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#3 野球部の事情②

 翌一二日、金曜日、早朝。


 冬休みが明けて新学期が始まってからというもの、大星はずっと早起きが続いていた。登校前に入院する穂月の元へ顔を出すのが日課となっているのだ。


「おう、起きてっか?」


 岬病院、301病室。ついこの前まで大星も入院していた二人部屋。


「あ、おはよう、お兄ちゃん」


 ちょうど朝食の時間だったようで、ベッドの上で体を起こした穂月の前には食器が並んでいる。しかし、あまり箸が進んでいないようだった。


「ちゃんと食わねぇと良くなんねぇぞ」

「うん……、でももうお腹いっぱい、かな」


 好き嫌いこそしないが、穂月は元より食が細い。しかも病院食とあっては味気なさもあるだろう。大星も入院中の食事はなかなかに辛かった。


「今日も大福持ってきてやったからな、ちゃんと同じ時間に食え。いいな?」


 大星は毎朝一個ずつ穂月の元に届けていた。大福の形こそすれど中身は幸福。痛むことも腐ることもカビが生える心配もないが、それを知らない穂月からすれば一気に渡されても困ってしまうだろう。


 それにくろしろが言うには一日に複数個食べさせても意味がないらしいのだ。結局、どれだけ食べても天器が定着しない以上は体内を巡った後に消えてしまうので、一日一個、決められた時間に食べていれば十分に役目は果たせるそうだ。ならば、その日の分だけをこうして届けるのが最良だといえる。それも今日で六日目となった。


「あ、今日は黒ウサギだ。このごま風味のこしあん、甘さ控えめで美味しいよね。白ウサギの苺大福も甘酸っぱくて好き。お兄ちゃん、これいつもどこで買ってくるの? この辺に和菓子屋さんあったかな?」


「あぁん? えっと……、だな、あ、ああ、祈里さん、祈里さんのよォ、て、手作りなんだよ。ほら、ここくる途中に神社の前を通るだろ? 毎朝、祈里さんが持ってけっつって渡してくんだ。食わねぇとあの人マジ怒っから、残すんじゃねぇぞ?」


 咄嗟に口をついたでまかせではあったが、どこかで買ったというよりも祈里の手作りといった方が穂月はちゃんと食べるだろう。大星が毎日毎日、大福を食え食えと言うよりも口実としてはマシに思える。あとで祈里と口裏を合わせておかなければ、と大星は心に留めた。


「え、祈里さんって和菓子作れるんだぁ。今度教えてもらおっかな~。お兄ちゃんも一緒に行こうよ。何か将来役立つかもしれないよ?」

「お、おう……。そうだな」


 加えて祈里に和菓子作りの練習もしておいてもらわなければならなくなってしまった。今考えればあの酒飲みの祈里が甘いものなど食べるだろうか。洒落た和菓子などよりもするめの方がお似合いなのだ。

どうせなら奈智の名を出した方がよかったと、今更ながらに後悔した。


 しかし、身から出たサビである以上は仕方のない話だが、大星としては少し嬉しくもあった。穂月の口から『今度』という言葉が出たことだ。

 和菓子作りを教えてもらうなど病院のベッドの上でできることではなく、当然ながら退院後の話になる。

 自身の現状に諦めを感じ始めていた穂月が『今度』の話をするというのは気持ちが前向きになった証拠といえるのではないだろうか。ここ数日分の幸福補充効果が早速現れているのかもしれない。

 そう思うと大星の中に俄然やる気が湧いてきた。

 するとそこに、


「失礼します」

 と、声がかかる。


 病室へと入ってきたのは三十代くらいの女性だった。

 紺のパンツスーツに身を包み、肩には大きなバッグをかけている。

 そしてもう一人、その女性の手を握る小さな女の子。

 見たところくろこやましろの少女姿と同じくらいで、おそらく十歳前後だろう。


「あの、今日から隣のベットでお世話になります藤江と申します。よろしくお願いします。ほら、ゆかちゃんもごあいさつ」


 どうやら新しくきた隣のベッドの入院患者のようだった。それも入院するのは少女の方らしい。


「あの、ふ、藤江祐佳ふじえゆか、です……」


 そう名乗った少女は母親だろう女性の足にしがみつきながら、恥ずかしそうに、ではなく、まるで珍獣でも見るかのように目をまん丸とさせて大星に視線を送っていた。

 それに気付いてはいたが、さすがの大星もこれから病気と闘おうする少女に向かって「あぁん?」と睨みを利かせたりなどはしない。


「あ、こちらこそよろしくお願いします。矢場穂月といいます。祐佳ちゃ~ん、怖くないよ~。隣は私だからね~」


 穂月が手を振ると、祐佳はホッとした顔を見せつつ母親の後ろへと隠れた。今度は恥ずかしかったのだろう。


「そんじゃあビビらせても悪ィし、オレもう行くわ。また明日くっからよ」


 こういったリアクションを取られるのはもう慣れている大星は、これからバタバタとするであろう藤江母子の邪魔になる前に退散することにした。

 一応、藤江母の方にだけは不器用ながらに会釈を交わしておく。また顔を合わせることもあるだろう。その際に不審者だと思われては困るからだ。


「あ、うん。いってらっしゃい、お兄ちゃん」

「おう、大福食うの忘れんなよ」


 そう上機嫌に一言告げて病室を後にする。

 欠かすことなく大福を届ける為にも、目下すべきことは明日に迫る球技対抗戦、野球部についての一件だ。

 残す兎大福は残り四つ。 そろそろ次を得ておかないと立ち行かなくなってしまう。

 穂月の前向きな言葉が聞けたことで確かな手ごたえを感じていた大星は明日に向ける意気込みまでもが充実していた。



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