は並んでそれを賽銭箱へと入れ、一緒に鈴を鳴らした。
まずは二礼。二度深く礼をする。
そして二拍。柏手を二度打つ。
そして一礼。もう一度深く礼をする。
(穂月の体がよくなりますように。穂月が受験に合格しますように)
大星は高校受験を間近に控えた穂月の為、入念に願った。後ろに並ぶ参拝者もいないので願いたい放題だというのもある。
それでも、目を開けると隣では穂月がまだ手を合わせている最中だった。受験する本人である穂月の方がその願いも一入だろう。
「さて、と。お兄ちゃん、今年はおみくじ……、どうしよっか?」
お参りを終えた穂月がやや気遣うように訊いてきた。
「当然引くに決まってんだろ」
そう意気込む大星は穂月を連れ立って社務所へと向かう。毎年お参り後におみくじを引くのはもはや恒例行事となっていた。
「おぉ、おっふたりさんっ。あけおめ~ことよろ~」
おみくじやお守り、お札などが売られている社務所の窓口からは、この卯上神社の主であり、唯一の巫女である『佐兎山祈里』が顔を覗かせていた。
「おっす、サト姉。今年もよろ、しく、な……」
大星は窓口に近寄ると、その内部の光景が目に入り、唖然とした。
窓口が設置された社務所の一室。そこは六畳ほどの広さがあり、祈里は畳の上にデンッと座っている。
巫女といえば普通、清廉や清楚といった言葉が似合いそうな存在だろう。
確かに祈里も素材はいい。
まとめ上げた艶やかな黒髪やその整った顔立ちなどは、どこか古風で慎ましやかさを感じさせる。まさに巫女になる為に神様から貰ったような容姿だ。
だが今の彼女の姿は清らかさとは遥か縁遠く、慎ましやかさなど地球の裏側辺りまでぶっ飛んでいた。
祈里はその身に巫女装束こそ纏っているが、上半身の白衣は大きく乱れてたわわな胸元までが露わになっており、更に、室内が火鉢のおかげで暖かいせいか、下半身の緋袴すらもたくし上げて、白く細いおみ足をこれでもかというくらい存分に披露している。
それだけではない。
脇に置かれた一升瓶。後ろに転がった空瓶。右手に持った酒が並々と注がれたコップ。トロ~ンとした赤ら顔。妙に陽気なテンション。窓口越しでもほんのり香る酒臭さ。
これらからも分かるように、祈里はすでに相当できあがっているようだった。むしろ衣服の乱れは酔っ払っているせいで体が火照っているのかもしれない。
「祈里さん、あけましておめでとうございます」
そんな祈里に対しても、穂月は丁寧にお辞儀をして新年の挨拶をする。
慣れているといえばそうなのだ。祈里は『正月だから』酔っ払っているのではない。『正月なのに』酔っ払っているのだ。要は年中酔っ払っている。
「ほっづきちゃ~んっ、相変わらず色白で綺麗だぁねぇ。お姉さんと一緒にこっちで飲もうよォ~」
祈里は窓口からその身を乗り出すように絡んでくる。ただ酔っているだけならともかくとしても、絡み酒ときたらもう害悪以外の何者でもない。
「穂月、酒臭ぇからコレに近づくんじゃねぇ。それに正月早々年増がうつっちまう」
大星は祈里を睨みつつ、庇うように穂月を遠ざけた。
「なによォ~、アタシはまだ二三らのよォ~。ヒドイじゃないのよォ~」
祈里は穂月を追うように手をバタバタとさせて、やがて諦めたようにコップの酒をグイッと呷る。
大星の鋭い目つきで睨まれれば大概の人なら怯むだろうが、それも酔っぱらいには効果がない。何より祈里とはもう長い付き合いなので元より効き目などないのだが。
「だいたい仕事中だろ? しかも正月っていや書き入れ時なのによォ、そんなに酔ってて平気なのか?」
大星が唖然としてしまったのはそれが理由だった。祈里のこの姿は職務中だとはとても思えないほど乱れ切っている。
「へーき、へーき。みーんな、神宮の方に行っちゃってるもん。うちにくるような連中は近所のおじいちゃんおばあちゃんかアンタら兄妹くらいなもんよォ」
だからといってもこの乱れようはないだろう。
巫女がこの調子では参拝者の足並みが悪いのも当然の結果だ。参拝者が少なければ賽銭もあるはずがない。
大星は卯上神社の未来を案じずにはいられなかった。穂月にとって大事な場所であるこの神社が無くなってしまうのは忍びない。そう思った。
「ほら、おみくじ二人分とお札、あとお守りも。受験に効くやつな。釣りは、まぁ御布施ってことにしてやる」
一回二百円のおみくじと家内安全のお札、合格祈願のお守り。計二千四百円。
大星は酒代になるんじゃないかと案じつつも、三千円を窓口の台へバンッと置いた。
「うほほーい、こりゃどうも~」
祈里はそそくさとお金に飛びつく。
そして、一瞬の間を空け、
「って、アンタ、まだおみくじ引くつもり……?」
と、真顔をでそう訊いてきた。
「うるせぇなぁ。いいだろ別に。ほら穂月、まずオメェから引け」
呆れたような視線を送りながら酒を呷る祈里を放っておき、大星はおみくじの筒を穂月に渡す。
「うん」
それを受け取ると、穂月はガラガラとそれを振り、出てきた棒の番号を読み上げた。
「えっと、『い』の『一番』です」
祈里がその番号の記された引出しから一枚の紙を取り出し、「どうぞ」とそれを穂月へと差し出した。
「あ、大吉だぁ。えっと……、健康『注意せよ』、金運『実り有』、学業『積み重ねよ』、願望『概ね叶う』だって」
健康面が気になる結果ではあるがなかなかに良好な内容らしい。穂月は微々とした笑みを浮かべてそれを読んでいる。
「よしっ、じゃあ次はオレだな」
(ついに、ついにこの時がきた……)
震える右手を抑えつつ、大きく一つ深呼吸を挟んでから、大星は神妙な面持ちで筒を手に取った。
「お兄ちゃんなら、今年こそは大丈夫だよっ」
穂月は自分のおみくじ結果から目を離し、両手を合わせて大星の応援に回った。
「どうせ今年も……」
「サト姉っ」
何かを言いかけた祈里をけん制しつつ、大星はグッと目を閉じた。
(頼む……)
そして天を仰ぎ、祈った。
「いくぞォォォゴルァァァッ!」
気合十分。カッと目を見開いた大星は手にした筒を勢いよく振り始める。ガラガラという音がまるで運命を決めるドラムロールかのように鳴り響くと、傍にいた鳩が逃げるように飛び去り、木の上のカラスが「カァ~」と鳴く。
三人の熱い注目の中、やがて筒の中から一本の棒がその姿を現した。
(頼む、頼む……)
「『ほ』の『九番』だ! サト姉いいなっ、オレが見るまで中身見んじゃねぇぞ!」
「ほいほい……」
先と同様に引出しから一枚の紙を取り出した祈里は、呆れ顔を余所へと向けながらそれを大星に手渡した。
(頼む頼む頼む頼む頼む頼む……)
再び強く祈りを込める大星。
その様子を真剣に見守る穂月。
張り詰めた空気を醸し出す兄妹をよそに、ニヤニヤと笑みを浮かべている祈里。
大星は意を決し、その紙に目を落とした。
――『大凶』
そこには紛れもなくその二文字が刻まれていた。
「そ、そんな……バカ、な……」
大星は絶望に満ちた表情でその場にガックリと膝をつく。
「どれどれ……プ、ププ、ギャハハハハハ! ほらぁっ! どうせ今年もそうなるんじゃないかって思ったのよォ、アタシは!」
大星を指差しながら笑う祈里は「あ~、おいしっ」と酒を一口。
「お、お兄ちゃん……」
穂月は打ちひしがれる大星にかける言葉が見つからない様子だった。
なぜおみくじ一つでこのような状況になっているのか。
ここ卯上神社のおみくじは特段代わり映えのしない一般的なおみくじだ。当たる人もいれば当たらない人もいるだろうし、これといった噂や評判もない。
しかし大星にとっては違った。
おみくじという名を冠しただけの、まさに『命運を賭した勝負』といえるほどのものだった。
しかも今、大星はその勝負にただ負けただけではない。今年で実に五年連続となる完全敗北(大凶)を喫してしまったのだ。
大星の頭には、走馬灯のように過去の映像が蘇る。
大凶を引いた過去四年、それは苦渋に塗れた記憶だったのだ。