旦那
「行ってくる」
いつものように、旦那が出かける。
それを子供と一緒に、玄関先で見送る。
「いってらっしゃい」
にこやかに送り出す。前の日苦痛で泣いても、屈辱的なことを言われて腹の奥で怒りの炎が燃え盛っていても、いつも笑顔になれるのは、私が幸せだからなのだろうか。
玄関をでていった主人を、ベランダからさらに見送る。子供を抱いて、子供に手を振らせる。見えなくなるまで。
完全に、ベランダから旦那の姿を確認できなくなるまで見送ると、私はいつものように台所から隠しているアルコールを取り出して、朝から酒を飲み始める。
大した量は飲まない。
でも、コップ1杯の酒が、私に笑顔をくれているのは事実で…。
飲みながら、子供と一緒に昼寝をする。
明るいうちから、酒なんか飲んでも誰にも文句は言われない。
だって、子供以外と話すことなんか、ほとんどない。
まともに会話なんか、1週間の間に何度するだろうか。
セールスの電話の相手と、商品について会話するくらいなんじゃないだろうか。
必要もない墓の資料や、ダイエット商品、先物取引などの資料が、テレビ台についている引き出しを1つ占領している。
週に1度は、なにかのセールス電話がかかってくる。
買う気もないのに話をする。
それだけで、社会とつながっているような安心感をもらえる。
営業の電話がかからなかった週は、こちらから電話する。
雑誌広告などの商品を買ったり、用もないのにフリーダイヤルを回したり。
見知らぬ大人と話すだけで、子供にも優しくできた。
私は、うまくやっている。
そう思っていた。