地上の雲
朝、目が覚めると世界が真っ白だった。
別に目がおかしくなったわけでは無い。ただ単に説明が言葉足らずなだけだ。
ちゃんと説明しろよ、と言われるかもしれない。まぁ、そうなるだろうと思う。言われるのを覚悟して言った訳だし。
どうしてこんな事を言ったのかって?
だって、何かロマンチックというか、ちょっと詩人みたいなことを言ってみたかっただけ。
それじゃあ、ちゃんと説明しよう。
朝、目が覚めて窓を覗くと、濃霧で世界が真っ白だった。
◇ ◇ ◇
視界が悪くなる、濡れる、怠いの三拍子がそろった霧の中、私は学校へと向かっている。
ゆっくりと自転車を漕いでいると、よく見知った背中を発見した。
あれ、確かコイツは自転車通学の筈なんだけどな、と思いながらも私はこの背中を追い越す。いや、追い越そうとした。
「あっ! おはよー!」
声を掛けられてしまった。
「おはよ」
無視するわけにもいかず自転車を止め、私は挨拶を返す。
「いやぁ、凄い霧だねぇ」
「そうだな。……それじゃ」
私はコイツにそう告げるとペダルを踏んでいる足に一層力を入れる。
「え、ちょっと待って!」
動かそうとした自転車が何故か動かない。何だろう、外部からの力によって止められている様な……。
「おい、これは何だ?」
後ろを向き、自転車が動かない原因を確認した私は指をさす。荷台の端を掴んでいるコイツの手を。
「これは……、手だよ?」
一体何を言っているの? とでも言っているかの様な顔でコイツは私を覗いてくる。
「いや、それは分かってる。どうしてこんな事をしたのかを聞いているんだ」
「だって、こうでもしなきゃ、一人で先に行っちゃうでしょ?」
「まぁ、そうだな」
「でも、私はキミと一緒に学校に行きたい」
「なるほど」
「だからキミの荷台に手を伸ばしたの」
「おい」
「ねぇ、一緒に学校に行こうよー」
そう言って私を見るコイツの目は、そう、喩えるとすると――、
「……犬……か……」
「???」
散歩に連れて行ってくれるのを今か今かと期待している目だ。実にあの目に似ている。
仕方ない、期待に応えるとするか。
「分かった、一緒に行こう」
私は自転車から降りる。
隣を見るとコイツは私と行けるのがそんなに嬉しいのか、今にも鼻歌を歌い出しそうなくらいの、コスモスの花が咲いたような笑顔をみせた。
「なぁ」
「ん? なに?」
「お前、自転車通学だよな?」
「うん、そうだけど」
「どうして歩いてるんだ?」
自転車通学なのに歩いている理由。パンクでもしたのだろうか。
「えっとね、お母さんが「こんな霧の中、いつもボーッとしてるお前が自転車なんか走らせたら事故を起こすに違いないから、歩いて行きなさい」って……」
全く、困っちゃうよね。とコイツは不満げに語るが、
「えっ、何でそんな納得したような顔をしてるのっ?」
「納得」
「口に出さなくてもいいよっ!」
「いや、でもさ……」
コイツの事だから「わー、凄い霧だねぇ」とか周りをキョロキョロ見ながら学校に向かうに違いない。
「どうかしたの?」
「何でもないよ」
「そっか」
「そうだ」
◇ ◇ ◇
それから、コイツの何かのアニメのOPなのであろう鼻歌をBGMに暫く歩いていると、
「ねぇねぇ」
と私に話しかけてきた。
「何だ?」
素っ気ないように私は答えるものの、コイツの声の調子から「ああ、何時ものが来たんな」と内心思っていたりする。
「凄い霧だよねぇ。周りが全然見えないし」
喋りながら、コイツは周りをキョロキョロと見渡す。
おい、そんなんだからお前の母親は自転車で学校に行くことを止めさせたんだぞ。
「そうだな。私も起きて窓から外を見て、ビックリした」
「本当に凄い霧……」
コイツは感嘆を漏らす。
「まるで――」
まるで?
「空から雲が降りてきたみたい」
そういうコイツの表情は、憂いを帯びた、秋の夕暮れを感じさせた。
本人はそんなことを感じさせようなんて雨の一滴程度も考えていないだろうけど。
「あはは、変なこと言っちゃったね」
照れ照れと、恥ずかしそうに苦笑いする。
「そうでもないぞ」
「……え?」
私の言葉に、コイツは埴輪のごとく口をポカンと丸く開ける。
そんなコイツの情けない顔を見て、私はクスッと笑ってしまった。
「そもそも、だ。霧と雲が何なのか、知ってるか?」
「えっと、水蒸気の塊みたいなものかな?」
「まぁ、簡潔すぎるほどに言うとそうなるな。
雲は大気中に固まって浮かぶ水滴、または氷の粒のこと。
霧は水蒸気を含んだ大気の温度が何らかの理由で露点温度――気体が液体に変わり始める温度に達したときに、その水蒸気が小さな水粒となって空中に浮かんだ状態のことを言うんだ」
「あれ? 言い方はちょっと違うけど、どっちも空中に浮かんだ水粒だって言ってるよね?」
「その通り。ある条件が違うだけで、霧と雲は同じものなんだ」
「ある条件って?」
「ある条件というのは、「地面に接しているか、いないか」ということだ。地面に接しているものを「霧」と呼んで、地面に接していないものを「雲」と呼ぶんだ。
つまり――」
「つまり?」
コイツと話している内に、いつの間にか学校の校門の前に到着していた。
私は霧の中、雄大にそびえ立つ校舎を見上げる。
コイツも私に釣られ、学校を眺める。
「私たちは今、地上の雲の中にいるっていうことだ」




