イカの胴を逆さまにしてみたら……
休日、出かけ先で昼食を取るべく私達はファーストフードに入る。
そして私が注文を終え、席に戻るとコイツは何やら難しそうな顔をしてスマートフォンを操作していた。
「おい」
そんな眉を顰め、画面を食い入るように見ているコイツに私は声を掛ける。
すると私の声に吃驚したのか、ピクンとコイツの肩が少し跳ね上がり、
「えっ? どっ、どうかしたの?」
と、スライドさせる手を止めて、恐る恐るといった感じに私に返事をしてくる。
「いや、何か難しそうな顔をしていたから、どうかしたのかと思って」
「あ、そうだったんだ……」
納得。といった感じに、コイツは私に先程まで弄っていたものを渡してくる。
「ん、何だ?」
コイツの行動に疑問を覚えつつ、私はスマートフォンの画面を確認することにした。
「えっと、なになに……、『ダイオウイカが日本海に打ち上げられる』」
「うん、そう。ダイオウイカ。イカだよイカっ!」
ダイオウイカ、ダイオウイカ科に分類されるイカの一種。学名はArchiteuthis duxという。
非常に大きなイカであり、日本で発見されたモノでは外套長1,8メートル、触腕を含めると6,5メートルにもあったらしい。
これでも十分に驚くべき数値なのだが、ヨーロッパでは体長が18メートルを超えた個体が発見されたという。
18メートルと言われても余りパッと来ないかもしれないのが、ビル6階分に相当すると言われれば、大凡どれ位の大きさか分かるだろう。序でに言うと、お台場にある実物大ガンダムが18メートルらしい。
それ位大きなイカ。それが海で突然現れたとしたら恐怖でしかないと思う。
「それで、この記事がどうかしたのか?」
「あ、うーん、えっと……」
コイツは困った様な顔をして、口ごもる。
「どうした? 言ってみろ」
「じゃあ、言っちゃうんだけど――」
そしてコイツは言った、
「イカって、どうして一杯って数えるのかな?」
「…………ん?」
イカ? 一杯?
「だから、どうしてイカは一杯って数えるのかな」
わたしの話聞いてなかったの? とでも言うかのように、再度コイツは先程のセリフを復唱する。
あれ? ダイオウイカはどうしたのだろうか。
「なぁ、お前……ダイオウイカの事について考えていたんじゃいのか?」
私がコイツに尋ねると、
「え?」
と私の言葉にコイツは困った様な顔をする。これは本当に質問の意味を分かりかねている、と受け取って良いだろう。
故に、私もコイツの言葉に困惑するしかなかった。
どうやら、互いに何かすれ違いが起きてしまっているみたいだ。いや、みたいだ、ではなく起きてしまっているのだろう。
私はコイツに気付かれない様に、静かに溜息を零した。
「詰まる所、お前はこの記事を読んで、イカの数え方について考えていた訳だな?」
「うんっ!」
私の問い掛けにコイツは無駄に元気よく答える。その笑みは、夏の日差しを思い浮かばせるような眩しさを放っている。今は春の筈なんだがな、と私は密かに心の中で毒づく。
「さて、イカについてなんだが……。その前に言っておきたい事がある」
「え、なに?」
「それはな、イカを数える時には必ず「杯」を使わなければならない、という訳ではないんだ」
実は私も調べるまでは知らなかった。
「ええっ? どういうこと?」
関東栃木レモンにレモン果汁が含まれていないと知った時くらいの驚きをコイツは見せる。
私的には同じ会社の作った関東栃木イチゴに苺果汁が3パーセント含まれていたことの方が驚きなんだが。
「それはな、イカの数え方には「匹」も使うということだ」
「あれ、なんか普通――」
「何か言ったか?」
「いえいえ、なんでも御座いませんよ? なんでも」
「それで、「匹」と「杯」の使い分けなんだが、そのイカが生きていたら「一匹」と数えて、商品として市場に出ている場合は「一杯」と数えるんだ」
しかし、市場に出ている場合にでも、そのイカが活き活きとしていて、生きている様に新鮮な物なら「一匹」と数えることも可能らしい。
「へー、知らなかった」
生きてたら一匹、死んだら一杯。とコイツはブツブツ言いながら手帳のメモ欄に書き込んでいく。いや、別にメモをしておくほどの事では無いと私は思うのだが。まぁそこを突っ込むのは無粋というものか。
「と、前置きはここまでにして、本題に入ろうか」
「おー、待ってました」
メモ帳をパタンと閉じて、パチパチと乾いた拍手を私に送ってくる。なんか虚しい。
「イカを「杯」と数えるようになった所以なんだが、先ずはイカを頭に思い浮かべてみてくれ」
私がそう言うと、コイツは「うーん……」と目を閉じる。まぁイカを頭の中に想像しているんだろう。なんだろう、目を閉じているコイツを見ると物凄くイタズラしたくなってくる。
そんな訳で、私はコイツの目の前におかれているMサイズのウーロン茶に私がコーヒーを頼んだ時に一緒に付いてきたミルクと砂糖を入れてやる事にした。飲んだ時の反応がとても楽しみで仕方がない。
鏡が無いので見えないが、今の私はそれはもう悪い笑みを浮かべているに違ない。
「イカの姿は想像できているか?」
「うん、オッケーだよ」
「よし、それと一緒にスポーツの大会とかで優勝したチームに送られる「優勝トロフィー」も思い浮かべてみてくれ。ほら、胴が丸くて甕型をしたアレだ」
「分かった」
ムムム、とコイツは唸りを上げる。
「そして、この2つを思い浮かべたところで、イカの胴体とトロフィーとを比べてみてくれ」
「んー…………、なんか似た形?」
「そう、それ」
胴体を逆さまにして、トロフィーと並べてみれば分かりやすいかもしれない。どちらも中に何かを満たすような容器の形をしている。イカの場合、イカ飯やイカ徳利などが良い例だろう。つまり――
「イカの胴体が杯の形に似ている事から、イカを「杯」で数えるようになったんだ」
「なるほどねぇ」
コイツは興味深そうに頷いた。
「あ、そうだ。また別の話なんだが、どうしてイカは漢字で「烏賊」と書くか知ってるか?」
「ううん、知らない」
私が尋ねるとコイツはフルフルと首を横に振る。
「知りたいか?」
「もちろんっ! 教えて?」
向かいのテーブルからズイッと勢いよく詰め寄り、私に話を促してくる。
「あ、あぁ。分かったから、そんなに近づくな」
「ふぇっ? わっ……。ご、ごめん……」
私が離れるように指摘すると、顔を仄かに赤くし、イソイソと腰を降ろす。
「それで、「烏賊」についてだが、この「烏賊」は中国の言い伝えによるものなんだ」
「中国の?」
「そう、中国の。水面を漂っていたイカを烏が啄もうとしたことが始まりだ」
「それで……、イカはどうなったの?」
「烏を捕まえて食べてしまったんだ」
「えーっ!」
「実はイカはな、死んだふりをしていたんだ」
「どうしてそんな事をしたの?」
「烏を油断させるためだな。油断させ近づいてきたところで、腕を伸ばして捕まえて、パクンと食べてしまった。そして、「烏にとって恐ろしい賊のような存在だ」という意味から、「烏賊」と記させる様になったんだ」
「烏を食べちゃうなんて、イカってすごいねー」
とは言っても、実際はイカが烏を食べるなんてことは無いらしいが……。そこはまぁ、伝説のお話だから気にしてはいけない。
「さて、そろそろ出るか」
昼食を食べ終えた私は、お店を出て、買い物の続きをしようとコイツに話しかける。
「あっ、ちょっと待って。まだこれが残ってるから」
そう言って、コイツはウーロン茶に手を掛ける。
ん? そう言えばそのウーロン茶は……。
「うぇっ? なにこのウーロン茶っ? 何か妙にマイルドだし甘いんだけどっ?」
だろうね。私がそうしたんだから。
コイツがオタオタと慌てふためいている姿を見て、私は笑った。




